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たまリバー50キロ (多摩川)


令和6年(2024)5月4日~18日  羽村取水堰~河口  53㎞
多摩川は、山梨県笠取山に源を発し、羽田沖の東京湾に流れ込んでいる全長138㎞の一級河川である。このうち羽村取水堰から河口までの堤防や河川敷を利用したウォーキングやランニングなどが楽しめる連続した53㎞のコースを東京都都市整備局と沿川区市が協力して 「たまリバー50キロ」 と定めたものである。このたまリバー50キロを参考に多摩川の堤防を下流まで歩いてみることとした。

羽村取水堰 羽村堰下橋 羽村大橋 海から53K
羽村取水堰は、多摩川をせき止めて、水道用の源水を玉川上水に引き入れるために設けられたもので、多摩川河口から上流約54㎞のところに位置している。ここには玉川上水開削の功労者である玉川庄右衛門・清右衛門兄弟の銅像のほか、取水堰などの説明板が建っている。 羽村取水堰から200m程下流に羽村堰下橋(はむらせきしたばし)がある。羽村堰下橋は、昭和54年3月竣工の人道橋である。 羽村下橋から370m程下流に羽村大橋がある。羽村大橋は、昭和45年3月に竣工した橋で、羽村市と対岸のあきる野市を結ぶ全長547mの橋である。橋は高いところを通り、堤防からは見上げる感じである。 羽村大橋の下流に海から53キロの標柱が建っている。この標柱は三角柱で三面にキロ数が記されており、1キロ毎に建てられているが、堤防脇にあったり、河川敷にあったりする。53キロ標柱から下流には、福生かに坂公園、玉川上水旧堀跡の碑などがある。

海から52K 永田橋 福生緑地 多摩橋
福生かに坂公園の先で左手に長徳寺の墓地が段上にあり、河川敷が狭くなった辺りの鉄柵の脇に海から52K標柱が建っている。 永田橋は、福生市と対岸のあきる野市に架かる橋である。江戸時代は渡しが存在し、昭和に入って木橋が架けられ、昭和24年にコンクリートの橋となった。現在の橋は、全長244mで平成22年(2010)8月竣工である。 永田橋の下流に福生緑地(福生柳山公園)があり、公園の下流には比較的大きなプールがある。公園の入口にたまリバー50キロの案内板が建っている。 福生緑地の下流に多摩橋がある。多摩橋は、福生市から対岸のあきる野市を結ぶ橋で、都道7号(五日市街道)が通っている。江戸時代には牛浜の渡しがあったところで、大正時代に入って鉄筋コンクリートの橋が架けられた。現在の橋は、昭和44年(1969)3月竣工で、全長202mである。多摩橋の上流側の歩道部へは堤防から行けるが、下流側は住宅地を回り込まないと行くことができない。

海から51K 田村分水放流口 多摩川中央公園 JR五日市線
海から51K標柱は、雨水排水樋菅(福生排水樋菅)と多摩橋の間の堤防上に建っている。 多摩橋を過ぎると左手の土手から多摩川中央公園へ流れる田村分水放流口がある。この水路は、玉川上水から取水し、田村分水を流れてきた水を利用しているものである。 多摩川中央公園は、広大な敷地に芝生の広場、池、遊具などがあり、老若男女、様々な人々に親しまれている公園である。園内には様々な植物が植えられ、バーベキューが出来るスペースもある。また、史跡石濱渡津(いしはまとしん)跡がある。かつて、ここは五日市街道の 「牛浜の渡し」 があったところで、自然石の碑には 「石濱渡津跡」 と刻まれ、傍らに 「うしはま」 と刻まれた碑が建っている。 多摩川中央公園の外れにJR五日市線の多摩川橋梁が横切っている。JR五日市線は、昭島市の拝島駅からあきる野市の武蔵五日市駅までを結んでいるJR東日本の鉄道路線である。路線距離は11㎞である。

海から50K 睦橋 水鳥公園 海から48K
海から50K標柱は、JR五日市線の多摩川橋梁下をくぐり、堤防に上がったところに設置されている。この先には雨水排水樋菅(熊川第二排水樋菅)があり、多摩川の対岸の先に富士山が見えている。また堤防沿いには桜並木が続き、堤防の左側にある明神下公園前に 「ふっさ桜まつり30周年記念」 説明板が建っている。 睦橋(むつみはし)は、福生市と対岸のあきる野市を結ぶ橋で、都道7号(杉並あきる野線)が通っている。かつては渡船があり、明治期に板橋が架けられていた。現在の橋は昭和57年(1982)4月竣工で、全長415mである。下流には、広場・テニスコート・野球場などがある多摩川緑地福生南公園が続いている。 福生南公園に続いて昭島市立水鳥公園がある。下流には九ヶ村用水取水口跡と水神がある。九ヶ村とは、昭島市域の拝島、田中、大神、宮沢、中神、築地、福島、郷地の八ヶ村と立川市域の芝崎村のことである。 水鳥公園の下流の堤防上に海から48K標柱が建っている。福生南公園から水鳥公園まで園内を歩いてきたため49K標柱を見ることはなかった。

