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野川


平成31年1月29(火)~31日(木)   ☀|☁    20.5㎞
野川は、東京都国分寺市のJR国分寺駅近くにある日立製作所中央研究所内に源を発し、JR中央本線と西武国分寺線を暗渠で横断し、その先で開渠となり国分寺市・小金井市・調布市・三鷹市・狛江市・世田谷区を流れ、下流で多摩川に合流している。
かつての野川流域には旧石器時代の遺跡が点在しており、江戸時代には下流域の六郷用水が開削され、流路が若干東寄りに変わった。その後、昭和時代には周辺の宅地化が進行し、生活排水が流れ込むなどで汚染されたが、平成に入って下水道整備が進み、現在のような清流が流れる川となった。

野川源流 押切橋 都道145号線 あやめ橋
野川は日立製作所中央研究所内に源を発し、JR中央本線と西部国分寺線を暗渠で横断するが、その暗渠の上に当たるところに野川の水源解説が建っており、次のように記されている。
この坂の辺りは国分寺崖線(通称ハケ)の一部です。ハケ下の周辺には湧水がいたるところに見られ、「姿見の池」、「真姿の池湧水群」 などの水が集まって野川の流れとなっています。
開渠となって最初に架かる橋が、押切橋(おしきりばし)である。この辺りの川幅は狭く、用水路と言った感じで、民家の間を縫って流れている。
押切橋の上下流域。
押切橋からは野川沿いの道は無いので、東側の住宅地の道を進むと、国道145号線に突き当たり、野川はこの国道145号線(多喜窪通り)の下を流れている。 更に住宅街の道を130mほど進むと、昭和59年3月竣工の小さなあやめ橋がある。橋の両端にはスライド式の鉄扉が収納されている。
上下流はコンクリート柱で覆われれている。

緑橋 不動橋 一里塚橋 殿ヶ谷庭園
あやめ橋から100mほど下流に緑橋(みどりばし)がある。緑橋の南詰にある親柱には、可動式のスライド式鉄扉が収納されている。
緑橋の上下流域。
緑橋の下流では一部川沿の道となり、昭和57年11月3日竣工の不動橋(ふどうばし)がある。
橋の北詰めに延享2年(1745)の一面六臂の青面金剛の庚申塔と不動明王と刻まれた石碑があり、これが不動橋の名の由来となっている。
不動橋の直ぐ先に都道133号線(国分寺街道)が通る一里塚橋がある。この橋の下は二つの水路が並列しており、ここで野川と真姿の池湧水群からの流れ合流している。
橋の名前はこの付近にあった一里塚に由来する。
一里塚橋の北側300mほどのところに殿ヶ谷庭園(旧岩崎弥太郎別邸)がある。
殿ヶ谷庭園は、武蔵野の地形を巧みに利用した 「回遊式林泉庭園」 であり、大正2年~4年に江口定條の別荘として整備され、昭和4年に三菱財閥の岩崎家の別邸となった。

もみじ橋 丸山橋 個人橋 平安橋
一里塚橋の下流150mほどのところに、昭和63年3月竣工のもみじ橋がある。もみじ橋に続く川沿いの道は無いので、北側(左岸)か南側(右岸)の道で回り込む必要がある。
橋の南詰にあるマンションの前に立派な門が建っているが、説明もなく不明である。
もみじ橋の下流70mほどのところに丸山橋(まるやまばし)があるが、この橋も川に沿って行くことが出来ず、北側(左岸)か南側(右岸)の住宅街を抜けて行くことになる。丸山橋もスライド式鉄扉が収納されている。
丸山橋の上下流域。
野川右岸の川沿いの道を200mほど進むと対岸の畑に架かる個人の鉄製の橋がある。
橋の入口は金網の扉があり、鍵がかけられている。
川が枡形に曲がるところに昭和42年3月竣工の平安橋(へいあんばし)がある。
平安橋の南西方向に平安神社があり、これが橋の名前の由来になっているようである。この橋にもスライド式鉄扉が収納されている。
平安橋の上下流域。

