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日光脇往還   (箱根ヶ崎~武蔵高萩


令和4年5月3日(火)   ☀    箱根ヶ崎~武蔵高萩    16.0㎞
4月30日(土)に引き続き、本日は、箱根ヶ崎の残堀川に架かる大橋から武蔵高萩までの日光脇往還を歩くこととした。箱根ヶ崎宿の先は、二本木宿(かつて二本の榎があったという)、扇町屋宿(千人同心が初日に休憩した)、根岸宿(入間川の先の小宿場)、武蔵高萩宿(千人同心の人馬継立場)と続いていく。

日光街道道標 箱根坂地蔵尊 八雲神社・浅間神社 馬頭観音
残堀川に架かる大橋を渡ると、直ぐ先にの交差点右角に木製の日光街道道標が建っている。こうした道標でもないと旧街道の面影は感じられないが、休日で時間が早いためか車の往来は少ない。 日光街道道標から200m先のY字路中央に祠に箱根坂地蔵尊と青面金剛の庚申塔が安置されている。街道は、左の緩やかな坂道を進む。 地蔵祠を右に入っていくと左手の山腹に八雲神社がある。八雲神社の創建年代等は不詳であるが、もと牛頭天王社と称し、寛政11年(1799)野山から現在地に遷座したと言われる。明治2年(1869)に八雲神社と改称したという。八雲神社の更に上には浅間神社があり、かつて富士山村と箱根ヶ崎村の境界にあり、宝永5年(1708)に箱根ヶ崎村で祀るようになったと言われている。 街道に戻って地蔵祠から240m程進むと、十字路左手に 「さやま花多来里(カタクリ)の郷」 標柱があり、その傍らに馬頭観世音碑と征夷大将軍と刻まれた石碑が建っている。

瑞穂町郷土資料館 庚申塔 富士山歩道橋 街道並み
馬頭観世音碑から300m程先に瑞穂町郷土資料館がある。時間的は開館前で門は閉まっているが、門越しに見えるケヤキの大木は推定樹齢300年を超えるもので、平成26年に郷土資料館が開館したとき、このケヤキに綾かって 「けやき館」 と愛称されたという。資料館の隣には、かつての豪農細渕家の母屋 「耕心館」 が建っている。 耕心館の斜向かいの路地口に文字庚申塔が建っている。庚申塔には、文化15年(1818)4月、武州入間郡山口領富士山邑中と刻まれている。 先に進み国道16号との富士山(ふじやま)交差点を富士山歩道橋で渡っていく。歩道橋上部には、十二支が描かれた方位盤があり、渡詰めには、瑞穂町の形を表すモニュメントが建っている。 国道16号を渡ると住宅地の間を通り、その先は左右に茶畑が広がり、往時の街道を偲ばせている。この石垣の上も茶畑が広がっている。

元狭山神社 秋葉神社 道標 延命地蔵尊
国道16号から500m程先に進むと、左手に元狭山神社がある。元狭山神社は、埼玉県入間郡元狭山村の四つの村落にあった四社を村の中央に移転合祀し、大正7年(1918)社号を元狭山神社と改めたという。境内には、社務所、神楽殿のほか、大正8年の狛犬、大正10年の常夜燈などがある。 元狭山神社を出ると100m程先の瑞穂三小前交差点角に秋葉神社がある。鳥居の奥の覆屋には、秋葉山常夜燈、市杵島姫神、猿田彦大神が祀られている。 秋葉神社から瑞穂二本木交差点を過ぎて、瑞穂市から入間市に入ると、T字路の左角に二本木上宿の道標が建っている。この道標は、延享元年(1744)に上町の人々が交通の安全を願って建てたものである。 旧街道は道標の建つT字路を右折して行が、左折すると150m程のところに朱い屋根の地蔵堂があり、中には延命地蔵尊が祀られている。

