伊藤単朴は、延宝8年(1680)に江戸に生まれた江戸時代中期の談義作者です。名は半右衛門といい、青柳山人(散人)とも号しました。単朴は、江戸市中から青柳の地に移り住み、堀江氏の祖先の権次郎という人を養子とします。そして、堀江氏の屋敷内で医を生業とするかたわら執筆活動に取り組んだとされます。
 単朴は、宝暦2年(1752)に73歳で 「教訓雑長持」 を著します。単朴の著作としては他に、「銭湯新話」「教訓差出口」「楚古良探」 などが知られています。単朴の著作は教訓的な内容をもつものであり、八代将軍吉宗の民衆教化に貢献したといわれています。単朴は、墓碑によると宝暦8年(1758)8月4日に、79歳で亡くなりました。
(東京都教育委員会)

伊藤単朴の墓

左は五輪塔、右は伊藤単朴墓と刻まれた墓碑

御野立碑

多摩川方向に 「御野立碑」 と刻まれている

堀江家之墓

右隅に4名の戒名が刻まれている

伊藤単朴墓説明