石橋供養塔は、天保3年(1832)に造立されました。
不動橋は以前石橋でした。おそらくこの供養塔が造られた頃に石橋になったのでしょう。
石橋供養塔は、常に人に踏まれている石橋を供養する意味と、石橋を渡って村内に疫病や災いが入り込むのを防ぐ意味があります。
庚申塔は、延享2年(1745)2月18日の記年銘があり、造立者として国分寺村講中と11人の個人名が刻まれています。
延享2年2月18日は庚申の日です。11人の人達は3年間連続して庚申待を行い満願を迎えたのでしょう。
「不動明王」 と刻まれていますが、いつ、誰が造立したのか不明です。この石にちなみ現在の名を不動橋としました。
(国分寺市観光協会)
大正2年(1913)の田用水堰記念碑
石橋供養塔等の由来
天保3年(1832)の石橋供養塔
右に屈曲し、右から真姿の池湧水群からの流れが合流する
上流域
下流域
不動橋
不動明王碑と延享2年(1745)の一面六臂の青面金剛の庚申塔
不動橋(ふどうばし)橋標