昭和49年(1974)8月31日深夜から9月1日夕方にかけて、台風16号の影響を受け、上流氷川を中心にした多量の降雨のため、多摩川の水位が上昇を続けました。この出水により、1日昼頃、ニヶ領宿河原堰左岸下流の取付部護岸が一部破壊されたのを発端に、激しい迂回流が生じたため高水敷が浸食され、懸命な水防活動もむなしく、午後10時過ぎには本堤防が決壊し、住宅地の洗掘が始まりました。迂回流はその後も衰えを見せず、本堤防260mを崩壊させたうえ、1日深夜から3日午後までの間、狛江市緒方地区の家屋19棟を流失させる被害をもたらしました。
 この 「多摩川水害」 は、首都圏の住宅地で発生し、3日間という長時間にわたった特異な災害であり、報道機関によってリアルタイムで全国に報じられ、多くの国民の注目を集めました。
 建設省は、災害直後から速やかに本堰周辺の復旧工事を進め、翌年には完了させるとともに、「多摩川災害調査技術委員会」 を設置し、いち早くその原因の究明にあたりました。
 一方、被災住民は国家補償法に基づき訴訟し、河川管理の瑕疵について改めて指摘された水害ともなり、平成4年(1992)に判決が確定しました。平成10年(1998)、従来の堰より下流に、洪水を安全に流すとともに、豊かな水辺環境の保全と創造を目的とした新しい堰が完成しました。
 ここに、水害の恐ろしさを後世に伝えるとともに、治水の重要性を銘記するものです。
(平成11年3月27日 建設省京浜工事事務所・狛江市)

多摩川緑地公園(下流に自由広場)

たまリバー50キロ案内図

多摩川決壊の碑

多摩川決壊の碑文