旧家 二本木神社 寿昌寺 長福寺
T字路に戻って街道を進むと、元狭山バス停の前に立派な門構えの旧家がある。この旧家は大きな蔵があり、邸内には神社もあるところから、二本木宿の豪農だった旧家かも知れない。 旧家から180m程先の信号交差点を左折すると丘陵地に二本木神社がある。参道に並行する道は 「オッパケの坂」 といい、崖地を切り開いた道である。二本木神社の創建年代等は不詳であるが、明治5年(1872)に村社となり、明治45年(1912)に長福寺境内にあった八雲神社を合祀して、社号を二本木神社と改めたと言われている。境内には、神楽殿、境内社の金刀比羅神社、三峰神社がある。 オッパケの坂を下って信号交差点をそのまま直進すると、左手に臨済宗建長寺派の鶴円山寿昌寺がある。寿昌寺の創建年代等は不詳であるが、往古、高根村に寿昌院として創建され、その後、二本木村の現在地に移転したと言われている。境内には、木造観音菩薩立像を祀る観音堂、石造閻魔大王像を祀る閻魔堂がある。 街道に戻って信号十字路から300m程進んだ右手の、「新鮮たまご」 の幟が立つ長谷川エッグの脇の筋を入ると、臨済宗建長寺派の不尽山長福寺がある。長福寺の創建年代は不詳であるが、室町時代に桃源宗悟禅師(初代住職)による開山で、旧地は入間市宮寺地区にあり、寛文9年(1669)に当地へ移転したという。境内には、不動堂のほか、北向き地蔵尊、百体地蔵尊などの石造物がある。

御神燈 入間宮寺教会 入間市博物館 旧道消滅
街道に戻って150m程進むと、田中自動車の垣道を挟んだ向い側に御神燈が2基覆屋に安置されている。 更に150m程先に進むと、左手に入間市宮寺教会がある。この教会は、明治43年(1910)、メーラン神父によって、カトリック教会としては埼玉県で最初に作られた教会である。毎週日曜日の朝、カランカランと鐘が響き、時代を越えた普遍的な光景が今でも続いている。 入間宮寺教会の先で国道16号の手前を左折して、やや緩やかな坂道を進むと左手に入間市博物館がある。建物は市民広場の中に建っているという感じで、広場にはグランドや池があったりして散策することが出来る。 入間市博物館の先で旧道は消滅しており、ここから旧道に復帰するまでは、食品会社、印刷工場など工業団地の中をジグザグに抜けて行く。

旧道復帰 国道16号 扇町屋上町の道標 旧家
工業団地内をジグザグに約1㎞程迂回すると、圏央道(首都圏中央連絡自動車道)の入間料金所付近で旧道に復帰する。ここには狭山開墾記念碑が建っており、高架をくぐると茶畑が広がる所もある。 旧道に復帰してその先800m程進むと国道16号に合流する。国道16号を進むと、途中の入間消防署前に防災のモニュメントがあり、さらに国道299号をふれあい橋歩道橋で渡って進み、扇町屋南交差点を渡ると扇町屋宿に入る。 扇町家南交差点から400m程進むと、左手の筋角に扇町屋上町の道標が建っている。この道標は、御嶽山・富士山・大山など信仰を示す地名や、青梅・小河内原湯といった地名が刻まれている。ここには他に道標を兼ねた馬頭観世音碑、道標を兼ねた子育地蔵尊が建っている。 扇町屋上町の道標の先を街道の面影がないまま250m程進むと、右手に一際目立つ大きな旧家が建っている。

長泉寺 愛宕神社 旧家 道祖神
旧家から400m程進むと、左手に曹洞宗の光福山長泉寺がある。長泉寺は、慶長年間(1596-1615)の開山と云われ、本尊は釈迦牟尼仏である。また大黒天は、明治35年(1902)に上野寛永寺から勧請されたもので、開運をもたらす 「豊岡の甲子様(キノエネサマ)」 と親しまれている。境内は芝生に覆われた庭が美しく、本堂には恵比寿神、大黒天像が祀られている。 長泉寺を出ると程なく右手に愛宕神社の一の鳥居が建っている。鳥居をくぐると100m程東に愛宕神社がある。社伝によると武蔵野に集落が作られたときに、天照大御神を祀り、承平6年(1361)に新田義興の霊を祀り、その後、元中5年(1388)に別雷神を祀ったという。境内には、足利基氏に謀殺された新田義興の首を埋めた 「首塚の松」 がある。 愛宕神社から街道に戻ると、直ぐ左手に2階建ての旧家がある。 旧家の先で豊岡十字路を渡ると、その先でY字路となり、右手のIpotショッピングモールの脇に、享和2年(1802)の道標を兼ねた道祖神が建っている。また道祖神の奥には地蔵祠があり、志茂町子育地蔵尊と三面六臂の馬頭観音が祀られている。

