大平洋戦争終戦からわずか9日目の昭和20年(1945)8月24日午前7時40分頃、ここ八高線小宮・拝島間の多摩川鉄橋上において、上り下りの旅客列車が正面衝突し、少なくとも105名の方々が衝突による衝撃、あるいは多摩川の濁流に流され死亡する大惨事が発生しました。日本鉄道史上でも有数の重大事故であるといわれています。救助には、地域の警防団(現在の消防団の前身)や住民があたりました。
この事故は、折からの豪雨の中で発生したもので、犠牲者の多くは終戦とともに故郷に向かっていた復員兵や疎開先から自宅に帰る人々でした。
鉄橋付近から発見された二対の車輪は衝突車両のものと思われ、事故を後世に伝えるため設置しました。
(昭島市教育委員会)
堤防を振り返る
左手が多摩川方面でくじら運動公園である
八高線列車衝突事故説明
事故車両の車輪