境内社の桜大刀自神社
境内社の匝瑳神社
天真正伝神道流(香取神道流)は、室町時代に形成され、以来、中条流・影久流・鹿島神道流などが誕生し、我が国最古の権威ある流儀として知られている。
始祖である飯篠長威斎家直は、旧飯笹村(現香取郡多古町飯篠)に生まれ、後に、旧丁子村山崎(現香取市)に住み、香取神宮境内の梅木山不断所で、剣法の奥儀を極めたと伝えられている。
一時、将軍足利義政に仕えたが、帰隠し、長享2年(1488)4月15日没した。
墓碑は緑泥片岩であり、上部を欠き、高さ91㎝、幅49.5㎝で、「飯篠伊賀守長威大覚位」 の陰刻がある。
(千葉県教育委員会)
この表門は、江戸時代の天明元年(1781)に香取神宮大宮司邸の表門として建てられたことが棟札によって知られています。大宮司邸は勅使を迎える斎館の役目もあったと考えられますが、残念ながら昭和23年に焼失し、この表門だけが残りました。
規模は桁行3間(21.075尺)、梁間2間(12.35尺)で、形式は一重の切妻造、茅葺き四脚門です。
この門は、建ちの高い大規模な茅葺きの門で、香取神宮の大宮司家の格式を示し、また、比較的少ない社家建築の遺例として重要であるとされ、平成7年に香取市指定有形文化財に指定されました。香取神宮境内に遺る唯一の茅葺屋根の建造物として保存されています。
御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)
大神は天照大神の御神勅を奉じて国家建設の基を開かれ国土開拓の大業を果された建国の大功神であります。故に昔から国民の崇敬非常に篤く、国家鎮護、国運開発の神、民業指導の神、武徳の祖神として広く仰がれて居ります。
御創祀は神武天皇十八年と伝えられ、現在の社殿は元禄13年の御造営にもとづくものです。
明治以降は、官幣大社に列せられ、毎年4月14日の例大祭には宮中より勅使が参向される勅祭の神社であります。
天真正伝神道流始祖飯篠長威斎説明
香取神宮由緒
香取神宮勅使門(神徳館表門)説明
香取神宮奥宮鳥居
経津主大神の荒魂を祀る奥宮本殿
奥宮玉垣拝殿
神楽殿
手水舎
元禄13年(1700)徳川綱吉造営の楼門
境内社の鹿島新宮
境内社の諏訪神社
元禄13年(1700)徳川綱吉造営の本殿
神饌殿
香取神宮拝殿
狛犬
狛犬
石鳥居
総門
香取神宮鳥居
香取神宮勅使門
香取神宮参道口
石灯籠が並ぶ参道坂道
要石
(地震を起こす大鯰を抑えるため地中深くまで差し込んであるとされる霊石)
要石の側にある境内社の押手神社
天真正伝神道流始祖飯篠長威斎(いいざきちょういさい)の墓
楼門に掛かる東郷平八郎書の香取神宮の扁額