昭和用水堰 多摩川横断水道橋 海から47K 拝島橋
海から48K標柱の直ぐ先に昭和用水堰がある。九ヶ村用水取水口から引く水の量が少なくなったことから、昭和8年(1933)に現在地に移動した。 多摩川横断水道橋は、通称拝島水道橋と呼ばれ、昭島市から対岸の八王子市に架かる水道専用の橋である。この付近で平成10年(1998)にアケボノゾウの化石が見つかっている。アケボノゾウは約250万年~70万年前まで日本に生息していた比較的小型のゾウである。 多摩川横断水道橋の下流側に海から47K標柱が建っている。この付近の河川敷は木々が生い茂り川面は確認できない。やや下流に拝島自然公園があり、ゲートボールなどを楽しむ人々が確認できる。この拝島自然公園の北側から日光脇往還が拝島方面に延びている。 拝島自然公園の直ぐ下流に拝島橋がある。この橋は2車線の橋が2本並行しており、上流側が新奥多摩街道方面、下流側が八王子市街方面である。かつては拝島の渡しがあったが、昭和30年(1955)に初代拝島橋が竣工した。現在の橋は、昭和62年(1987)竣工で全長527mである。橋の北詰めにある拝島町四丁目南児童遊園のところに拝島の渡し記念碑が建っている。

海から45K JR八高線 アキシマクジラ 海から44K
拝島橋の下流に大神公園があり、その堤防上に海から45K標柱が建っている。途中に有るはずの46K標柱は見落としたと思われる。 大神公園の下流側にJR八高線の多摩川橋梁がある。多摩川橋梁は、JR八高線の小宮駅と拝島駅を結ぶ鉄道橋で、全長は571mである。 JR八高線を越えたところにアキシマクジラの説明板がある。昭和36年(1961)、JR八高線の橋脚の下流側で化石の先端が露出しているのが発見され、その後、化石の全体が発掘された。この説明板の傍らに八高線列車衝突事故の説明板があり、当時の車輪が保存されている。 アキシマクジラ説明板の下流は、くじら運動公園となっており、自由広場・サッカー場・ソフトボール場・テニスコートなど広大な面積を有している。この公園前の堤防上に海から44K標柱が建っている。

多摩川上流幹線樋門 多摩大橋 築地の渡し跡 海から43K
海から44K標柱の下流に多摩川上流幹線樋門がある。この樋門は、多摩川上流域の市町村の下水道再生水を多摩川に放流しているようである。 多摩川上流幹線樋門の直ぐ下流に多摩大橋がある。多摩大橋は、左岸の昭島市と右岸の八王子市を結ぶ橋で、上流側に八王子市から昭島市へ向かう橋と下流に昭島市から八王子市へ向かう橋が並列してしる。全長は461mであり、上流側の橋の方が下流側より高く、下流から見ると良くわかる。多摩大橋の下流堤防は車道が通り、脇に歩道がある感じである。 多摩大橋から300m程下流に築地の渡し跡がある。かつて、この付近には渡し場が三ヶ所あった。上流から拝島の渡し、大神の渡し、築地の渡しである。築地村(昭島市)と対岸の粟ノ須村(八王子市)を結ぶこの渡しの道筋は、江戸時代以来大山街道と呼ばれ、所沢(埼玉県)から八王子を経て大山(神奈川県)に至る古くからの主要道路であった。 築地の渡し跡の直ぐ下流に海から43K標柱が建っている。この標柱が建つ多摩川には 「牛群地形」 と呼ばれる場所がある。牛群地形とは、川の流れに沿うように川底が削られた地形で、細長い岩が牛の群れのように見えるものである

野水堀1号幹線樋管 海から42K JR中央本線 海から41K
堤防から遮る木々もなく遠方に富士山が良く見えるあたりに昭島都市計画公共下水道野水堀1号幹線樋管がある。 海から42K標柱が建つ辺りは河川敷が広くなって川面を確認することが出来ないが、遠方に富士山をはっきり見ることが出来る。。 JR中央本線の多摩川橋梁は、立川市と対岸の日野市の境界にある多摩川に架かるJR東日本中央本線の鉄道橋であり、全長は444mである。多摩川橋梁の上下流域は多摩川緑地で運動場・野球場がある。 多摩川緑地の野球場の付近の堤防上に海から41K標柱が建っている。

残堀川 立日橋 日野の渡し碑 錦町排水樋菅
多摩川橋梁の下流で左手から残堀川が合流しているため、残堀川を残堀遊歩橋で渡って多摩川の堤防に出る必要がある。残堀川は、東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎の狭山池に源を発し、ここ立川市芝崎町で多摩川に合流している延長14.5㎞の一級河川である。 残堀川を渡った先で立日橋(たっぴばし)の橋下をくぐり多摩川の堤防に復帰する。立日橋は、立川市と日野市を結ぶ橋で、平成元年(1989)に道路橋部分が先に開通し、道路橋上の多摩モノレールは平成12年(2000)に開通した。かつては橋の下流に「日野の渡し」があったが、大正15年(1926)に廃止された。 立日橋から100m程下流の堤防北側に旧甲州街道の道筋があり、そこに日野の渡し碑が建っている。碑には、「日野の渡しの出来たのはいつの日だか誰も知らない。江戸時代中期貞享年間、この地に渡しが移されたことは確かであろう。かつて信濃甲斐相模への人々は、この渡しを過ぎると遠く異境に来たと思い、江戸へ向かう人々は、江戸に着いたと思ったという」 と刻まれている。 堤防左手の立川市錦町庭球場を過ぎた当たりに錦町排水樋菅の設備がある。この辺りからも立日橋の後方に富士山が見えている。

