香取市一ノ分目・三ノ分目・富田地区の利根川に沿った微高地上には10数基以上の古墳が確認されてており、「豊浦古墳群」 と総称されています。中でも最大の本古墳は、墳丘の全長が123mの前方後円墳で、後円部の径68m・高さ9.5m、前方部の幅62m・高さ7.5m、墳丘は三段に築かれ、現在のところ、利根川(旧鬼怒川)下流域最大で、千葉県内でも屈指の規模を誇ります。また、墳頂と各段の平坦部には円筒埴輪列や朝鮮形埴輪が確認されています。
 後円部の墳頂は共同墓地となっていますが、その傍らに大きな板石が3枚立っています。これは石棺に使われた石材で、底石には側壁石と小口石を載せるための溝や切り込みがあります。この石棺は長持形石棺と呼ばれ、畿内では5世紀の大王や大豪族級の大型古墳に採用された形式です。しかし、この石棺がいつ、どのような経緯で掘り出されたのか、副葬品は何があったかなどは、残念ながら分っていません。
 本古墳は、墳丘の形、埴輪や石棺の特徴などから、古墳時代中期の5世紀中ごろに築造されたと考えられます。香取地域においても、強大な勢力をもつ首長がいたことを物語る古墳で、香取市のみならず、関東地方を代表する中期古墳です。
 (香取市教育委員会)

墳頂にある石棺板石

墳頂にある石棺板石

後円部へ登る石段

三ノ分目大塚山古墳

三ノ分目大塚山古墳説明