豊岡温故公園の道標 西武池袋線高架 霞橋 常夜燈
Y字路を左に進んで、右手の丸広百貨店の下を抜けると、豊岡温故公園に出る。この公園の一角にコンクリートで造った高台があり、ここに年代不詳の道標が建っている。道標には、東江戸道、北日光道、西大山道」 と刻まれ、道標の傍らには地蔵堂、大師堂、拝礼供養塔などがある。 街道に戻って豊岡団地前の緩やかな下り坂を進み、西武池袋線の高架下を潜っていく。 西武池袋線の高架下を潜り、河原町交差点を直進すると、霞川に架かる霞橋がある。この日は橋の拡張工事が行われており、上流側は通行不可となっていた。霞川の上流に架かる新霞橋附近は桜の名所であり、霞橋の下流170m程のところには、霞川水害慰霊碑が建っている。 霞橋の先の国道299号(旧街道)と県道195号の分岐Y字路の右手に安政5年(1859)の常夜燈が建っている。常夜燈には、「秋葉山大権現、安政五戌午年六月吉祥日」 と刻まれている。

繁田醤油 地蔵堂 豊水橋 旧道口
常夜燈から100m程先に文化15年(1818)創業の繁田醤油がある。繁田家は江戸時代に代々名主を勤めた豪農豪商である。街道に面して立派な長屋門が建っている。繁田家では武平という名が引き継がれ、12代繁田武平満義とその子翠軒は、隣接する黒須銀行の創立・発展に努めている。 繁田醤油の長屋門から直ぐ先左手に地蔵堂があり、中に合掌した地蔵尊が祀られている。 地蔵堂前から600m程北に進むと入間川に架かる豊水橋(とよみずはし)がある。橋の名前の由来は、かつて豊岡町(入間市豊岡)と水富村(狭山市水富)が結ばれたことから、頭文字をとって豊水橋になったといわれている。橋が架けられる前までは、「根岸の渡し」 によって渡っていた。渡詰め下流側に、「根岸の渡し」 標柱が建っている。 豊水橋を渡って間もなく、ねぎし歩道橋交差点のところから右に分岐する旧道があり、ここから根岸宿に入っていく。

明光寺 道標 宗源寺 白髭神社
旧道に入り200m程先で小川を越え、その先の十字路を越えた右手に真言宗智山派の高竹山光明院明光寺がある。明光寺は、応和2年(962)明光上人によって創建されたと言われている。この寺は大本山高尾山出張所になっており、奥多摩新四国第44番霊場となっている。境内には、大師堂、地蔵堂、稲荷社のほか、宝篋印塔、石灯籠、明王像などの石造物がある。 明光寺参道の街道を挟んだ向かい側の民家脇に日光脇往還(脇街道)の道標が建っている。 道標の先の十字路で街道を外れるが、左折して県道262号を横切って行くと、右手の住宅地を入ったところに、曹洞宗の金井山宗源寺がある。宗源寺の創建年代等は不詳であるが、慶長年間(1596-1615)頃、堂宇が建立され、その後、20世撫洲春道禅師が専任になったと言われている。境内には、観音堂、撫洲薩捶禅師堂などがある。 街道を外れついでに、街道に戻った十字路を東に50m程入った左手の筋を北に向かって200m程進むと白髭神社がある。白髭神社は、応和2年(962)に創建された明光寺の守護神として創立されたといわれており、参道が水富小学校の新築により中断するため、現在地から100m程東から現在地に遷宮されたという。白髭神社の隣には、日清日露戦争以降の戦没者を祀る水富神社がある。