日野橋 根川排水樋門 根川貝殻坂橋 伊藤単朴墓
日野橋は、現在、架け替えのため上流側の仮橋への切回し工事が行われている。工事は令和6年11月下旬までとなっている。日野橋は大正15年(1926)に架けられ、それまでは日野の渡しで対岸を結んでいた。現在は都道256号線が通り、全長は367mである。 日野橋の下流の左手は立川公園野球場と陸上競技場があり、その先の堤防は根川排水樋門のところで行き止まりとなっている。この先は北側の根川貝殻坂橋を渡って回り込んでいく必要がある。 根川排水樋門の上流100m程のところに根川貝殻坂橋が架かっている。この橋は木橋で、渡詰めにある貝殻坂にちなんで根川貝殻坂橋と名付けられた。橋の袂に根川貝殻坂橋にいての説明プレートが建っている。 貝殻坂を上って200m程住宅地の中を進むと、左手の民家の前に伊藤単朴(いとうたんぼく)の墓がある。伊藤単朴は江戸中期の談義作者で、ここ青柳の地に移り住み、堀江氏の屋敷内で医業をするかたわら執筆活動に取り組んだと言われている。伊藤単朴の墓の向かい側には大正天皇が立寄ったという 「御野立場碑」 が多摩川を向いて建っている。

府中用水取入口 海から39K 中央自動車道 石田大橋
伊藤単朴墓の直ぐ先の右手に府中用水取入口がある。府中用水は、多摩川の水を青柳南で取り入れ、谷保南部を通り、府中まで導く農業用水路である。取入口の東側には、昭和記念公園付近から排水路として作られた緑川が暗渠化されて多摩川に達する緑川排水樋菅がある。 緑川排水樋管のところから多摩川方向に向かう筋を進み多摩川河川敷公園の前に出ると海から39K標柱が建っている。この直ぐ先の左手に万願寺渡船場跡の説明板が建っている。 万願寺渡船場跡から130m程下流を中央自動車道の高架が横切っている。 中央自動車道から550m程下流に石田大橋が架かっている。石田大橋は、国立市と日野市を結ぶ橋で国道20号(日野バイパス)が通り、全長は385mである。石田大橋の橋名は、この地にあった 「石田の渡し」 に近いことや、「石田」 という地名が両市に存在することから付けられたという。橋の上流側歩道部に 「石田大橋橋名の由来」 プレートがある。

取水施設 国立谷保排水樋管 海から38K 五本松
石田大橋の下流にかんがい用水のための取水施設がある。水利利用者は、府中市西府用水組合となっている。 取水施設の直ぐ下流に国立谷保排水樋管がある。 国立谷保排水樋管から100m程下流に海から38K標柱が建っている。この辺りからの堤防の道は、「府中多摩川かぜのみち」 となり、道路標示や案内図が建っている。 海から38K標柱から950m程下流に五本松がある。この松は、江戸から明治、大正にかけて水防林として植林されたもので、次第に本数が減り、今の本数となり、「五本松」 と呼ばれるようになったという。

海から37K 水再生センター排水樋門 府中四谷橋 海から36K
五本松の50m程下流に海から37K標柱が建っている。この標柱の辺りに河川管理境界があり、多摩川上流出張所から多摩出張へ管理が移っていく。 海から37K標柱から150m程下流に北多摩二号水再生センター排水樋門がある。北多摩二号水再生センターは、国立市の大部分、立川市・国立市の一部の雨水・汚水を処理し、きれいな水にして多摩川に放流している。 北多摩二号水再生センター排水樋門から400m程下流に府中四谷橋がある。府中四谷橋は、中央に2つの塔をもった斜張橋で、府中市と日野市を結び、平成10年(1998)に開通した全長446mの橋である。 府中四谷橋から400m程下流に海から36K標柱が建っている。この標柱が建つ堤防脇には、府中市立四谷小学校がある。

一の宮渡し跡 京王線 海から35K 中河原渡し跡
海から36K標柱から360m程下流の堤防下に一の宮渡し跡のモニュメントが建っている。モニュメントには一の宮渡しの説明が刻まれている。このモニュメントの奥は四谷一丁目自治会館が建っており、テニスコートと西府緑地がある。 一の宮渡しから400m程下流に京王線の多摩川橋梁が架かっている。この橋梁は、府中市の中河原駅と多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅間の多摩川に架かる鉄道橋である。橋梁の全長は476mである。 京王線多摩川橋梁から50m程下流に海から35K標柱が建っている。 海から35K標柱から100m程下流の堤防左下にある住吉町第二幼児公園の前に中河原渡し跡のモニュメントが建っている。モニュメントの裏面には、中河原渡しの説明が刻まれている。