人道橋 長谷戸橋 鞍尾根橋 新次郎池
平安橋の下流で直角に左に曲がって川沿いの道を150mほど進むと人道橋がある。
人道橋の上下流域。
人道橋と並列して長谷戸橋(はせどばし)がある。
この橋は幅が狭いため、往来する車は橋上ですれ違えないので、手前で通過するの待ってから横断している。
長谷戸橋の上下流域。
長谷戸橋の下流は、住宅街を屈曲して流れており、川沿いの道が無いので南側(右岸)の車道を進んで回り込むこととなる。屈曲した流れの350mほど下流に鞍尾根橋(くらおねばし)がある。この橋の下流からは河川敷の道が小金井市立前原小学校に突き当たるまで続いている。
鞍尾根橋の上下流域。
鞍尾根橋の北詰めから50mほどのところに東京経済大学国分寺キャンパスがあり、ここに新次郎池がある。池の畔にある解説によると、この池はかつてわさび田として利用されていたが、北澤新次郎学長の時代に池として整備され、新次郎池と呼ばれるようになったという。平成15年(2003)1月、都内の名湧水の保全・回復として東京都により選定された 「東京の名湧水57選」 に選ばれた。

西之橋 弁天橋 貫井神社 貫井新橋
鞍尾根橋から150mほど下流に平成14年3月竣工の西之橋(にしのはし)がある。
西之橋の上下流域。
西之橋から100mほど下流に平成12年3月竣工の弁天橋(べんてんばし)がある。
弁天橋の北詰め100mほどのところに貫井神社があるが、元は貫井弁財天と称しており、これが橋の名前の由来となっている。
弁天橋の上下流域。
貫井神社は、もとは貫井弁財天と称しており、ここ貫井部落の氏神として崇敬されていた。
天正18年(1590)この湧水の出る景勝の地に、水の神である水神様を貫井弁財天と称え奉祀したのが始まりである。その後、明治8年(1875)に厳島神社と改称、更に貫井神社を合祀し、以後村社貫井神社と改称した。
境内には、愛宕神社・八雲神社のほか、不動堂などがある。
弁天橋の70~80mほど下流に平成11年3月竣工の貫井新橋(ぬくいしんばし)がある。
この橋は白い欄干で遠くからも確認できる。
貫井新橋の上下流域。

坂下橋 貫井大橋 荒牧橋 大城橋
貫井新橋の下流200mほどのところに、平成9年5月竣工の坂下橋(さかしたばし)がある。橋の名前は、川の北側にある荒牧坂の坂の下に当たることから名付けられたようである。
坂下橋の上下流域。
坂下橋の直ぐ下流に、都道248号線 (通称 「新小金井街道」 ) が通る平成3年6月竣工の貫井大橋(ぬくいおおはし)がある。
貫井大橋の親柱は常夜燈を模した造りで、両側に歩道部がある広い橋である。
貫井大橋の上下流域。
貫井大橋から80mほど下流に、平成6年3月竣工の荒牧橋(あらまきばし)がある。
荒牧はこの地の名称であろうか、近くには先土器時代(約1万~3万年前)の石器が出土した荒牧遺跡がある。
荒牧橋の上下流域。
荒牧橋からやや南にカーブして150mほど下流に、平成7年3月竣工の大城橋(だいじょうばし)がある。大城橋の上下流域。

豊住橋 西之台橋 前原野川橋 前原小学校の暗渠口
大城橋の下流30mほどのところに、平成5年3月竣工の豊住橋(とよずみばし)がある。
豊住橋の上下流域。
豊住橋から30mほど下流に、平成8年3月竣工の西之台橋(にしのだいばし)がある。
西之台はこの辺りの地名のようで、西詰に前原町西之台会館がある。
西之台橋の上下流域。
西之台橋から80mほど下流で野川が大きく東に曲がるところに、昭和62年3月竣工の前原野川橋(まえはらのがわばし)がある。
前原野川橋の上下流域。
前原野川橋から東に100mほど曲がったところで、小金井市立前原小学校に突き当たり、ここで暗渠となる。前原小学校を抜けると再び開渠の川となり、河川敷の歩道も復活する。ここからは前原小学校の北側か南側か、二通りの道筋がある。
前原小学校の南側には、旧野川跡が残り、水は流れいないが、二つの橋が架かっている。

