狩りの様子を描いたレリーフ

旧跡時代を描いたレリーフ

武蔵野公園低湿地遺跡解説

右岸下流から見た小金井新橋

南詰から見た小金井新橋

第2調節池の広場

第2調節池の広場

上流域

下流域

 この遺跡は、国分寺崖線(はけ)の直下にあり、野川が形成した低湿地に立地しています。昭和58年(1983)に野川第一調節池の工事中に伴って発掘調査が行われました。
 四地区が調査され、C区とD区から縄文時代後期前半(約4千年前)の土器と共に漆塗りの櫛や容器、樋状・櫂状の木製品の他、トチやクルミの実が多数出土しました。
 またA区からは、野川の流路に設けられた木組の堰状遺構が多数発見され、古墳時代初めの頃(約1700年前)の土器が出土しました。
 この遺跡は、豊かな地下水によって木製品や木の実が腐らずに残った、都内でも希少な低湿地遺跡です。
  (小金井市教育委員会)

左岸に調節池の広場、右岸に武歳野公園が広がる

約83㎞先に富士山の頂が見える

第2調節池の広場

小金井水田跡碑

北詰めにある野川中洲北遺跡解説

小金井新橋(こがねいしんばし)橋標

 この遺跡は、立川段丘面にあり、旧野川の河道である低湿地に囲まれた中洲上に立地しています。 
 昭和61年から63年に、野川調節池の工事に先立って発掘調査が実施され、旧跡時代から近世までの遺構・遺物が多数発見されました。
 旧石器時代(約1万~3万年前)では、関東ローム層中から石槍・ナイフ形石器等の石器、礫群と呼ばれる調理場の跡が多数出土しました。また、低湿地に堆積した泥炭層中から、氷河期の寒冷気候を示すカラマツ・トウヒ・チョウセンゴヨウ等の針葉樹や花粉の化石が多数発見され、当時の自然環境を明らかにすることができました。
 縄文時代(約2千3百~1万年前)では、草創期・早期・後期の遺構や遺物が出土しています。他にも古代(平安時代)・中世・近世の遺物も発見されており、野川のほとに暮らした人々の歴史を物語る貴重な遺跡です。
   (小金井市教育委員会)