関戸橋 海から34K 海から33K 是政排水樋管
中河原渡しから250m程下流に関戸橋(せきどばし)が架かっている。この橋は、中河原渡し(多摩市側では関戸の渡し)の代替として昭和12年(1937)に架けられた。この橋は上流側に歩車道があり、下流側に車道がある変則的な造りになっている。 関戸橋から600m程下流に海から34K標柱が建っている。この付近の堤防沿いには、東京多摩郵便局、㈱読売プリントメディア府中工場などの建物がある。 ここ海から33K標柱が建つ辺りの堤防左手は府中市郷土の森公園の桜並木が続き、堤防右手の河川敷は郷土の森公園バーべキューエリアが広がっている。 海から33K標柱から700m程下流の郷土の森公園バーベキューエリアが終る辺りに是政排水樋管がある。この排水樋管は、上流の府中用水取入口から入った水の終点で、ここで多摩川に戻っていく。この付近に府中多摩川かぜのみち案内図が建っている。

金塚桜広場 海から32K JR多摩川橋梁 矢崎都市下水路吐口
是政排水樋管から100m程下流の左手にある郷土の森公園金塚桜広場の小丘に 「多摩川の今と昔」 の説明板があり、過去の写真が掲載されている。 金塚桜広場から150m程下流に海から32K標柱が建っている。 海から32K標柱から130m程下流にJR南武線とJR武蔵野線の多摩川橋梁が横切っている。上流側に武蔵野線(貨物線)が走り、下流側に南武線が並走している。 JR多摩川橋梁から200m程下流に矢崎都市下水路吐口がある。

是政橋 是政渡し跡 海から31K 常久渡し跡
矢崎都市下水路は口から180m程下流に是政橋(これまさはし)がある。是政橋は、府中市と対岸の稲城市を結ぶ橋で、都道9号川崎府中線(府中街道)が通り、かつては 「是政の渡し」 があったところである。現在の橋は、平成23年(2011)に竣工し、車道は上下線合わせて4車線で全長401mである。 是政橋から100m程下流の堤防左上に是政渡し跡のモニュメントが建っている。モニュメントは道路側が正面で、多摩川側は裏面であり、裏面に是政渡しの説明が刻まれている。モニュメントの傍らには、たまリバー50キロ案内図が建っている。 是政渡し跡モニュメントから500m程下流に海から31K標柱が建っている。この標柱のやや上流に一本のポプラの木がひと際目立って立っている。 海から31K標柱から800m程下流の堤防左側を走る道路脇に常久(つねひさ)渡し跡のモニュメントが建っている。このモニュメントの上流側に北多摩変電所があり鉄塔が聳えている。送電線は多摩川を横切って対岸の稲城市へ延びている。

海から30K 稲城大橋 水再生センター排水樋門 押立渡し跡
常久渡し跡モニュメントから130m程下流に海から30K標柱が建っている。この標柱付近の河川敷は、多摩川親水公園となっており、公園の中央を多摩川の上流から下流までの流れをイメージした小川が流れている。 海から30K標柱から590m程下流に稲城大橋(いなぎおおはし)が横切っている。稲城大橋は、平成7年(1995)に開通した橋で、府中市と対岸の稲城市を結んでいる全長351mの橋である。橋の北側には中央自動車道と直結した料金所が設けられており、南詰には上下流歩道部をつなぐ横断橋が橋下にある。また南詰の下流側歩道部に 「稲城橋の碑」 がある。 稲城大橋をくぐったところに北多摩一号水再生センター排水樋門がある。北多摩一号水再生センターは、府中市・国分寺市の大部分と、立川市・小金井市・小平市の一部の雨水・汚水を処理して、きれいな水にして多摩川に放流している。 稲城大橋から500m程下流の堤防左手を走る道路の脇に押立渡し跡のモニュメントが建っている。

海から29K 海から28K 多摩川原橋 海から27K
押立渡し跡のモニュメント付近の堤防上に海から29K標柱が建っている。この付近は堤防沿いに住宅地が続き、堤防上も河川敷も近隣の人々の散歩コースとなっている。 先に進んでいくと堤防左側にたまリバー50キロ案内図があり、その先の多摩川原橋付近に海から28K標柱が建っている。 多摩川原橋(たまがわらばし)は、調布市と対岸の稲城市を結び、都道19号(鶴川街道)が通る全長402mの橋である。現在の橋は、上流側が平成10年(1998)に、下流側が平成18年(2006)に架け替えられ、上流側に多摩川原水道橋が並行している。 多摩川原橋の下流は堤防上に車道が通り、これまでのように歩道が無いため、海から27K標柱は河川敷に建てられている。

