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銚子佐原街道   (滑河~佐原


令和3年(2021)10月30日(土)   ☀    滑河~佐原    18.0㎞
今年(2021)は新型コロナウイルスの感染が広がり、第3波、第4波、第5波と次第に大きな波となったが、9月に入って次第に感染者数は激減し、9月30日には全国都道府県で緊急事態宣言が解除された。やっと街道歩きも始められることとなり、前回(2020.2.4)の続きで滑河から先を歩くこととした。

滑河駅 真城院 観音堂 明光観音堂
都内から滑河までは、乗り継ぎがうまくいっても2時間20分ほどかかり、滑河駅には7時40分に到着した。
滑河駅は、明治30年(1897)に開設した駅で、平成17年には木造駅から鉄筋コンクリート造りの駅舎に改築された。駅から街道までは南東に130mほどである。
街道を先に進むと水路に架かる境橋があり、境橋を渡ると、この水路に沿った道を進むことになり、200mほど先の十字路を横断すると、左手に天台宗の高岡山真城院がある。真城院の創建年代等は不詳であるが、門前の街道を挟んだ向かいに弁天堂がある。御堂の前に御前立の弁財天があるが、御堂の中の弁財天は秘仏である。 弁天堂から250mほど先の左手筋を入っていくと観音堂がある。境内には大師堂があり、その脇に昭和14年(1939)の馬頭観音が建っている。 街道に戻って進むと、左手の(有)明光園建設の前に明光観音堂がある。

天満宮 星宮神社 大師堂 龍安寺
明光観音堂から程なく、左手に天満宮がある。鳥居の脇には高岡陣屋之蹟碑があり、奥の段上に天満宮の社殿がある。天満宮の西側のJAかとり下総支店の所に高岡藩陣屋があったが、遺構は残されていない。 街道に戻って先に進み、右手段上にある高岡運動施設の脇を右に入ると、右手に星宮神社がある。 街道に戻ると直ぐ右手に大師堂があり、弘法大師像と如意輪観音像が祀られている。御堂の脇には庚申塔、石祠、如意輪観音などの石造物が並んでいる。 大師堂から150~60m程先の右手に安産子育如意輪観世音楽満寺道と刻まれた道標があり、その先を200m程進むと、右手に曹洞宗の祥雲山龍安寺がある。龍安寺は大和田内膳が開基となり、天文23年(1554)に創建されたといわれている。龍安寺は、常陸新四国八十八ヶ所となっており、境内には大師堂のほかたくさんの石造物がある。ちなみに道標に刻まれた楽満寺は更に1.9㎞程先にある。

地蔵堂 地蔵堂 妙見神社 大師堂
街道に戻って260~70m程進むと、左手に地蔵堂がある。御堂には地蔵菩薩立像が安置され、御堂の前には如意輪観音像と寛政4年(1792)の文字常夜燈が建っている。 地蔵堂を過ぎると左手は田園地帯が広がり、およそ500m程先右手に地蔵堂がある。地蔵堂には六地蔵石幢が安置され、御堂の脇には香炉と文字常夜燈などが建っている。 地蔵堂から250~60m程進んだ右手のジャンボラーメンの脇の筋を入って坂道に入ると、坂の途中左手に妙見神社がある。妙見神社は、インドの菩薩信仰が、中国で道教の北極星信仰と習合して日本に伝来したものである。 妙見神社から坂道を下ると、右手に高青年館があり、その庭先に大師堂があり、周囲には如意輪観音像や地蔵菩薩立像、観音堂などがある。

地蔵堂・巡礼道標 弁天堂 篠塚神社 稲荷神社
街道に戻って200mほど進むと、右手に入る旧道があり、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の高架を潜り抜けた先の右手に地蔵堂がある。地蔵堂には地蔵菩薩立像、聖観音菩薩像、飯沼観世音江十二里と刻まれた道標が安置されている。この道標は、天明3年~4年頃にかけて願主真永が、滑河観音から銚子飯沼観音まで12基建てた巡礼道標の一つである。地蔵堂の前にも明治45年(1912)の道標が建っている。
地蔵堂から300mほど進むと、JR成田線の小松県道踏切の手前右手の弁天島の奥に弁天堂がある。 JR成田線の小松県道踏切を渡って程なく左手筋を入ると、右手に篠塚神社がある。篠塚神社は、延宝5年(1677)小松領主城信茂が新田義貞の遺臣篠塚伊賀守を祀ったことから創建された。 街道に戻って50~60m程進むと、左手の生垣の中に稲荷神社がある。うっかりすると見過ごしてしまうほど小さな神社である。