開渠口 大城堀橋 新前橋 丸山橋
前原小学校の校庭の先から開渠の川となり、河川敷の歩道も復活している。 開渠口から80mほど下流に、昭和60年3月竣工の大城堀橋(だいじょうぼりばし)がある。
先に大城橋があったが、大城はこの地の旧地名なのか、城でもあったのか不明である。
大城堀橋の上下流域。
大城堀橋から80mほど下流に、昭和62年3月竣工の新前橋(しんまえはし)がある。
この橋は都道15号線(通称小金井街道)が通っており、旧野川跡に架かる前橋に対して新前橋と名付けられたようである。
旧野川は新前橋の下で野川に合流している。
新前橋の上下流域。
新前橋から100mほど下流に、昭和54年3月竣工の丸山橋(まるやまばし)がある。
丸山橋を南に進んで行くと、日本初の公園墓地である都立の多磨霊園へ突き当たる。
丸山橋の北詰めを80mほど進むと都道15号線に合流し、この合流地点に金井原古戦場の碑が建っている。
丸山橋の上下流域。

天神橋 小金井神社 中前橋 小金井新橋
丸山橋から170~80m下流で、左岸の小金井自動車学校の敷地が終わるあたりに、昭和53年3月竣工の赤い欄干の天神橋(てんじんばし)がある。
天神橋の名は、左岸にある小金井神社(天満宮)に由来する。
天神橋の上下流域。
小金井神社は、元久2年(1205)武蔵野開拓に当たり、菅原道真公の徳を敬い社殿を造り、天満宮としたことに始まるという。その後、明治維新に際し、「天満神社」 と改称し、更に明治3年12月小金井の総鎮守として小金井神社と改称した。
境内には、疱瘡神社、稲荷神社、熊野神社、大鷲神社の境内社のほか、石臼塚、力石、石橋供養塔などがある。
天神橋の下流でやや左にカーブし、天神橋から270~80mほどのところに、昭和52年3月竣工の中前橋(なかまえばし)がある。
中前橋の上下流域。
中前橋から400mほど下流に小金井新橋(こがねいしんばし)があり、ここから両岸には、広い緑地帯が広がっている。
左岸は野川第2調節池・野川第1調節池となった広場があり、右岸はバーベキュー広場などがある武歳野公園が続いている。
園内からは富士山の頂が望めるところもあり、左岸には低湿地遺跡の解説などもある。
小金井新橋の上下流域。

箭真舳橋 西武多摩川線 二枚橋 栗橋
小金井新橋から500mほど下流に、昭和60年3月竣工の箭真舳橋(やまべばし)がある。
箭真舳橋の上下流域。
箭真舳橋から300mほど下流に、西武多摩川線が走っている。
西武多摩川線は、東京都武蔵野市の武蔵境駅と府中市の是政駅を結ぶ西武鉄道の鉄道路線であり、かつては是政線とも呼ばれ、駅数6駅で総延長8㎞の孤立路線である。
西武多摩川線の高架下をくぐった直ぐ先に、昭和46年3月竣工の二枚橋(にまいばし)がある。
二枚橋の北詰めには公衆トイレ、自動販売機、ベンチなどがあり」、一休み出来る場所である。二枚橋は車道であり、下流側に人道橋が併設されている。二枚橋にはいくつか伝説が
残っているという。
二枚橋の上下流域。
二枚橋の下流側に、昭和46年3月竣工の人道橋の栗橋(くりはし)がある。
楢橋の上下流域。

楢橋 紅葉橋 水木橋 柳橋
栗橋から20mほど下流に、昭和46年3月竣工の楢橋(ならばし)がある。
楢橋から下流域は、左岸に自然観察園、右岸に野川公園の緑地が続いている。
楢橋の上下流域。
楢橋から120mほど下流に、昭和46年3月竣工の紅葉橋(もみじはし)がある。
紅葉橋の上下流域。
紅葉橋から50mほど下流に、昭和46年3月竣工の水木橋(みずきはし)がある。
水木橋の上下流域。
水木橋から大きく南にカーブした200mほど下流に、昭和46年3月竣工の柳橋(やなぎはし)がある。
柳橋の東詰め上流側に湧水が出ているところがあるが、ここから下流にはこうした湧水がいたるところに見られるようになる。
柳橋の上下流域。

