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銚子佐原街道   (佐原~小見川


令和3年(2021)11月5日(金)   ☀    佐原~小見川    14.0㎞
11月に入り気温が高い日が続き、週末は更に天気が良くなるということで、前回(2021.10.30)の続きを佐原から再開することとした。次第に陽が短くなっているため、歩く目安は14時くらいまでとした。佐原は町並みが重要伝統的建造物群保存地区に選定され、伊能忠敬旧宅、香取神宮などの名所・旧跡がある。

諏訪神社一の鳥居 子育地蔵尊 伊能忠敬像 諏訪神社
佐原駅前から南に真っすぐに170~180m程進むと街道に建つ諏訪神社一の鳥居がある。鳥居前を左に進むのが街道であfるが、鳥居をくぐって諏訪神社へ寄って行くこととした。 鳥居の先を50m程進むと、右手に地蔵堂があり、子育地蔵尊が祀られている。地蔵堂の前には大乗妙典六十六部日本廻国供養塔、如意輪観音が刻まれた十九夜塔などがある。地蔵堂の脇の道の奥は墓地となっており、墓地入口にも大乗妙典六十六部日本廻国供養塔が建っている。 子育地蔵尊の先を諏訪神社に向かっていくと、坂道となる右手に伊能忠敬像がある。ここには伊能忠敬像の説明のほか、忠魂碑、佐原従軍紀念之碑がある。 伊能忠敬像の東側の坂道を挟んだ所に諏訪神社参道口があり、二の鳥居が建っている。諏訪神社は、朱雀天皇天慶4年、大神朝臣惟季が純友の乱鎮定の功績により下総国大須賀荘領主に任ぜられ、領内鎮護の神として信濃国諏訪大社より勧請したものである。境内には市守社、金刀比羅神社、土盛稲荷社、水神社などの境内社のほか、たくさんの石祠がある。

荘厳寺 馬場酒造 東薫酒造 法界寺
諏訪神社の奥を登り詰めると真言宗の諏訪山荘厳寺がある。荘厳寺は、伊能家の氏神諏訪大明神が佐原村の鎮守となり、その別当寺として開かれたと言われている。荘厳寺には国指定重要文化財の十一面観音菩薩立像が祀られており、また平成27年度には菅谷不動尊像(みしるし不動尊)を本堂にお祀りしている。境内には観音堂、地蔵堂のほか、たくさんの青面金剛の庚申塔がある。 街道に戻って諏訪神社一の鳥居の先を進むとT字路に突き当たる。街道は左に進むが、右筋の突き当りに法界寺があるので寄って行くことにした。この途中の右手に馬場酒造がある。馬場酒造は、天保13年(1842)創業の酒造店で300年に渡り佐原の地で伝統の製法を守って来た。 続いて右手に東薫酒造がある。東薫酒造は、文政8年(1825) に創業した200年近い歴史を持つ酒造店である。 東薫酒造の先の突き当りに浄土宗の理智山照徳院法界寺がある。法界寺は、天正11年(1583)に、旭蓮社天誉上人により開創したと伝えられている。境内には、江戸末期の儒学者葛井文哉の墓碑、獄中で 「朝日逆島記」 を書き上げた佐原喜三郎の墓碑などがある。

伝統的建造物 忠敬橋 伊能忠敬旧宅 八坂神社
街道に戻ってT字路を左折して重要伝統的建造物群保存地区の商家などが建ち並ぶ街道を進んでいく。 直ぐ先で小野川に架かる忠敬橋を渡る。忠敬橋の上流には伊能忠敬記念館、伊能忠敬旧宅がある。佐原の町は小野川の舟運を軸に発展してきており、小野川流域は商家などの古い建物も立ち並び、趣きある風景になっている。。 忠敬橋の上流左側に伊能忠敬旧宅がある。現在は、店舗・正門・書院・土蔵が国指定史跡に指定されている。敷地内には、江戸時代に造られた農業用水路が残り、庭には伊能忠敬像、家訓碑がある。 忠敬橋の先で佐原三菱館、佐原町並交流館の前を通り250~60m程進むと、左手に八坂神社がある。八坂神社は、かつて佐原諏訪山近傍の天王台に創建され、天和年間(1681-84)に現在地へ遷座したといわれている。境内には、水天宮、三峰神社、豊川稲荷などの境内社がある。

