近藤勇辞世句碑

近藤勇と天然理心流碑

近藤勇墓所碑

三つ葉葵が刻まれた石燈籠

近藤勇の墓解説

近藤勇の墓

近藤勇の像

龍源寺本堂

 天保5年(1834)武州多摩郡上石原村の宮川久次郎の三男として生まれ、15歳で天然理心流近藤周助に入門、近藤家の養子となって28歳で天然理心流四代目を襲名した。
 文久3年(1863)土方歳三らと京都に上り、慶応3年(1867)大政奉還までの4年間、新選組として活躍した。京都、鳥羽伏見の戦いで敗れた後、甲陽鎮撫隊を組織し山梨県勝沼で官軍を迎え撃つが、大敗して千葉県流山で投降する。慶應4年(明治元年)4月25日、板橋宿で処刑された。享年35歳。法名は貫天院殿純義誠忠大居士。
   (三鷹市教育委員会)

本堂に掛かる龍源寺の扁額

六地蔵尊

地蔵菩薩立像

宝永3年(1706)・明和9年(1772)の一面六臂の青面金剛の庚申塔

横穴古墳供養塔