桜橋 櫟橋 樫橋 富士見大橋
柳橋から100mほど下流に、昭和46年3月竣工の桜橋(さくらばし)がある。
桜橋は野川公園の中央辺りに位置し、東詰めには自然観察圓の入口がある。自然観察園内は野鳥ゾーン・林と原っぱゾーン・ホタルの里・湿性植物ゾーン・森と野草ゾーン・わき水広場があり、散策路で巡ることができる。
桜橋の上下流域。
桜橋から左手に自然観察園を見て300mほど進むと、昭和46年3月竣工の櫟橋(くぬぎはし)がある。
櫟橋の上下流域。
櫟橋から100mほど右にカーブして行くと、昭和46年3月竣工の樫橋(かしのきはし)がある。
左岸の緑地はこの橋で途切れ、直ぐ下流に架かる富士見大橋の下を抜けて行く。
樫橋の上下流域。
樫橋の直ぐ下流に都道14号線(東八道路)が通る富士見大橋(ふじみおおはし)がある。
都道14号線は、渋谷区から国立市を結ぶ道路であるが、富士見大橋を通る一部区間は東八道路と通称されている。橋下を抜けると再び左岸に緑地が続いている。
富士見大橋の上下流域

泉橋 御狩野橋 龍源寺 近藤勇生家跡
富士見大橋の下を抜けて200mほど下流に進むと、昭和46年3月竣工の泉橋(いずみばし)がある。
泉橋の上下流域。
泉橋の下流100mほどのところに、都道110号線(人見街道)が通る御狩野橋(みかりのばし)がある。
御狩野は興味ある名前だが、その由来は不明である。
御狩野橋の上下流域。
御狩野橋の西詰を150mほど進んだところに、曹洞宗の大澤山龍源寺がある。
龍源寺は、箕輪将監の開基で箕輪家の菩提所であったと言われ、墓地には近藤勇の墓、妻つねの墓などがある。
山門脇には近藤勇像、宝永3年(1706)・明和9年(1772)の庚申塔などがある。
龍源寺から更に西に200mほど進んだところに、近藤勇の生家跡がある。
当時は、約7,000平方メートルの広さがあったが、現在は建物等は取り壊され、産湯の井戸が残っているのみである。

相曽浦橋 出山横穴墓 飛橋 野水橋
御狩野橋の直ぐ下流に、昭和46年3月竣工の相曽浦橋(あいそうらばし)がある。
相曽浦も興味ある名前だが、その由来は不明であるが、人見街道の旧道がこの相曽浦橋を通っていたようである。相曽浦橋には下流側に相曽浦橋人道橋が併設されており、西詰には稲荷神社がある。
相曽浦橋の上下流域
相曽浦橋の下流左岸には、出山横穴墓群8号墓がある。
第8号墓は、平成5年に三鷹市教育委員会によって確認調査が実施されたもので、大型の石を入口部に積み上げた横穴墓であり、玄室内には4体の人骨が保存されている。
相曽浦橋から270~80mほど下流に、昭和46年3月竣工の飛橋(とびはし)がある。
飛橋の上流側には、飛橋人道橋が併設されており、右岸上流側に水車がある。
飛橋の上下流域。
飛橋から緩やかに左に曲がって300mほど下ると、昭和44年3月竣工の野水橋(のみずはし)がある。
野水橋の西詰上流側に野川大沢調節池があり、東詰めには長谷川病院がある。
野水橋の上下流域。

榛沢橋 八幡橋 大沢橋 清水橋
飛橋から200mほど下流に、昭和44年3月竣工の榛沢橋(はんざわはし)がある。
榛沢橋の上下流域。
榛沢橋から200mほどm下流に、昭和45年3月竣工の八幡橋(はちまんばし)がある。
八幡橋の名前は、北詰めにある古八幡社に由来する。
八幡橋の上下流域と古八幡社。
八幡橋から200mほど下流に、昭和61年12月竣工の大沢橋(おおさわばし)がある。
大沢橋は、都道123号線(通称天文台通り)が通り、北詰めから600m先には国立天文台がある。大沢橋はこの付近の地名から付けられたもので、大沢の地名はこの地に湧水による沢があったことに由来すると言われている。
大沢橋の上下流域。
大沢橋から230mほど下流に、昭和44年3月竣工の清水橋(しみずはし)がある。
清水橋の上下流域。