京王線 多摩川白衣観音 菅の渡し 万葉歌碑
海から27K標柱の直ぐ下流側に京王線の多摩川橋梁が横切っている。この多摩川橋梁は、京王相模原線が通り、京王多摩川駅と対岸の京王稲田堤駅の間を結んでいる鉄橋である。鉄橋は昭和46年(1971)に架けられ全長は345mである。 京王線多摩川橋梁をくぐった北側の道路脇に多摩川白衣観音菩薩が祀られている。祠の中に説明書きがあるが、明治40年(1907)8月の多摩川の洪水で石仏が流れてきたのを住民が保存していたという。それを町の有志が榎のある場所にお堂を建てて安置したというような事が書かれている。 多摩川白衣観音の祠の裏手にポケットパークがあり、植栽の中に多摩川の渡し説明が建っている。この辺りには、幾つかの渡し場があったが、多摩川の流路の変動に伴って、渡し場の位置も変動していた。その中での代表的なものに 「上白石の渡し」「矢野口の渡し」「菅の渡し」「中野島の渡し」 があった。ここは最後の渡しとなった 「菅の渡し」 があったところである。 ポケットパークの東に隣接して調布市消防団第8分団機械器具庫があり、その東側に東京調布ロータリークラブが建立した万葉歌碑が建っている。万葉歌碑には、調布の風土を歌った代表すべき二首の歌が刻まれている。

海から26K ニヶ領上河原堰 海から25K 調布排水樋管
海から27K標柱は河川敷に建てられていたが、多摩川白衣観音の前から歩道は堤防上に移っており、海から26K標柱は堤防上に建っている。この辺りの多摩川は水量が多く、釣り人が糸を垂れている様子が見られる。 海から26K標柱の直ぐ下流にニヶ領上河原堰(にかりょうかみがわらぜき)がある。上流の水量が多くなったと感じたのはこの堰のためである。この堰は、江戸時代から存在するニヶ領用水中野島取入口へ水を流すためのものである。当時は、竹で編んだ蛇籠に石をつめたものであったが、時代とともに変遷し、現在ではコンクリート製の大規模なものになっている。 ニヶ領上河原堰から600m程下流に海から25K標柱が建っている。 海から25K標柱の直ぐ下流に調布排水樋管がある。ここは上流の是政排水樋管と同様、府中用水取入口から取り込まれた農業用水が役目を果たして多摩川に環水されているところである。

六郷排水樋管 六郷用水取入れ口 海から24K 多摩水道橋
調布排水樋管から950m程下流に六郷排水樋管がある。この排水樋管は、住宅地に降った雨水などを多摩川へ放流するための施設である。 六郷排水樋管から90m程下流の西河原公園の入口に六郷用水取入れ口モニュメントが建っている。六郷用水は、徳川家康の命により慶長2年(1597)から16年にかけて代官小泉次大夫吉次によって造られた灌漑用水路で、次大夫堀とも呼ばれている。この用水は、多摩川の水をこの辺りで取入れ、市役所の裏で野川と合流し、世田谷区を経て、大田区に至り、全長23㎞に及んでいたが、昭和40年に埋め立てられた。 六郷用水取入れ口モニュメントから200m程下流に海から24K標柱が建っている。この付近は河川敷に五本松と呼ばれる松林があり、その名も多摩川五本松公園である。 海から24K標柱から730m程下流に多摩水道橋が架かっている。この橋は、元々は都内の水不足を解消するために川崎市長沢の浄水場から都心へ水を送る導水管のためのものであったが、建設の際に車道と歩道を設けることとなり、昭和28年(1953)12月に完成したものである。この橋が開通することとなったため、それまであった登戸の渡しは昭和28年8月に廃止となっている。

海から23K 多摩川決壊の碑 ニヶ領宿河原堰 海から22K
多摩水道橋から130m程下流に海から23K標柱が建っている。この場所から10m程下流に小田急線の多摩川橋梁が横切っている。この多摩川橋梁は、小田急小田原線の和泉多摩川駅と対岸の登戸駅間に架かる鉄道橋で全長は約430mである。 小田急線多摩川橋梁から400m程下流の河川敷にある多摩川自由ひろばの中に多摩川決壊の碑が建っている。この碑は、昭和49年(1974)8月末の台風16号の影響を受けて、降り続いた雨のため多摩川の水位が上昇し、遂に堤防が決壊し、狛江市緒方地区の家屋19棟を流失させた災害を後世に伝えるために建てたものである。 多摩川決壊の碑の直ぐ下流にニヶ領宿河原堰がある。この堰は上流のニヶ領上河原堰と同様、江戸時代から存在し、右岸のニヶ領用水宿河原堰取水口へ水を取り込むためのものである。二ヶ領用水は、右岸の灌漑用水として小泉次大夫によって開削されたものである。この堰も当時は、竹で編んだ蛇籠に石をつめたものであったが、時代とともに変遷し、現在ではコンクリート製の大規模なものになっている。 ニヶ領宿河原堰から400m程下流の和泉自動車教習所の辺りの堤防斜面に半分埋もれた海から22K標柱が建っている。この標柱の直ぐ先の河川敷に狛江水辺の楽校がある。狛江水辺の楽校は、子供達が自然と触れ合える場所である。

