この橋は関東大震災直後1924年(大正13年)玉電・砧線の開通に合わせて架けられた鉄道橋でした。砧線は、現在の二子玉川駅と砧本村を結ぶ約2.2㎞の路面電車で、人々の通勤・通学手段としてだけでなく、関東大震災復興のため多摩川の砂利を都心方面へ運搬するため大きな貢献を果たしました。しかし、その後車社会の到来とともに路面電車は姿を消すこととなり、1969年(昭和44年)玉電は世田谷線を除き全線廃止となりました。廃止後は道路橋として世田谷区に移管され今日に至っています。この度、野川の河川改修に合わせて上流の吉澤橋と新吉澤橋を統合し、新しい吉澤橋に架け替えました。
往時の吉澤橋を渡る玉電の姿
欄干に設置された玉電のレリーフ
上流域
下流域
緩やかにカーブしており野川水道橋は見えない
南東にカーブしており下流の橋は見えない
吉澤橋(よしざわはし)橋標
南西詰から見た吉澤橋(歩道部)
左岸下流から見た吉澤橋
吉澤橋由来