下流から見た多摩川大橋

 新田義興(1331-58)が、矢口の渡しで討死したといわれる頃の渡し場は、現在の新田神社付近であったと思われ、当時の多摩川は今より東へ大きく湾曲していたと考えられる。
 江戸時代に、平賀源内により浄瑠璃 「神霊矢口渡」 が作られ、歌舞伎でも上演されるようになると、この渡しは有名になった。
 渡し場は、流路の変遷と共にその位置をいくたびか変え、この付近になったのは江戸時代中期からであると考えられる。
 多摩川に数か所あった渡しのうち、ここは区内最後の渡船場として、多摩川大橋が完成する昭和24年(1949)まで利用された。
(大田区教育委員会)

送電専用橋(左)、多摩川大橋(右)

多摩川大橋の上流左岸河川敷にある矢口の渡し跡

多摩川上流河川敷の川崎リバーサイドパーク

多摩川流路上流域

多摩川大橋上流側歩道部

多摩川大橋橋標(親柱)

多摩川大橋下流側歩道部