明治12年(1879)11月18日、県下秩父郡下吉田村(現秩父市)、皆野村(現皆野町)、高麗郡梅原村(現日高市)、男衾郡今市村(現寄居町)、北葛飾郡平沼村(現吉川市)、南埼玉郡鷺宮村(現鷺宮町)、北埼玉郡串作村(現加須市)の7村とともに、同家の大竹権次郎が 「七等郵便取扱役」 の辞令を受け、ここ高麗郡高萩村(現日高市)に郵便局が創置されました。開局は同年12月1日のことでした。
 郵便物は、毎日川越郵便局との間を一往復させることが規則でした。それを行う人を逓送人といいました。またそれとは別に今と同じ様に集配人が郵便物をポストから集め、各家庭に配っていました。その集配範囲は、局から遠隔地だと的場村(現川越市)、芦苅場村(現飯能市)、藤金村(現鶴ヶ島市)、および森戸、四日市場、多和目の各村(すべて現坂戸市)までの広範囲にまたがっていました。
 ちなみに、郵便事業は、明治4年(1871)東京・大阪間でスタートしました。埼玉県では翌明治5年、中山道・奥州道中の各宿場に、また近隣では川越・飯能・扇町屋(現入間市)に 「郵便取扱所」 が開設されたのが始まりでした。郵便取扱所は明治8年に 「郵便局」 と改称されました。
 なお、この 「旧高萩郵便局」 の建物は、時代によって手が加えられた箇所もありますが、明治12年当時のものです。
 明治21年(1888)4月 「市制・町村制」 が制定・公布され、翌年4月1日実姉となりました。ここに数ヶ村が合併し、地元 「高萩村」 「高麗川村」 「高麗村」 をはじめとした合併新村が全国に誕生しました。それに伴い集配範囲も変更となり、「高萩郵便局」 は高萩村・高麗川村の他、霞ヶ関村(現川越市)・大屋村(現坂戸市)となり、川越局から入間川局(現狭山市)へと所属変更となりました。
 郵便ポストは郵便局の他、各大字で指定を受け切手販売を取扱っていた家にもありました。その後の郵便局の歴史を、大竹家に残された写真から辿ってみます。 (以下略)

旧高萩郵便局の表札が掲げられた玄関

旧高萩郵便局建屋

旧高萩郵便局説明