能照寺 石祠 石祠 神崎コミュニティセンター
稲荷神社から200mほど先の左手路地を入ると、右手に真言宗豊山派の松曜山能照寺がある。能照寺の創建年代等は不詳であるが、小ぶりな本堂の脇に墓地があり、宝篋印塔などの石造物が並んでいる。境内には小松コミュニティセンターが建っている。能照寺の北側に小規模な成就院・浄専寺・八坂神社などがある。 街道に戻ると右手に田園が広がり、その先で緩やかに左に曲がっていくと、今度は左手に田園が広がっている。この辺りの右手の木の根元に石祠が建っている。 更に進んで行くと、左手に筑波山が遠くに見え、神崎天の川公園入口を過ぎると、神崎小学校入口交差点の右手に石祠が3基並んでいる。 神崎小学校入口交差点から150m程先の右手に神崎コミュニティセンターがある。この敷地内に墓地があり、六地蔵尊や観音菩薩像などが立っている。

天満宮 神崎神社 亀甲槙 道祖神(石祠)
街道に戻って進むと国道356号の神宿交差点に出る。街道は国道356号を右折して行くが、神宿交差点を渡ると右手に八坂神社がある。八坂神社は正徳2年(1712)に創建されたと言われ、古くは天王様と呼ばれて信仰されていた。 神宿交差点を右折すると、直ぐ左手に神崎神社の鳥居があり、段上の奥に社殿がある。神崎神社の創建年代等は不詳であるが、社伝によると白鳳2年(673)常陸国下総国の境、大浦沼の二つ塚よりこの地に遷座したと云われる。参道には金刀比羅宮・三峯神社があり、境内には天然記念物の大樟 「なんじゃもんじゃの木」 が聳えている。延宝2年(1674)水戸光圀が参拝の折、「この木は何というもんじゃろ」 と自問したということから、そう呼ばれるようになったという。

街道に戻ると270~80mほど先の右手に、元禄2年(1689)創業の鍋屋源五右衛門こうざき東蔵店がある。鍋屋源五右衛門店の向いの筋を入ると、推定樹齢数百年という天然記念物の亀甲槙(イヌマキ)がある。 亀甲槙から程なく左手の読売センター神崎久松新聞店の脇に道祖神(石祠)4基が並んでいる。

道祖神 神崎寺 道祖神 道標?
更に150~60m程進むと、右手に鳥居があり道祖神が祀られている。ここには小さな石祠の他に、青面金剛の文字庚申塔、普門品供養塔などがある。 道祖神から程なく、右手に真言宗醍醐派の大日山東照院神崎寺(神崎大師)がある。神崎寺は、江戸末期に建立され、当初は天台宗に属していたが、明治期に一時衰微し、その後、昭和に入り修験僧の秀宝が伽藍を再建し現在に至っている。
本尊は不動明王であり、毎年、利根川河川敷で火渡り修行が開催されている。本堂は高台に位置し、街道を見下ろすような場所にある。
街道に戻って100m程進むと、左手の木の根元に道祖神の石祠2基と道祖神と刻まれた石塔が建っている。 先に400m程進むと右手のナリタヤ神崎店の脇に道標と思われる石碑が2基建っている。

道標 道祖神 八坂神社 稲荷神社
神崎駅入口交差点を過ぎると、JR成田線の郡県道踏切があり、ここから街道はJR成田線の南側を通っていく。踏切を渡ると直ぐ右手の空地奥に地蔵菩薩を刻んだ延享2年(1745)の道標が建っている。 道標から60m程先の郡駐在所横交差点の右手に道祖神が建っている。 郡駐在所横交差点の直ぐ先左手に八坂神社がある。八坂神社の創建年代等は不詳であるが、拝殿奥には小振りではあるが、立派な本殿が建っている。 八坂神社から100m程先の右手に稲荷神社がある。社殿は20段ほど上がった段上にある。

