調布市は地形上武蔵野台地の南縁部に位地しており、武蔵野段丘と立川段丘からなる雛壇上の地形は、調布の歴史の有様に常に大きくかかわっております。そして、目の前を流れる多摩川は、まさに調布の文化を生んだ 「母なる川」 と言えるでしょう。次に掲げる万葉集の二首は調布の風土を歌った代表する歌ではないかと思います。

多摩川の古代の農村では調(貢物)として手作(手織)の麻布が多く貢納され、その貢納の布を白くするために、清流に洗い日にさらすのは、農村の女性の共同の仕事でした。その 「サラス」 の音にかけて、サラニサラニどうしてこの娘がこんなにもたまらなく可愛いのか」 とうたっているのです。生活環境と古代多摩川の郷土色を反映させた真情に躍動をみせています。

 天平勝宝7年(775)2月防人交替のときの、武蔵国豊島郡出身の防人の妻の歌であります。防人は九州、壱岐、対馬の辺要を守る兵士で、当時、東国から徴集され、二年交替で、国々の役人に引率され、難波津に集結し大宰府に送られます。当時、防人は馬で行くことを許されていたので、遠い旅路をせめて馬で行かせたいという妻の心であったか、折から放牧時季であったため、赤馬を山野に放しているのが捕まらず、多摩の横山の道を歩いて行かせねばならなくなったという妻の嘆きの歌であります。(犬養孝氏の解説引用)

 調布市には古代より様々な歴史が刻まれた足跡が残っております。東京調布ロータリークラブは創立40周年記念事業として万葉歌碑を建立し、少しでも多くの人たちが調布のことを知り、ふるさとに対する愛情を持っていただけることを願っております。
(平成15年11月10日 東京調布ロータリークラブ)

多摩川に さらす手作り さらさらに 何ぞこの児の ここだ愛(かな)しき
-東歌-(巻十四)

赤駒を 山野の放し 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ
防人椋橋部荒虫の妻宇遅部黒女(巻二十-四四一七)