渡しの時代(~昭和14年)
暴れ川と言われた多摩川は毎年のように洪水を起こし、その度に橋が流されてしまったため、横断は渡船による 「渡し」 が主流でした。この辺りでは 「羽田の渡し」「大師の渡し」 が、農作物(特に年貢米)や海産物の流通、耕作地への移動、川崎大師(平間寺)や穴守神社の参拝などに利用されていました。特に 「羽田の渡し」 は参詣客で大変繁盛し、本街道の 「六郷の渡し」 の客足が減って困った川崎宿が幕府に通行禁止を願い出たほどでした。また、徳川家康が狩りに来た際、一人で立寄った家康をそれと知らずに、船頭が馬のあぶみを取ったという故事が残されています。

大師橋(昭和14年~平成9年)
昭和期の経済成長の中、交通量の増加に対応すべく始まった 「産業道路」 の整備に伴って大師橋が建設され、昭和14年10月に完成しました。旧大師橋はゲルバー式鋼トラス(突桁式鋼トラス)と、ゲルバー式飯桁を組み合わせた全長553mの道路橋で、この形式の橋としては当時東洋一の規模となり、また入り組んだ骨組みが描く緩やかな曲線が美しかったことから名橋と称され愛されました。

そして新しい大師橋へ(平成9年~)
しかし、交通量増加による渋滞の恒常化、また老朽化により、旧大師橋は寿命を迎えます。工事中も交通を確保するため、まず旧橋の下流に下り線を新設、下り線へ交通切り替えを行った後に旧大師橋を撤去。旧橋撤去箇所に上り線を新設という手順で工事が実施されました。下り線は平成9年9月に完成、ここで旧大師橋は58年に渡る役目を終えたのです。上り線は平成18年11月に完成し、大師橋の架け替え事業が完了しました。

神奈川県側で大師橋の上を高速大師橋が通っている

大師橋橋標(親柱)

南詰にある旧大師橋親柱

今昔大師橋説明

橋下から見た大師橋

左が下り線(神奈川県方面)、右が上り線(東京都方面)

リニューアル工事中の高速大師橋

下流側から見た大師橋

多摩川上流域

多摩川下流域

下流に高速大師橋が並行している

神奈川県側から見た大師橋上流側歩道部