玉川上水では、元文5年(1740)に多摩川の洪水被害を避けるための掘り替え工事が行われました。このとき廃棄された堀の遺構が玉川上水旧堀跡です。
 承応3年(1654)の完成から約90年が経った玉川上水では、多摩川の出水によって福生市内の一部で上水の土手がしばしば崩壊し、このままでは通水に支障が生じる恐れもありました。そのため代官上坂安左衛門のもと、上水世話役川崎平右衛門によって、337間(約613m)程の新しい水路が作られました。
 現在、旧堀跡の片側の土手は崩壊していますが、もう片方の土手及び堀敷部分は遺構として残存しています。
 この玉川上水旧堀跡は、近世中世の大規模な土木工事の遺構として、歴史的、学術的に大変貴重です。
(福生市教育委員会)

玉川上水旧堀跡説明

玉川上水旧堀跡の碑

福生かに坂公園