羽沢橋 御塔坂橋 深大寺 中耕地橋
清水橋から220~30mほど下流に、昭和44年3月竣工の羽沢橋(はねざわはし)がある。
羽沢橋の上下流域
羽沢橋から220~30mほど蛇行した下流に、御塔坂橋(おとざかばし)がある。
御塔坂橋は都道12号調布田無線が通り、通称武蔵境通りと呼ばれている。御塔坂は深大寺の塔堂に通じていた坂の名前で、これが橋の名前の由来になっと言われている。
御塔坂橋の上下流域。
御塔坂橋北詰めから280mほど先の深大寺入口交差点を東に500mほど入ると、天台宗の浮岳山昌楽院深大寺がある。深大寺は天平5年(733)満功上人が法相宗の寺院として開創し、その後、嘉祥3年(850)頃比叡山の高僧恵亮和尚によって天台宗に改宗したと言われている。
平成28年10月26日に寄った際の写真を掲載する。
御塔坂橋から緩やかに270mほど曲がった先に、昭和44年3月竣工の中耕地橋(なかこうちはし)がある。
中耕地橋の上下流域。

富士見橋専用橋 橋場橋 又住橋 虎狛神社
中耕地橋から130mほど下流に、東京電力の富士見橋専用橋があり、下流側には水道管が併設されている。 富士見橋専用橋の直ぐ下流に、昭和43年5月竣工の橋場橋(はしばばし)がある。
橋場橋の真上にクロスするような感じで中央自動車道の高架が走っている。
橋場橋の上下流域。
橋場橋から180mほど緩やかに右にカーブしていくと、昭和41年3月竣工の又住橋(またずみばし)がある。又住橋の東詰から150mほどのところには虎狛神社がある。
又住橋の上下流域。
又住橋の東150mほどのところにある虎狛神社は、崇峻天皇2年(589)の創建といわれ、深大寺縁起によれば深大寺の開基満功上人の祖父の居住地柏野里と祖母虎女の各人の名前から虎柏明神と名付けられたという。
拝殿の奥に位置する本殿は、天和3年(1683)に建立されたもので、市内では深大寺の深沙大王堂内宮殿に次いで古い建造物である。

虎狛橋 榎橋 榎橋専用橋 一の橋
又住橋から100mほど下流に、昭和44年3月竣工の虎狛橋(こはくはし)がある。
虎狛橋の名前は、直ぐ近くにある虎狛神社に由来する。
虎狛橋の上下流域。
虎狛橋から300mほど下流に、昭和42年11月竣工の榎橋(えのきばし)がある。
榎橋は、都道121号武蔵野調布線が通る唯一の橋梁である。都道12号は通称三鷹通りと呼ばれている。
榎橋の上下流域。
榎橋の下流20mほどのところに、榎橋専用橋(えのきばしせんようはし)がある。
この橋は人道橋であるが、設置目的には電気通信設備のためと記載されている。
榎橋専用橋の上下流域
榎橋専用橋から80mほど下流に、昭和43年3月竣工の一の橋(いちのはし)がある。
一の橋の上下流域。

大橋 細田橋 おかね橋 中島橋
一の橋から200mほど下流に、昭和42年11月竣工の大橋(おおはし)がある。
上流側にアーチ状の水道管が併設されている。大橋の上下流域。
大橋から300mほど下流に、昭和42年10月竣工の細田橋(ほそだばし)がある。
細田橋の上下流域。
細田橋の先でやや左にカーブし、細田橋からは300mほど下流に竣工年不明のおかね橋がある。親柱には、「おかね橋」 と平仮名で標記されており、良くは判らないが人の名前かもしれない。
おかね橋の上下流域。
おかね橋から100mほど下流に、おかね橋とよく似た親柱で、竣工年不明の中島橋(なかじまばし)がある。
中島橋の上下流域。