国道407号 延命地蔵尊 子育尊・田木薬師堂 圏央道高架
街道に戻って緩やかな坂道を上り、国道407号に合流する。合流してからも坂道は450m程続き、根岸坂上交差点の先から平坦な道になる。その先で左手の圏央道狭山日高料金所まえを通り、県道397号を越えると狭山市から日高市に入っていく。 日高市に入って350m程先の田木交差点の左角に延命地蔵尊が建っている。傍らに3基の石造物があるが、破損したもののようで、石碑か石仏かは不明である。 延命地蔵尊の先の中山酒店を左折して民家の間の道を入っていくと、子育尊碑があり、その先に田木薬師堂がある。あいにく建屋は修復中で足場が架けられいた。 街道に戻って400m程進んだところで圏央道(首都圏中央連絡自動車道)の高架下を潜っていく。高架下を潜ると直ぐ先を南小畔川が流れ、霞野橋が架かっている。

宝蔵寺 杉並木 旧道口 八雲神社
南小畔川の先は緩やかな坂道となり、中華料理南京亭の手前筋を左に入って行くと真言宗智山派の辨日山宝蔵寺がある。宝蔵寺の創建年代等は不詳であるが、境内には弁天堂、観音堂が建っており、高麗坂東観音霊場第5番札所となっている。 街道に戻って700m程進むと鎌倉街道が横切る、その名も鎌倉街道交差点があり、その先は右手に日高カントリークラブに沿った杉並木の道が800m程続いている。 杉並木を過ぎると高萩南交差点から左に分岐する旧道口があり、北に向って延びている。 旧道に入って400m程進んだ信号交差点を右に入ると、左手に八雲神社鳥居があり、塀に沿った参道を進むと社殿がある。八雲神社の由緒等は不明であるが、境内には阿夫利神社碑、石堂燈籠、大きな切り株があり、かつて大木が聳えていたことが伺える。

谷雲寺 高萩神社 JR川越線高架 金毘羅大権現
八雲神社を過ぎると100m程先左手に曹洞宗の高萩山谷雲寺(こくうんじ)がある。谷雲寺は寛永19年(1643)に創建され、境内には薬師堂のほか、石燈籠、十三重塔、地蔵菩薩などの石造物がある。谷雲寺の隣には、昭和25年に創立した高萩保育園があるが、当初は谷雲寺の本堂を解放した私立幼稚園であったという。 街道に戻るとその先は下り坂となり、直ぐ左手の高台に高萩神社がある。高萩神社の創建年代等は不詳であるが、境内に忠魂碑、慰霊碑などがあることから、近年に建てられた招魂社と思われる。 街道に戻って下って行くと小畔川の支流に架かる橋を渡り、高萩交差点を渡ると、その先は上り坂となり、JR川越線の高架下を潜っていく。 JR川越線を越えて緩やかな坂道を進むと、高萩宿に到着であり、右手に金毘羅大権現碑と安政5年(1859)の石尊大権現御神燈が建っている。ここは旅籠鶴屋跡で、高萩万次郎の家でもあり、金毘羅大権現碑(再建)は高萩万次郎が建てたものである。

旧高萩郵便局 旧家 秋葉神社 JR武蔵高萩駅
金毘羅大権現碑から150m程進むと、右手に旧高萩郵便局が建っている。高萩郵便局は、近隣7ヶ村と共に、大竹権次郎が 「七等郵便取扱役」 の辞令を受け、明治12年(1879)ここに創置された。この建物は、時代によって手が加えられた箇所もあるが、明治12年当時のものである。 旧高萩郵便局の隣に立派な旧家が建っている。この付近が高萩宿の中心辺りである。 旧家の先の左手筋を入ると、突き当りに秋葉神社がある。秋葉神社の由緒等は不明であるが、隣に高萩区相原区公会堂があり、秋葉神社の奥は光全寺の墓地になっている。墓地入口には、六地蔵尊をはじめ、地蔵菩薩立像、庚申塔、百万遍供養塔などの石造物がある。 今回はここで終了し、最寄りのJR川越線武蔵高萩駅へ出て帰宅の途に就いた。現在の駅舎は、平成17年の改築後のものであるが、かつては瓦葺の駅舎で、近くに旧日本軍航空士官学校(現自衛隊入間基地)があり、その卒業式に臨席した昭和天皇の貴賓室などがあった。

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