常久渡しは、常久と対岸の常久南部(現稲城市)との往来のために設けられていた渡しで、常久村が管理していたことからその名があります。この渡しは、農耕渡し(作場渡し)であったため、上流の是政渡しや下流の押立渡しなどと異なり、渡し賃を取らなかったようです。
 渡しは、多摩川の水量が多い四月から九月までは船を利用し、渇水期の十月から三月までは仮橋を架して往来に供しました。渡し場には一般的に桟橋が設けられ、平底の船がそこから漕ぎ出されました。船頭の小屋は岸辺に設置されていたようです。

北多摩変電所

常久渡し跡モニュメント