馬橋 京王線橋梁 車橋 大町橋
中島橋からやや右にカーブして200mほど下ると、昭和38年3月竣工の馬橋(まばし)がある。
馬橋は国道20号線(甲州街道)が通り、かつて野川には馬で一跨ぎするほどの小さな橋が架かっていたことから、この名が付いたと言われているが定かではない。
馬橋の上下流域。
馬橋から120mほど下流に、京王線の鉄橋が通っている。
京王線は新宿区の新宿駅から八王子市の京王八王子駅までを結ぶ京王電鉄株式会社の鉄道路線である。
上下流から見た京王線橋梁。
京王線橋梁から90m穂下流に、昭和40年12月竣工の車橋(くるまばし)がある。
車橋の上下流域
車橋から270~80mほど下流に、平成4年3月竣工の大町橋(おおまちはし)がある。
大町橋の上下流域。

野川橋 箕和田橋 小金橋 高谷橋
大町橋から270mほど下流に、竣工年が不明な野川橋(のがわばし)がある。
野川橋の下流側に人道橋が併設されている。野川という名が付く橋は、上流の前原野川橋、ここより下流の野川大橋がある。
野川橋の上下流域。
野川橋からやや北東に曲がって420~30mほど下ったところに、昭和42年9月竣工の箕和田橋(みのわだばし)がある。
箕和田橋の上下流域。
箕和田橋から北東に向かって200mほど下ったところに、昭和40年3月竣工の小金橋(こがねばし)がある。小金橋から下流の野川は、南東に向かっている。
小金橋の上下流域。
小金橋から270~80mほど南東に曲がっていくと、昭和37年10月竣工の高谷橋(たかやばし)がある。
高谷橋の上下流域。

野川大橋 糟嶺橋 小足立橋 谷戸橋
高谷橋から直線で280mほど下ると、都道114号線が通る竣工年不明の野川大橋(のがわおおはし)がある。
野川大橋の上下流域。
野川大橋から100mほど下流に、昭和42年9月竣工の糟嶺橋(かすみねばし)がある。
糟嶺橋の上下流域
糟嶺橋の下流150mほどのところに、昭和59年2月竣工の小足立橋(こあだちばし)がある。
小足立橋の上下流域。
小足立橋から370~80mほど下流にj、平成14年9月竣工の比較的新しい谷戸橋(やとばし)がある。
谷戸橋の下流で河川管理が東京都北多摩南部建設事務潮から世田谷区砧総合支所に変わらり、遊歩道の色もここから変わっている。
谷戸橋の上下流域。

神明橋 小田急線橋梁 上野田橋 中之橋
谷戸橋から500mほど下流に、竣工年不明の神明橋(しんめいはし)がある。
神明橋の上下流域。
神明橋から500mほど下流に小田急線の橋梁が通っている。
小田急線は新宿区の新宿駅から神奈川県の小田原駅・江ノ島駅などを結ぶ小田急電鉄株式会社の鉄道路線である。
小田急線橋梁から50~60mほど下流に、昭和58年3月竣工の上野田橋(かみのだはし)がある。
上野田橋の南西渡り詰めには、文化8年(1811)の石橋供養塔が建っている。
上野田橋の上下流域。
上野田橋から280mほど下流に、都道3号線が通る中之橋(なかのはし)がある。
都道3号線は、通称世田谷通りと呼ばれ、東京都世田谷区三軒茶屋交差点から東京都町田市中町交番前交差点までの27.2㎞の主要地方道である。
中之橋の上下流域。

鴈追橋 中野田橋 次大夫堀公園 喜多見大橋
中之橋の下流270~80mほどのところに、鴈追橋(がんおいばし)がある。鴈追橋という名前は、興味深い名前でネットで調べたが、由緒などは不明である。
鴈追橋の上下流域
鴈追橋から170~80mほど下流に、中野田橋(なかのだばし)がある。中野田橋の下流右岸には、次大夫堀公園が南に延びている。
中野田橋の上下流域
中野田橋下流の右岸には、世田谷区立次大夫堀公園(じだゆうぼりこうえん)がある。
この公園は、世田谷の農村風景をイメージした公園であり、当時の古民家や水田・小川を配置し、公園名は小泉次大夫が地域の用水を確保するために造った堀の名前に因んでいる。
中野田橋から250~60mほど下流に、都道11号が通る喜多見大橋がある。
都道11号は通称多摩川堤通りとも呼ばれ、東京都大田区東蒲田から東京都調布市国領町を結ぶ、路線延長25.0㎞の主要地方道である。
喜多見大橋の上下流域。