香取神宮 勝徳寺 浅間神社 巡礼道標
八坂神社から程なく香取神宮入口交差点に出て街道は左折するが、このまま直進すると800m程先に香取神宮一の鳥居が道路を跨いで建っている。一の鳥居から1.3㎞先に香取神宮がある。創建は神武天皇の御代18年と伝えられ、祭神は日本書紀の国譲り神話に登場する継津主大神(ふつぬしのおおかみ)である。本殿は元禄13年(1700)徳川綱吉が造営したといわれる。 街道に戻って香取神宮入口交点を左折し、直ぐ先の十字路を右折すると、左手筋の奥に真言宗豊山派の出興山勝徳寺がある。勝徳寺の創建年代等は不詳であるが、境内には荒久弁財天、於澤稲荷、荒久天満宮の境内社のほか、明和7年(1770)の宝篋印塔、享保9年(1724)の地蔵菩薩などがある。 勝徳寺の先を250m程進むと、左手筋に仁井宿区の山車庫が見え、その奥に浅間神社がある。浅間神社は、古墳の後円部の真上に建っている。 街道に戻って150~60m程進むと、右手筋角に道標が建っている。この道標は、天明3年~4年にかけて願主真永が、滑河観音から銚子飯沼観音まで12基建てた巡礼道標の一つである。

惣持院 宗勝寺 街道町並み 八坂神社
先に進んで県道55号佐原山田線を越えて200m程先の右手筋を入って行くと、真言宗智山派の惣持院がある。惣持院の創建年代等は不詳であるが、境内には、正元元年(1259)の紀年名をもつ板碑が安置されている。 街道に戻ると50~60m程先左手に日蓮宗の法中山宗勝寺がある。宗勝寺は、中山法華経寺第3世日祐上人が、八幡宮の境内に草庵を設け説法したのが始まりといわれる。境内には、鬼子母神堂があり、南無妙法蓮華経題目碑が並んでいる。 宗勝寺を過ぎると街道は東北東に進むこととなり、全体的にほぼ逆光となる。歩道はないが、車の往来が激しいわけではなので、比較的歩きやすい道である。 宗勝寺を過ぎて150m程進むと、右手筋の奥に八坂神社がある。八坂神社の創建年代等は不詳であるが、境内には石尊宮・金毘羅の扁額が掛かった境内社のほか、青面金剛の庚申塔、石祠などの石造物がある。

石造物 子育神社 旧道口 遍照院
街道に戻って進むと250m程先左手に小さな墓地があり、その一角に青面金剛の庚申塔、如意輪観音を刻んだ十九夜塔などが安置されている。 更に300m程先の右手に子育神社がある。子育神社は、地蔵堂のような拝殿であるが、傍らには子供を抱いた観音像、境内社の稲荷社がある。 子育神社の向い側に旧道口がある。旧道はJR成田線の西谷踏切を渡って、その先を右折して長閑な集落の中を進んで行く。この旧道は600m程先で子育神社前から来る道に合流する。 子育神社前から回り込んできた道との合流地点に遍照院がある。地図上では遍照院と記載されているが、この小さな御堂は墓地の中に建っている。一角には鳥居が建つ小さな御堂があり、その前にたくさんの庚申塔が安置されている。

道標 龍性院跡 沖宮神社 東の宮(忍男神社)
遍照院の先で根本川に架かる川尻橋を渡ると、国道356号(利根水郷ライン)に合流する。合流して直ぐ右手筋に道標が建っている。はっきり読めないが、「北潮来鹿島方面、南香取神宮、東小見川町約二里、西・・約一里」 と刻まれている。 道標の建つ筋を100m程南に入って行くと、右手に龍性院跡(行屋)がある。龍性院は、明治初年の廃仏毀釈で廃寺となった。墓地の前には、念佛道場の石碑が建ち、墓地の奥には地蔵堂が建っている。 龍性院跡から更に100m程南に進むと、十字路手前に沖宮神社がある。沖宮神社は香取神宮境内外末社の一つである。 沖宮神社の建つ十字路の斜向かいに東の宮(忍男(おしお)神社)がある。東の宮は、香取神宮表参道沿いの津宮字東宮に鎮座し、香取神宮の摂社で伊弉諾命を祭っている。創建は古く不詳であるが、現在の社殿は慶長12年(1607)に徳川幕府により造営されたものである。西の宮とともに浜手守護といわれている。

