一の宮渡しは、四谷と対岸の一の宮(現多摩市)との往来のために設けられていた渡しで、一の宮村が管理していたことからその名があります。この渡しは、明治13年に一の宮村の作場渡し(農耕渡し)として開設されたようです。
 その後、一般往来者にも供されるようになり、昭和12年の関戸橋の開通まで細々と続いていたそうです。新編武蔵風土記稿(幕末の地誌)の 「一之宮村」 の項には、「渡 当村より中河原村へかよふ船渡なり、よりて一宮ノ渡と呼べり」 と記されています。
 幕末頃には、一の宮と中河原とを結ぶ渡しであったようです。

一の宮渡しモニュメント

裏面に説明が刻まれている

四谷一丁目自治会館