伊能忠敬先生は、1745年、いまの千葉県九十九里町で生まれましたが、17歳で佐原の伊能家の後継ぎとなり、以後30年余りこの町で暮らしました。
 そして、50歳になってから江戸へ出て西洋流の天文学を学び、55歳のときから、幕府の命によって、何回も測量旅行に赴き、17年もかかって、全国の海岸線を測量して精密な地図をつくりました。
 先生は測量旅行のたびごとに、その地方の地図をつくり、最後にその総まとめとして日本全図をつくりはじめました。1818年、江戸において先生は73歳で亡くなりましたが、日本全図は、弟子たちの協力によって、その3年後に完成しました。
 日本の国土の正確な形は、忠敬先生によって、はじめて明らかにされました。
 この銅像は、忠敬先生の測量中の姿で、1919年(大正8年)に建てられました。
 台石の文字は、漢学者塩谷時敏先生が書かれたもので、「仰いでは斗象(とじょう)を瞻(み)、俯しては山川を書く」 とあり、意味は 「天体の観測を行って、りっぱな地図をつくった」 ということで、忠敬先生の功績をたたえています。

伊能忠敬像

右から佐原従軍紀念之碑、忠魂碑

伊能忠敬先生の銅像説明