江戸時代の主要な通りであった日光脇往還と青梅道が扇町屋村(現入間市)の上町で合流するが、ここに建てられたのが、この道標である。当時、扇町屋村宿継場はここから北に向って、長さ6丁(654.5m)、道幅8間(14.5m)余、戸数90軒、左右に軒を連ね、三・八の日ごとに米穀や雑穀の市が立つなど賑わいを見せていた。また、日光勤番に当たる八王子千人同心が日光へ向かう昼食地であり、帰りの宿泊地でもあった。
道標は、御嶽山・本社(武蔵御嶽神社)、富士山、高尾山、大山、今熊山といった信仰の地を示す名称や、青梅、小河内原湯といった行先を示す名称が刻まれている。扇町屋村で旅籠と料理屋を営んでいた江嶋屋半六が願主となり、安政3年(1856)2月に建てられたものである。
この道標は、当時の山岳信仰の巡礼や交通の様相と、扇町屋村宿継場の盛況を伝えるものとして貴重である。
(入間市教育委員会)
安政三年(1856)丙辰二月、法眼菫斎正祐書 (裏面)
文政三(1820)庚辰 江戸笹斎文進啓書 扇町屋宿建立 (裏面)
八王子、大山 道 (左面)
馬頭観世音碑 (正面)
上町子育地蔵尊建立三百年記念碑
子育地蔵尊改築記念碑
道標を兼ねた子育地蔵尊
(左八王子みち、右???)
地蔵堂
婦し山、高尾山、大山、今熊山 道 (左面)
右 みたけ山みち 是より御本社へ七里 (正面)
青梅、小河内原湯 道
當所願主 江嶋屋半六 (右面)
扇町屋上町の道標説明