當黒須地区は、古来霞川の氾濫による被害が沿岸随一と言われ、近くは昭和20年6月地区民必死の努力も効無く堤防は遂に崩壊され、家屋の流失のみならず尊き人名をも失いたる惨事を惹起しました。幸い国に於いても霞川改修の必要を認め去る29年当該地区改修工事を施行するに到りましたので、黒須地区としては永年水害防止に専念せる護岸組合を基盤とした新組合を結成し、協力一致して事に当たり奮って工事に参加し、将来災害を蒙ることなきよう特に堅牢なる築堤に意を用いました。改修工事の俊成を俟って旧河川敷地及び流失地等を一丸とした埋立工事を起し、以来県並びに町當局の理解ある協力を得当初の計画通り漸く完成するに至りました。都市計画見地よりしても新しき町道並びに橋梁を加え地区面目を一新し錯綜する交通を緩和するにも役立ち得たる事業として記録すると共に将来永遠に水害の無い黒須を念願する心より、茲に碑を建立したのであります。昭和32年12月吉日。

治水碑

慰霊碑

下流からみた霞橋

霞橋から見た霞川下流域

桜の名所新霞橋上流域

石川平吉妻 石川はる 当時50歳 
     長女 石川りん 当時19歳