猪方排水樋管 海から21K 取水施設 交通安全教育センター
狛江水辺の楽校から200m程下流に猪方排水樋管がある。この排水樋管は、住宅地に降った雨や公共下水道などを多摩川へ放流する施設である。排水樋管施設は住宅地側にも設置され、多摩川案内図が建っている。 猪方排水樋管の直ぐ先で左から来る車道と合流し、そこから350m程車道を進むと歩道は堤防上へ分れていく。そこから180m程先の堤防上に海から21K標柱が建っている。 海から21K標柱から100m程下流に円筒形のコンクリート柱が建っている。多摩川沿いに 「上水道用水のための取水」 と書かれた標示板が建っている。地図を見ると、ここから200m程北東側に東京都水道局砧浄水場があるので、そこへ多摩川の水を引き入れていると思われる。 取水施設の直ぐ下流に警視庁白バイ訓練所があり、その下流に警視庁交通安全教育センターの講習コースが続いている。この辺りで多摩川の管理が、多摩出張所から田園調布出張所へと変っていく。

宇奈根排水樋管 海から20K 宇奈根の渡し 海から19K
交通安全教育センターの講習コースが終るところに宇奈根排水樋管がある。この排水樋管は、住宅地に降った雨水・地下水などを放流する施設である。 宇奈根排水樋管から100m程下流に海から20K標柱が建っている。、ここは送電線の鉄塔が建っている辺りで、直ぐ下流の住宅地側にリコー総合グラウンドや駒澤大学玉川キャンパスなどがある。 たまリバー50キロは海から20K標柱の辺りから河川敷を進むようであるが、引き続き、堤防を歩くこととした。海から20K標柱から650m程下流の左手斜面下に 「宇奈根の渡し」 説明板が建っており、その下に喜多見児童館が作製した小さな 「うなねのわたし」 標柱が建っている。 宇奈根の渡しから400m程下流に海から19K標柱が建っている。この付近の河川敷はかなり広く、はっきり数えていないが、野球場6面、サッカー場6面、ほか広場数面である。

久地陸閘 進入禁止 海から18K標柱 河川敷の道
海から19K標柱から400m程下流に突然堤防が切れるところがある。ここは久地陸閘といい、多摩川河川敷へ抜ける道路がある部分である。国土交通省の説明では、「止むを得ない理由で堤防が連続していない場合、あくまでも暫定的な措置として、洪水や高潮時に堤防の機能を確保するために締め切ることの出来る施設」 となっている。 久地陸閘の先で野川に突き当り、そのまま下流に進むと、現在、二子玉川地区の堤防整備を行っており、多摩川堤通りを迂回する必要がある。工事は令和6年6月28日までと記されていた。 多摩川堤通りで新二子橋をくぐると直ぐ右手の堤防の名残に海から18K標柱が建っている。 海から18K標柱の先で東急田園都市線の二子玉川駅を抜けて多摩川沿いに出る。この先は河川敷にある遊歩道を下っていく。

第三京浜道路 下野毛排水樋管 海から16K標柱 架橋工事
二子橋から1.2㎞程下流に第三京浜道路の多摩川橋がある。この橋は片側3車線の自動車専用道路で、第三京浜道路の玉川インターチェンジと対岸の玉川料金所の間にあり、全長383mである。 第三京浜道路多摩川橋から100m程下流に下野毛排水樋管がある。この排水樋管は、住宅地に降った雨水・地下水などを放流する施設である。 海から17K標柱は二子橋の下流にあるはずだが、堤防と多摩川の間に宅地があり不明であった。この16K標柱は、下野毛排水樋管から400m程下流の車道の脇にあり、河川敷からは見えにくいところに建っている。この先も車道は歩けないため見つからない可能性がある。 海から16K標柱から300m程下流で架橋工事が行われている。この工事は。世田谷区と対岸の神奈川県高津区を結ぶ等々力大橋(仮称)の下部工事である。

玉川排水樋管 等々力排水樋管 海から15K標柱 上沼部排水樋管
玉川排水樋管は、谷戸川・谷沢川を流れる雨水地下水などを多摩川に放流する施設である。 玉川排水樋管から430m程下流に等々力排水樋管がある。この樋管は住宅地の雨水・地下水を多摩川に放流する施設である。20019年の台風19号では逆流を防ぐための閉門が出来なかったという。現在は対策が終了しているという。 等々力排水樋門から150m程下流に海から15K標柱が建っている。この標柱も河川敷からは見えずらいところに建っている。 海から15K標柱から650m程下流に上沼部排水樋管がある。この排水樋管は、住宅地に降った雨水や地下水を多摩川に放流する施設である。この排水樋管も2019年の台風19号の際、排水出来ない状況にあったという。

