創建年代は、不明でありますが、多摩川、又、関東大震災、先の第二次世界大戦の、昭和20年3月10日の東京大空襲の折りには、かなりの数の水難者が漂着致しました。
 その方々を、お祀りしていると言われております。
 元は、多摩川河口寄りの川の中に、角塔婆が一本立っているだけで有りましたが、初代、漁業組合長、故伊東久義氏が管理し毎年お盆には、盆棚を作り、有縁無縁の御霊供養をしていました。昭和53年護岸工事に伴い、現在地に移転しました。その後荒廃著しく、仲七町会小峰守之氏、故伊東米次郎氏、大東町会故伊東秀雄氏が私財を持ち寄り復興いたしました。
 又、平成16年に、村石工業、北浦工業、羽田葬祭スミヤ、中山美装、中山機設、の協力により新たにブロック塀、角塔婆、桟橋、などを修理、増設、現在に至ります。
 又、新年の水難祈願として、初日の出と共に、羽田本町、日蓮宗長照寺住職並びに信者の方々が水難者への供養を毎年行っています。
合掌 堂守謹書

仏堂の脇に立つ地蔵菩薩立像

桟橋で繋がる五十間鼻無縁仏堂

仏堂に祀られた二体の仏像

阿弥陀如来と地蔵菩薩坐像のようである

五十間鼻無縁仏堂の由来