是政渡しは、是政とは対岸の大丸(現稲城市)とを結んでいた稲城道(川崎街道)筋の渡しで、是政村が経営していたことからその名があります。
新編武蔵風土記稿(幕末の地誌)の「是政村」の項には「多摩川(中略)此所に渡船あり、大丸村への往来を渡す。冬は土橋を架して渡船を出さず」と誌されています。渡し賃は、明治15年まで平水時(二尺五寸)旅人通行(一人)八厘、一人乗人力車(一輌)一銭六厘、大八荷車(一輌)二銭五厘でした。
この是政渡しも、昭和16年に是政橋(木橋)が完成し、その姿を消しました。
是政渡しモニュメント
たまリバー50キロ案内図