西の宮(膽男神社) 千仏寺 浜鳥居 地蔵菩薩
東の宮の西方150m程のところに西の宮(膽男(まもりお)神社)がある。東の宮の西方、根本川を挟む津宮字西宮に鎮座し、香取神宮の摂社で大己貴命(おおなむらみこと)を祭るのが西の宮である。東の宮と同時に造営された。東西両宮とも浜手守護の神といわれている。 沖宮神社前の十字路まで戻って東に100m程進むと千仏寺がある。堂宇は、千仏寺と毘沙門堂が一体となったもので、境内にはたくさんの十九夜塔などの庚申塔がある。 街道に戻ると利根川堤防に鳥居の頭が見える。これは香取神宮表参道の一の鳥居であり、利根川の津宮河岸に建っている。堤防には、明和6年(1769)の常夜燈、与謝野晶子歌碑が建っている。 街道に戻ってどんどん進み、途中、香取駅入口交差点を過ぎて、更に800m程進んだ右手の民家前に地蔵堂があり、中に一体の地蔵菩薩立像が安置されている。ここまでの道は大型トラックが行き交い、歩道がないので注意して進む必要がある。地蔵堂の先には、JR鹿島線の高架が見えている。

玉田神社鳥居 側高神社 東関東自動車道 巡礼道標
JR鹿島線の高架を過ぎて400m程の右手に、玉田神社の鳥居が建っている。玉田神社は、ここから500m程登った山中にあるので、あきらめて先を急ぐこととした。 玉田神社鳥居から600m程先の側道に側高神社入口の看板が建っている。側高神社は、右手のJR成田線を渡って300m程の坂道を上った左手にある。この神社は香取神宮の第一の摂社であり、古来より永く崇敬されてきた。境内には、占いに使われたという四箇の甕、二十三夜庚申石祠などがある。 街道に戻ると前方に東関東自動車道の高架が横切っている。東関東自動車道は、東京都を起点とし茨城県水戸市および千葉県館山市を終点とする高速道路であり、地図上ではE51と表示されてる。 東関東自動車道の高架を過ぎた辺りに、天明3年~4年にかけて願主真永が、滑河観音から銚子飯沼観音まで12基建てた巡礼道標の一つがあるということだが、道路の右左を探しても見つからなかった。

石碑 道路元標 須賀神社 水郷駅
先に進んで行くと、左手の香取警察署大倉駐在所の東側にある香取市消防団佐原第3支団第一分団の脇に、徳本の南無阿弥陀仏名号碑、出羽三山碑、二十三夜塔が建っている。 石碑のある場所から直ぐ先に信号交差点があり、旧道はここを右に入るが、100m程先で国道356号に合流する。この旧道口に大倉村道路元標が建っている。 国道356号に合流して200m程進んだ右手筋を入り、JR成田線の今西踏切を渡ると、線路脇に須賀神社がある。須賀神社の創建年代等は不詳であるが、境内には天保16年(1845)の子育観音菩薩や如意輪観音などの石碑がたくさんある。 街道に戻ると右手に成田線の水郷駅が見える。水郷駅は、平成5年に中世ヨーロッパ風の駅舎に改築され、駅舎には地域のコミュニティプラザ談話室がある。

三ノ分目大塚山古墳 熊野神社 地蔵尊 巡礼道標
水郷駅を過ぎて凡そ1.3㎞程進んだ信号のあるY字路を右に入ると、左手に三ノ分目大塚山古墳がある。この古墳は全長123mの前方後円墳で、後円部の墳頂は共同墓地になっているが、その傍らには石棺に使われた板石が3枚立っている。 街道に戻って進むと500m程先の右手に熊野神社がある。熊野神社は、大正6年(1917)に本殿・拝殿を改築し、豊浦神社と改称したが、その後、水神社を合祀して熊野神社として登記され現在に至っている。境内には、三峯神社、元禄10年(1697)・天明5年(1785)の稲荷社石祠などがある。 熊野神社の先をどんどん進んでいくと、左手のココス小見川店の駐車場角に小さな地蔵尊が建っている。交通安全地蔵尊であろうか。 地蔵尊の道路を挟んだ向かい側に道標が建っている。この道標は、天明3年~4年にかけて願主真永が、滑河観音から銚子飯沼観音まで12基建てた巡礼道標の一つであり、飯沼観音江七里と刻まれている。