海から14K標柱 多摩川橋梁 調布排水樋管 丸子橋
上沼部排水樋管から200m程下流の道路脇に海から14K標柱が建っている。この付近の河川敷は、テニスコート、野球場、サッカー場、多目的広場が続いている。 野球場が終る辺りの河川敷から二連のアーチの丸子橋が見える。その手前上流側に東急東横線・東急目黒線の鉄道橋である多摩川橋梁が架かっている。 多摩川橋梁の直ぐ下流に調布排水樋管がある。この排水樋管は、丸子川と谷沢川の雨水や地下水を集めて多摩川へ放流している。丸子川は江戸時代に作られた六郷用水で、令和元年(2019)の台風19号では、周辺の住宅地への浸水があったという。排水樋管の北側の道路脇に多摩川治水記念碑が建っている。 丸子橋は、大田区田園調布本町と対岸の川崎市中原区に架かる橋で、都道・県道2号(中原街道)が通り全長405mである。かつては、丸子の渡しがあり、渡船で往来していたが、昭和9年(1934)、初代bの丸子橋が架かり廃止された。

多摩川橋梁 沼部排水樋管 海から12K標柱 海から11K標柱
丸子橋から480m程下流に多摩川橋梁が架かっており、上流側は東海道新幹線の鉄道橋、下流側は横須賀線・湘南新宿ラインの鉄道橋である。 多摩川橋梁から120m程下流に沼部排水樋管がある。この排水樋管は、住宅地に降った雨水や地下水などを多摩川に放流している。この付近の河川敷には、野球グランドやゴルフ練習場、サッカー場などがある。 沼部排水樋管から520m程下流に海から12K標柱が建っている。ここから11K標柱までの間にたまリバー50キロの里程標が路上に描かれている。路上の9㎞は海からではなく大師橋緑地からの距離である。 この標柱のやや下流の左手桜並木の中にたまリバー50キロの案内図が建っている。その少し下流の路上にはたまリバー50キロの標示があり、河川敷に降りるように描かれているが、これは下流のガス橋をくぐるための標示である。

ガス橋 海から10K標柱 矢口ポンプ所排水樋管 海から9K標柱
海から11K標柱から450m程下流にガス橋が架かっている。この橋は、元々は昭和4年(1929)に川崎側の工場から東京へガスを送るためにガス管専用橋として架けられたものである。その後、東京都と神奈川県を結ぶ産業道路として歩車道を備えた橋となった。現在も橋の下に2本の巨大なガス管が通されている。ガス橋の上下流河川敷には、サッカー場・野球場・テニスコートが続いている。 ガス橋から400m程下流に海から10K標柱が建っている。この付近にある路上標示は、羽村取水堰から46㎞、大師橋緑地から7㎞である。 海から10K標柱から540m程下流に矢口ポンプ所排水樋管がある。住宅地側に矢口ポンプ所があり、住宅地に降った雨や地下水・下水を浄化処理して、この排水樋管から多摩川へ放流している。この付近の多摩川ではカヌーをする光景が見られ、対岸は川崎リバーサイドパークゴルフ場である。 矢口ポンプ所排水樋管から270~80m程下流に海から9K標柱が建っている。

多摩川大橋 海から8K標柱 海から7K標柱 多摩川橋梁
海から9K標柱から450m程下流に多摩川大橋が架かっている。多摩川大橋は、東京都と神奈川県を結ぶ橋で国道1号(第二京浜)が通り、全長は436mである。多摩川大橋の下流側には、3連アーチが付いた東京電力とNTTが共用する送電専用橋が架かっている。 多摩川大橋からほぼ1㎞のところに海から8K標柱が建っている。この付近は多摩川が大きく湾曲している辺りで上下流域が一望できる。 海から8K標柱の下流から河川敷が次第に広くなり、海から7K標柱が建つ付近では多摩川緑地野球場が15面ほどある。 海から7K標柱から430m程下流に多摩川橋梁が3本架かっている。上流側からJR京浜東北線、JR東海道本線、多摩川緑地公園を挟んで京急本線である。多摩川堤防の左手に大田区多摩川緑地管理事務所があり、その前にたまリバー50キロ案内図が建っている。海から6K標柱は、JR東海道本線の多摩川橋梁の下に建っている。

六郷橋 海から5K標柱 雑色ポンプ所排水樋管 六郷水門
多摩川橋梁と下流側の六郷ゴルフ練習場を挟んで六郷橋が架かっている。六郷橋は、大田区東六郷と対岸の川崎市を結ぶ橋で、国道15号(第一京浜国道)が通り、全長は444mである。かつては東海道が通る要衝で、江戸時代に木橋が架けられていたが、貞享5年(1688)の洪水で流されて以降は六郷の渡しが設けられていた。六郷橋の北詰めに北野天神(止め天神)があり、境内に六郷の渡し説明がある。 六郷橋から440m程下流に海から5K標柱が建っている。この付近の路上標示は、羽村取水堰から50.5㎞、大師橋緑地から2.5㎞である。 海から5K標柱から170m程下流に雑色ポンプ所排水樋管がある。この排水樋管は、住宅地に降った雨水や地下水、浄化した下水などを多摩川に放流している。住宅地側に雑色ポンプ所がある。 雑色ポンプ所排水樋管から770~80m程下流に六郷水門がある。この水門は、六郷用水の多摩川への排水をはじめ、六郷、池上、矢口と羽田の一部地域の生活用水の排水を目的として、昭和6年(1931)に完成した。堤防左手の舟だまりは、かつては舟運にも利用され、雑色運河と呼ばれていた。また、この水門は令和3年(2021)に土木学会選奨土木遺産に選定されている。

