この松は、江戸から明治、大正にかけて、水防林として植林されたもので、以前から 「下堰の松」 と称され、長く地域の人々に親しまれてきました。その後、大正の初めに護岸工事のために、四つ谷村で今も
「中隠居」 と呼ばれている市川家から国に無償で提供され、大切に保護されてきました。この様な長い歴史的変遷の中で、次のような話も生まれてきました。それは、甲州商人と四つ谷村民との心暖まる美談です。江戸時代の中頃、甲州の商人が病で倒れているのを村民が助け、半年余り玉川寺で手厚い看護をし、病がいえ、その後、商人は甲州で財を成したといわれています。この四つ谷村の恩徳に報いるために、商人は一尺五寸の木像を寺に奉納し、また、多摩川堤に松を植えた、といわれています。その松も次第に少なくなり、今の本数となり。「五本松」
と呼ばれるようになりました。長い間の多摩川の変遷と自然の歴史、人の流れを見続け、風雪に耐えてきた松で、特に四つ谷村民の深い情けを末永く府中市民が引継ぎ、この松をシンボルとして保存したいと思います。
(昭和47年12月 府中市)
五本松
五本松の由来