雨水排水樋菅(熊川第二排水樋菅)

対岸の先に富士山の頭が見えている

下流から見たJR五日市線多摩川橋梁

 多摩川堤防沿いは、50年前、春はレンゲの花が一面に咲きほこり、牛が草を食んでいる田園の風景でした。昭和35年(1960)に福生町長に就任した瀬古清蔵氏は、「福生には名物名所が無いので堤防に桜を植え、桜の名所にしよう」 と発案し、昭和36年(1961)に柳山公園から五日市線鉄橋まで、昭和37年(1962)に鉄橋から睦橋まで、約700本の桜を植樹しました。堤防は砂利が多く、桜が枯れてしまい、何回も植え直しました。
 昭和43年(1968)には、当時の町議会議員が柳山公園などに250本の苗木を植え、昭和49年(1974)には、市民団体のライオンズクラブが80本を植樹しました。昭和57年(1982)には、地元有志により 「郷土愛を大切にし、福生を桜の名所にしよう」 と、手づくりの桜まつりが始まりました。昭和59年(1984)にふっさ桜まつり実行委員会が組織され、福生市全市のまつりとして第1回の桜まつりが開催されました。
 平成18年(2006)には、樹木医が一本いっぽんの桜を点検し、一部を伐採するなど、桜の保全に取り組みました。平成25年(2013)、半世紀以上前に先人の手により植えられた桜は、「福生市の宝」 と誇るべき247本の大木が連なる桜並木となり、毎年多くの市民に春の訪れを告げ、賑わいを見せています。
(ふっさ桜まつり実行委員会)

明神下公園前に設置された 「ふっさ桜まつり30周年記念」 説明板

堤防沿いに桜並木が続いている

堤防左手の明神下公園前に建つ石碑

「住みよい環境緑の奉仕」 と刻まれた植樹記念碑