浄福寺 諏訪大神 御大典記念碑 不動堂
巡礼道標の建つ筋を南に入っていくと、右手に浄土宗の巨徳山光明院浄福寺がある。浄福寺は、慶長2年(1250)、記主禅師然阿良忠上人が開山といわれている。境内には、地蔵堂のほか、地蔵教一万部供養成就塔、馬頭観音などがある。 街道に戻って350m程進むと、右手の香取市消防団小見川支団第4分団の建屋の隣に諏訪大神がある。諏訪大神は、小見川城主粟飯原式部太夫胤秀により創建され、天正18年(1590)、小見川城廃城の際に当地に移されたと伝えられている。境内には、出羽三山碑、青面金剛の庚申塔、榛名山大権現石祠などの石造物がある 諏訪大神から程なく信号のあるT字路右手に昭和3年(1928)の御大典記念碑が建っている。記念碑は、道標を兼ねており、「北 大倉村津之宮方面、西 分郷神里村方面、東 重川町笹川町銚子町方面」 と刻まれている。 御大典記念碑から50m程先、左手に不動堂がある。不動堂の由緒等は不明であるが、境内には手水舎、比較的新しい狛犬が建っている。

阿弥陀三尊 八坂神社 姫宮大神 金剛寺
不動堂から250~60m程先、左手の田んぼの中に石造物が見える。あぜ道を通って近づくと、農道の脇に阿弥陀三尊が祀られている。両脇に建つ大乗妙典六十六部日本廻国供養塔から、これらは文化12年(1815)に建てられたものらしい。 街道に戻って600m程先に進むと、Y字路にある飯森石油(株)小見川給油所の向いに八坂神社がある。八坂神社の由緒等は不明であるが、境内には水神宮、三峯神社の境内社ほか、出羽三山碑、青面金剛の庚申塔などがある。 八坂神社から150m程先の右手筋を入ると、左手に姫宮大神がある。姫宮大神の由緒などは不明であるが、境内には本郷区区民会館があり、文殊堂と記された表札が掛かっている。傍らには、阿夫利神社碑、青面金剛の庚申塔、十九夜塔などの石造物がある。 街道に戻り150~60m程先の右手筋を入ると、右手に真言宗智山派の海龍山金剛寺がある。金剛寺の創建年代等は不詳であるが、境内には子安観音、聖観音菩薩立像、弘法大師像などがある。

正福寺 善光寺 須賀神社 大橋
街道は、金剛寺を出て直ぐ左手筋へ曲がっていく。50m程進んだ左手に、真言宗智山派の正慶山正福寺がある。正福寺は、天正2年(1730)行基によって開山したといわれている。境内は一面舗装され、鐘楼が建っているのみで、広々としたすっきりした感じで、墓地前に二十三夜塔などがある。 正福寺の東に隣接して天台宗の寿永山宝珠院善光寺がある。善光寺は、天正4年(1576)信州善光寺の沙門清賢法師が開山したと伝えfられている。境内には薬師堂、その傍らに多くの二十三夜塔などの石造物があり、墓所には初代松本幸四郎の墓、恋の願い事が叶えられるという腹切り様の墓などがある。 善光寺の近く南側に須賀神社がある。須賀神社は、粟飯原氏の創建による神社で、宗族門葉の祈願所とした。祭神は素戔嗚命である。境内には、神楽殿のほか、元禄年間に建立されたという水天宮、御嶽神社などの境内社がある。 街道に戻ると直ぐ先で黒部川に架かる大橋を渡っていく。黒部川は、香取市と旭市に源を発し、小見川市街地を流れ、下流は利根川に合流している。

赫々水神宮 金刀比羅神社 小見川駅
大橋を渡って350~60m程進んだ左手筋を入ると、赫々水神宮がある。赫々水神宮の詳細は不明であるが、鳥居の奥には文政4年(1821)の水神宮石祠と赫々水神宮碑が建っている。 街道に戻って進むと150m程先のT字路突き当りに金刀比羅神社がある。金刀比羅神社は、文化2年(1805)に讃岐金刀比羅宮より勧請されたと言われている。境内には、芭蕉句碑のほか、子安観音、石尊大権現、庚申塔などの石造物がある。今回は、ここで終了し、最寄りの小見川駅から帰宅の途に就いた。 小見川駅は、昭和6年(1931)に旅客・貨物取扱いの国鉄の駅として開業した。

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