虎狛神社は、今から1425年前の崇峻天皇2年(589)8月に創建され、農業の神様である大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)がお祀りされて祭事が始まったと伝えられています。爾来、地元住民に崇敬され、地域の団結と発展、心の拠り所として佐須の中心となっております。後に穀物の神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)も合祀され、江戸末までは、虎狛山祇園寺の別当が、神事を司っておりました。尚地域内には、祇園寺東に位置し、天照皇大神をお祀りする神明宮、晃華学園南西角には、「里の稲荷」 別名 「樫ノ木稲荷」 があり、これらも神社の氏子によって守られてきました。
 延長5年(927)の 「延喜式神名帳」 には武蔵国の式内社44座、多摩郡8座の一つとしての記録があります。現在の社殿は天和3年(1683)に再建され、調布・狛江両市にあって最も古い建造物です。このため平成24年には、社殿並びにその小屋裏に残されていた三枚の棟札が調布市文化財の指定を受けました。
 樹齢数百年とも言われた 「黒松の大木」 は昭和39年(1964)に東京都の天然記念物の指定を受け、生え際近くでは太さ2.3m×2.4m、高さ約30mで、都内では三本の指に数えられる松の大木でした。しかし、落雷等の被害もあり、残念ながら平成8年には、枯死してしまいました。
 文政11年(1828)には神社正面入口に石造りの大鳥居が、また参道右側には、高さ1.8mもある巨大な 「佐須邨虎狛神社の碑」 が建立されました。碑文には、当時の名主温井義邦の撰によるもので、神社の名称の由来、歴史、「里の稲荷」 等についても詳細に記されています。現在のような輸送手段がない当時としては、驚くべき大きさであり、極めて貴重な文化財です。
 拝殿がいつ建立されたかについての詳細な記録はありませんが、文化12年(1815)に社殿の修理が地元の職人によってなされた記録があります。その後大正8年(1919)に遷座式が行われた時にも改修されたようです。それから約百年が経過した平成24年(2012)、本殿が文化財の指定を受けたことを機に、拝殿屋根、社殿の覆い屋、幣殿、そして手水舎の改修、新築工事に着手、平成26年(2014)11月に完了しました。

虎狛神社由緒

 拝殿の奥に位置する本殿は、天和3年(1683)に建立されたもので、市内では深大寺の深沙大王堂内宮殿に次いで古い建造物です。建築様式は、一間社流造りの見世棚造りと呼ばれるもので、正面と側面に擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらせ、向拝には五段の木階と浜縁が設けられています。屋根は銅板葺ですが、当初は茅葺であったことが棟札から明らかになりました。
 江戸時代初期の建築技法をよく留めた建造物で、極めて高度な技量が伺えます。小屋裏に収蔵された棟札から、願主貫井三良右衛門、新右衛門、牛込の大工柏崎佐太郎などにより建立され、文化12年(1815)に地元の大工によって修復されたことが判り、地域の歴史を知るうえでも貴重な建造物です。
   (調布市教育委員会)

明治30年(1897)の征清従軍碑

文政11年(1828)の佐須邨虎狛神社の碑

虎狛神社本殿解説

手水舎

文政11年(1828)の石鳥居

鳥居に掛かる虎狛神社の扁額

吽形の狛犬

虎狛神社本殿覆屋

阿形の狛犬

虎狛神社拝殿