茶屋道橋 水道橋 大正橋 新井橋
喜多見大橋から100mほど下流に、茶屋道橋(ちゃやみちばし)がある。
茶屋道橋の上下流域。
茶屋道橋から100mほど下流に、都道428号が通る水道橋(すいどうばし)がある。
水道橋の直ぐ下流には、工事用仮設橋が架かっており、その直ぐ下流右岸は次大夫堀公園が回り込んでいる。
水道橋の上下流域
水道橋の下流220mほどのところに、昭和39年3月竣工の大正橋(たいしょうばし)がある。
下流は両岸に建物があり、野川はこの間を南に向かって流れている。
大正橋の上下流域
大正橋から320~30mほど下流に、新井橋(あらいばし)がある。
新井橋の直ぐ下流に東名高速道路の高架が横切っている。
新井橋の上下流域

町田橋 天神森橋 鎌田天神社 吉祥院
新井橋から300mほど下流に、町田橋(まちだはし)がある。町田橋は、上流側に歩道部が設けられている。
町田橋の上下流域。
町田橋の下流340~50mほど先に、天神森橋(てんじんもりばし)がある。
この橋の北側には鎌田天神社があり、かつては杉・ケヤキなどの木立が茂る森であったことから、天神森橋と名付けられた。下流左岸からは仙川が流れ込んでいる。
天神森橋の上下流域。
天神森橋の名前の由来となった鎌田天神社は、かつてこの隣にある吉祥院の境内にあり、岡本村の鎮守であったという。
祭神は菅原道真公で、境内には稲荷神明社がある。
鎌田天神社に隣接して真言宗智山派の大聖山吉祥院がある。
吉祥院は、天平12年(740)行基菩薩が開基と言われ、行基菩薩の作といわれる地蔵菩薩立像を安置し、東覚山と称していた。その後、兵乱などにより堂宇を焼失したが、周辺の村人などにより再建され、無住の寺院となったと言われている。

野川水道橋 吉澤橋 野川渡河橋梁 新二子橋
天神森橋から420~30mほど下流に、平成18年竣工の野川水道橋(のがわすいどうはし)がある。
平成18年までの野川水道橋には、水道管が併設されており、ドラマの撮影などで使われていたという。
野川水道橋の上下流域
野川水道橋から550mほど下流に、平成19年3月竣工の吉澤橋(よしざわはし)がある。
吉澤橋は関東大震災直後の大正13年(1924)に玉電・砧線の開通に合わせて架けられた鉄道橋であった。その後、昭和44年(1969)の玉電廃止に伴い、道路橋となって今日に至っている。
吉澤橋の上下流域。
吉澤橋から370~80mほど下流に、平成22年竣工の野川渡河橋梁がある。
吉澤橋から下流の左岸は堤防脇に自動車教習所があり、右岸は二子玉川緑地運動場が広がっている。この橋はその緑地へ向かう橋でもある。
野川渡河橋梁の上下流域。
野川渡河橋梁から250mほど下流に、国道246号(厚木街道)が通る新二子橋(しんふたごばし)がある。
新二子橋は、野川と多摩川を横切っており、ここを通る国道246号は東京都千代田区から静岡県沼津市に至る総延長126㎞の一般国道である。江戸時代は東海道の脇往還として整備され、「矢倉沢往還」 と呼ばれていた。

兵庫橋 兵庫島 二子橋
新二子橋から170~80mほど下流に、多摩川河川敷にある兵庫島に架かる昭和53年11月竣工の兵庫橋(ひょうごばし)がある。
兵庫橋の上下流域。
天平13年(1358)に新田義貞の次男である新田義興が、江戸遠江守の策略によって足利方軍勢に攻められ自害した際、家臣の由良兵庫助・新左衛門の兄弟は、刀を逆手に取り直して互いに自分の首を切り落とした。
兵庫島は、その壮絶な死に村人たちが災いを恐れて、
こっそりとこの島に兵庫助を供養したことから、この名が付いたと言われている。
兵庫橋から100mほど下流に、二子橋(ふたごばし)と下流側に東急田園都市線の鉄橋がある。この橋梁の下で野川は、多摩川に合流している