海から4K標柱 六郷ポンプ所排水樋管 海から3K標柱 たまリバー50キロ案内図
六郷水門から50m程下流に海から4K標柱が建っている。標柱は頭の部分が地上に出ている感じで、周囲の草が生い茂ると隠れてしまいそうである。 海から4K標柱から70~80m程下流に六郷ポンプ所排水樋管がある。この排水樋管は、上流の雑色ポンプ所排水樋管が完成する前からあるもので、市街地に降った雨水や地下水を浄化して多摩川に放流している。 六郷ポンプ所排水樋管からほぼ1㎞程下流に海から3K標柱が建っている。この標柱の少し手前から堤防の道はやや低くなり、住宅地の前を通る感じになっている。このため河川敷寄りにコンクリート壁が設置されている。 海から3K標柱から100m程下流にたまリバー50キロ案内図が建っている。この付近の河川敷は多摩川大師橋緑地であり、この案内図から20m程下流の路上にたまリバー50キロの起点標示が描かれている。

大師橋 羽田第二水門 羽田の渡し 海から2K標柱
大師橋は、東京都と神奈川県を結ぶ橋で、都道6号・県道6号東京大師横浜線が通っている。橋の名称は、対岸にある川崎大師に由来しており、全長550mである。いる。下流側に隣接して首都高速羽田線の高速大師橋が架かっている。高速大師橋は南詰(神奈川県)で大師橋の上を通っている。渡詰めにはポケットパークがあり、旧大師橋の親柱と大師橋の説明板が建っている。 大師橋の直ぐ下流に羽田第二水門がある。この水門は住宅地に降った雨水や下水道の水を多摩川に排水している。また、多摩川の洪水や高潮の時は水門を閉めて浸水を防いでいる。水門の裏側には高潮などの時の緊急避難用の船溜まりがある。 高速大師橋の手前に羽田の渡し跡がある。この渡しは、川崎大師参詣のための要衝であり、小島六佐衛門組が運営していたので 「六佐衛門の渡し」 とも呼ばれ、昭和14年(1939)に大師橋が開通するまで利用されていた。ここには旧大師橋の親柱や昭和初期の赤レンガ堤防の一部が保存されている。 高速大師橋をくぐって330m程防潮堤を進むと海から2K標柱が建っている。この付近は擁壁が1m以上あるので多摩川方向は見えないが、釣り船屋へ降りるための階段を利用して見ることができる。

羽田第一水門 玉川弁財天 五十間鼻無縁仏堂 大鳥居
海から2K標柱から120~30m程のところに羽田第一水門がある。この水門は上流の羽田第ニ水門と同様、住宅地に降った雨水や下水道の水を多摩川に排水している。水門の裏側には、高潮などの時の緊急避難用の船溜まりが設けられている。 羽田第一水門から200m程下流の堤防下に玉川弁財天がある。元は鈴木新田にあったが、進駐軍に強制退去を命ぜられ、この地に遷座したという。境内には元からあった水神社と地蔵祠がある。 玉川弁財天から130m程下流の突き当たりに五十間鼻(ごじゅっけんばな)無縁仏堂がある。堤防上にある由来書によると、多摩川の洪水、関東大震災、東京大空襲などでは多数の水難者が漂着し、その人々を供養するために建てられたようである。御堂は多摩川にせり出しており、仏像が2体祀られている。五十間鼻の名称は、多摩川河岸の浸食を抑えるために下流に長さ50間(約90m)に渡って水中に石を敷き詰めたことに由来する。 五十間鼻無縁仏堂からは、北から流れる海老取川に架かる弁天橋を渡って行く。海老取川が多摩川に合流するところに大鳥居が建っている。この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられている。

ソラムナード羽田緑地 多摩川スカイブリッジ 多摩川0㎞地点 羽田緑地展望テラス
大鳥居から600m程下流の都道311号(環状8号線)沿いにソラムナード羽田緑地があり、この時期はオレンジ色のスカシユリが咲いている。この緑地の直ぐ下流側に日航機遭難者慰霊碑が建っている。昭和57年(1982)機長の逆噴射により羽田沖に日航機が墜落し24人が犠牲になった事故である。 日航機遭難者慰霊碑から300m程下流に多摩川スカイブリッジが架かっている。多摩川スカイブリッジは、羽田空港と対岸の川崎市殿町をつなぐ歩車道の橋で、令和4年3月12日に開通した。橋上からの眺望は良く、羽田空港に発着する航空機も見えている。 多摩川スカイブリッジから830~40程下流に多摩川0㎞地点がある。この標示は遊歩道の壁面に取り付けられるており、路面には0㎞地点を示す標示が描かれている。多摩川の0㎞地点を示す建設省の標識は多摩川の縁にある。 多摩川0㎞地点から750m程下流にソラムナード羽田緑地展望テラスがあり、ここが歩いて来れる最終地点である。ここは羽田空港に発着する航空機が良く見えることから、大きな望遠レンズを持ったカメラマンがたくさんいる。