三鷹市から国分寺の地域は、東京都内でも横穴墓が多く存在している地域です。三鷹市南西部には、国分寺市崖線およびその開折谷の一部に6群50基ほどの横穴墓が確認されています。本横穴墓群もこの6群中の一つで、野川左岸の浅い谷に面した国分寺崖線の西側斜面上部に占拠しており、10基の横穴墓が確認されています。
第8号墓は、平成5年(1993)に三鷹市教育委員会によって確認調査が実施され、大型の石を入口部にアーチ状に積み上げるという特徴を持つ横穴墓であることが明らかにされた。第8号墓は、墓前域、石積み構造の羨門、羨道、前・後室の玄室からなります。玄室には礫が敷き詰められ、4体の人骨が確認されました。7世紀中頃の須恵器の平瓶(へいへい)も出土しています。
羨門部の大型の川原石をアーチ状に石積みした入口構造は、珍しいもので、その中を川原石の礫で閉塞しています。玄室の残りも良く、人骨も良好な遺存状態であったことなどから、保存して公開する施設となりました。
(東京都教育委員会)
出山横穴墓群8号墓解説
斜面に造られた横穴墓への通路
横穴墓 (4体の人骨が確認できる)