かつてこの地に築地の渡しと呼ばれる多摩川の渡し場があった。築地村(昭島市)と対岸の粟ノ須村(八王子市)を結ぶこの渡しの道筋は、江戸時代以来大山街道と呼ばれ、所沢(埼玉県)から八王子を経て大山(神奈川県)に至る古くからの主要道路であった。
渡し場は築地村が管理し、舟一艘を浮かべ随時運行されていたが、冬の渇水期になると川瀬に仮橋が架けられ、通行の便に供されていた。なお、明治初年、その管理が福島村に移ってからは福島の渡しと称され、昭和16年頃まで存続した。
ちなみに、慶応2年(1866)6月、武州一揆の際にこの渡し場で展開された一揆鎮圧戦の惨劇は、広く人々の知るところである。
(昭島市教育委員会)
築地の渡し跡説明