利根川図志(1855)に 「佐原は、下利根附第一繁盛の地なり、村の中程に川有りて、新宿、本宿の間に橋を架す、米穀諸荷物の揚げさげ、旅人の船、川口より此処まで、先を争い、両岸の狭きをうらみ、誠に、水陸往来の群集、昼夜止む時なし」
と記してある。
江戸時代の佐原は 「小江戸」 と呼ばれ、この周辺の町並みには、国指定史跡伊能忠敬旧宅や県指定有形文化財小堀屋本店舗、正文堂書店店舗をはじめ、土蔵造りの古い商家がある。
また、関東三大祭りの一つとして数えられる 「佐原まつり」 は、豪華絢爛を競い、山車で奏される県指定無形民俗文化財佐原囃子は、水郷情緒を代表するものである。
樋橋は、江戸時代の初期、佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋をつくり小野川に架けられたものです。
もともとこの橋は、人を渡すためにつくられたものではなく、後に大樋を箱型につくり、丸太の手摺を付け板を敷いて、人が渡れるようになりました。
橋の名は、大樋でつくられたので樋橋といい、また大樋から水がジャージャーと流れ落ちていたので 「ジャージャー橋」 とも呼ばれました。
昭和に入り、コンクリート製となり、現在の橋は平成4年に架け替えられたものです。
伊能忠敬旧宅前の樋橋
上流から見た小野川
樋橋から下流の忠敬橋を望む
佐原の町並説明
象限儀が建つ忠敬橋親柱(橋標)
樋橋
忠敬橋の下流域