旧道口 道祖神 石塔 道標
稲荷神社から程なく右手に分岐する旧道口があり、旧道口手前の右手斜面に道祖神の石祠が建っている。旧道に入ると正面に小山が見えるが、街道はこの小山を右側から回り込んでいく。この小山は天神山と呼ばれ、頂上に天満宮が祀られている。 旧道口から300m程進んだT字路右手の木の下に道祖神と思われる石祠が祀られている。道祖神から直ぐ先右手には出羽三山碑が建っている。 出羽三山碑から程なく右手にブッロクで囲われた中に文政と刻まれた石塔が建っている。供養塔かもしれない。

先に進むと天神山を左に回り込むY字路に昭和3年(1928)の半分埋もれた道標が建っている。

天満宮 巡礼道標 道標? 旧道口
この小山付近には、藤堂氏の大貫陣屋が築かれていたという。慶長4年(1599)徳川家康から藤堂高虎の弟正高が三千石を賜り、元和5年(1619)に伊勢国津藩領となってからも継続して陣屋が置かれていた。天神山には天満宮が祀られ、一角には下総国香取郡藤堂氏旧封邑之碑が建っている。 天神山を回り込んで田んぼの中の道を進み、南北に流れる水路を超えて更に進んでいくと、右手の香取市消防団佐原第1支団第3分団第3部の建屋の脇に道標などの石造物が建っている。この道標は、天明3年~4年頃にかけて願主真永が、滑河観音から銚子飯沼観音まで12基建てた巡礼道標のうちの一つである。道標には、天明4年(1784)飯沼観世音江十一里と刻まれている。 更に400m程進んでいくと、Y字路に建つ扇寿司店の前に道標らしき石碑があるが、文字は判読できない。 直ぐ先で国道356号に合流するが、50m程先で右手に入る旧道口がある。

天満宮 八幡神社 今宮神社 観音堂
旧道に入って行くと直ぐ右手に佐原堀之内郵便局があり、その先の右手筋を入っていくと天満宮がある。天満宮の創建年代等は不詳であるが、木製鳥居の先を進むと広場の中央に赤い屋根の天満宮がある。 天満宮の南側に八幡神社がある。八幡神社の創建年代等は不詳であるが、社殿は立派なものであり、弁財天などの境内社も建っている。 旧道に戻って進み、左手の墓地を過ぎた所で左折して行くと、国道356号に合流する。国道356号に合流して程なく、JR成田線の谷中県道踏切を渡り、ここから再び、街道はJR成田線の北側を通っていく。谷中県道踏切を渡って250mほど進むと、左手に今宮神社がある。境内には青面金剛の庚申塔、如意輪観音が刻まれた十九夜塔などの石造物がある。 今宮神社から250mほど先の千葉県香取警察署大戸川駐在所の前から旧道が並行している。この旧道は450mほど先で、再び国道356号に合流するが、旧道の途中左手に墓地らしきところがあり、ここに観音堂があり子供を抱いた観音像が安置されている。傍らには如意輪観音を刻んだ十九夜塔が沢山ある。

稲荷神社 八坂神社 宝聚院 稲荷神社
旧道が国道356号に合流する右手に稲荷神社がある。稲荷神社は、国道356号に面しているので旧道からは確認できない。 国道356号に合流して間もなく、派川大須賀川に架かる大橋がある。派川大須賀川は、大須賀川の旧流j路であり、下流で利根川に注いでいる。大橋を渡ると、直ぐ左手に八坂神社がある 八坂神社の北側に隣接して真言宗豊山派の塩島山宝聚院がある。宝聚院の創建年代は寺伝によると、元和元年(1615)頃神呼上人の開基と伝えられるが、参道脇には明応2年(1493)の阿弥陀並立図像板碑・寛政12年(1800)の阿弥陀三尊種子板碑などの石造物がある。 宝聚院から100m程進むと、左手に大戸川の稲荷神社がある。神門には正一位稲荷大明神の扁額が掛かり、境内には2連の板碑や如意輪観音を刻んだ十九夜塔などがある。

下宿橋 観音堂・道標 佐原デジタルテレビ電波塔 旧道口
稲荷神社から程なく大須賀川に掛かる下宿橋がある。大須賀川は成田市・香取市・香取郡神崎町を流れる利根川水系の一級河川である。 下宿橋を渡り170~80m程先の大戸一本松交差点の手前の民家前に観音堂と道標が建っている。道標には、右江戸なめ川道、左大戸道と刻まれている。また大戸一本松交差点には石祠の道祖神が安置されている。 大戸一本松交差点の先を進むと右手の田園地帯に佐原デジタルテレビ電波塔が見えてくる。電波塔は平成7年(1995)竣功で、塔の高さは238mである。 先に進むとTOSHIBA電化ショップスガヤの向いから、右手に入る旧道口がある。この旧道は250m程先で国道356号に合流する。

六地蔵尊 大法寺 八幡宮 満福寺・巡礼道標
旧道が国道356号に合流する手前の左手に六地蔵尊が並んでいる。六地蔵尊の前は墓地と思われ、小さな供養塔が10基程まばらに並び、墓地の横には森戸上宿集会所が建っている。 国道356号に合流して間もなく、左手に日蓮宗の妙栄山大法寺がある。大法寺の創建年代等は不詳であるが、境内には観音菩薩を刻んだ板碑や墓地横の段上に境内社がある。 街道に戻って200m程進むと、左手に八幡宮がある。八幡宮の由緒等は不明であるが、境内には香取神宮、鹿島神宮、稲荷神社の境内社の他、石祠などの石造物がある。 八幡宮の東側に隣接して真言宗豊山派の能満山満福寺がある。満福寺の創建年代等は不詳であるが、満福寺は佐原八十八ヶ所札所第39番となっている。山門前には、天明3年~4年頃にかけて願主真永が、滑河観音から銚子飯沼観音まで12基建てた巡礼道標が建っている。道標には、天明3年(1783)飯沼観世音江十里と刻まれている。また境内には観音堂があり、子育観音菩薩が祀られているほか、青面金剛の庚申塔などがある。

観音堂 第六天王 稲荷神社 旧道口
街道に戻って100m程進むと、左手に観音堂がある。御堂には観世音の扁額が掛かり、御堂内には厨子が2つ祀られている。 続いて70~80m程先の左手に第六天王がある。大六天王は神仏習合時代に第六天魔王を祀る神社として、主に関東地方を中心に分布している。 更に第六天王から250m程進むと、左手に赤い鳥居が目立つ稲荷神社がある。 稲荷神社の先で森戸県道踏切を渡ると、右手の佐原生花市場のところから右に入る旧道がある。この旧道は100m程先で消滅しているため、途中で国道356号に復帰する。復帰して300m程の所で左に入る旧道がある。

愛宕神社 稲荷神社 佐原バイパス 密蔵寺
旧道に入って直ぐ左手に愛宕神社がある。愛宕神社の創建年代等は不詳であるが、石の鳥居は嘉永3年(1850)と刻まれており、由緒ある神社だと思われる。社殿は石段を上がった高台にあり、ここからの眺望は良い。 愛宕神社の東側に隣接して稲荷神社がある。稲荷神社の創建年代は景行天皇40年(110)と伝えられ、中世の岩ケ崎城郭跡を神域としている。一帯はスダジイの優占する森林で香取指定文化財天然記念物に指定されている。本殿はかなり立派な造りになっており、疱瘡神宮の石祠などがある。 稲荷神社を過ぎると前方を佐原バイパスが横切っている。この道は国道51号で千葉市中央区から水戸市に至る128㎞の一般国道である。 佐原バイパスの手前右手に真言宗智山派の先崎山密蔵寺がある。密蔵寺の創建年代等は不詳であるが、天正9年(1581)に没した神誓和尚が中興と言われている。


即翁寺 水源橋 諏訪神社大鳥居 佐原駅
佐原バイパスをくぐって進むと、右手に曹洞宗の延命山即翁寺がある。逆光で全てが良く見えない。即翁寺の創建年代等は不詳であるが、六地蔵尊、涅槃仏など石造物は全て新しい。 即翁寺から150m程先に水源橋がある。 水源橋から500m程進むと、右手に諏訪神社大鳥居が建っている。今回はここ終了し、最寄りの佐原駅へ出て帰宅の途に就いた。 佐原駅は明治31年(1898)に開業した駅で、千葉からは56㎞のところに位置する。駅舎は平成23年に和風に整備され、駅前広場には、この地の偉人 「伊能忠敬像」 が建っている。

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