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所沢道


令和2年1月4日(土)~5日(日)   ☀|☁    中野追分~所沢    25.0㎞
所沢道は、青梅街道の中野追分(地下鉄丸ノ内線新中野駅付近)から北側に進んで、中央線中野駅を横切り、そこから北西に進んで石神井・保谷を通り、上清戸を経て所沢に続く道である。「新編武蔵風土記稿」 では、「所沢への道」 と記されてあり、はっきり 「所沢道」 と書かれた文献としては 「石神井村誌」 が初めてと言われている。

中野追分 天祖神社 桃園橋 旧道口
青梅街道の鍋屋横丁交差点から西に80mほど進むと、右手に所沢道の旧道口がある。かつてこの角に道標を兼ねた馬頭観音が建っており、「左あふめ道・右いぐさ道」 と刻まれていた。現在この馬頭観音は、鍋屋横丁交差点の近くの慈眼寺に移されている。また追分の地名は、旧道口から100mほど先の公園に 「中野区立追分公園」 として残っている。 中野区立追分公園から50~60mほど進むと、右手の消火栓の下に道標らしき石柱があり。この角を入って3本目の筋を左に進むと、右手に天祖神社がある。
天祖神社の創建年代等は不詳であるが、境内には上町神輿庫・鍋横神庫などがある。
旧道に戻って先に進み、中野通り(都道420号)に合流して、更に350mほど進むと、昭和11年(1936)完成の桃園橋がある。
この橋は、桃園川に架かる橋であるが、川は全区間暗渠化されており、桃園川緑道となっている。
桃園橋の直ぐ先で中野五差路となるが、旧道は五差路から北西に向かっていく。
この筋は一方通行路で、やや上り坂になっている。

善成寺 桃園稲荷社 旧道消滅 旧道口
旧道に入って緩やかな坂道を200mほど進むと、左手に真言宗豊山派の桃園山善成寺がある。善成寺は、正衆和尚の発願により、成田山新勝寺の荒木僧正が開眼した不動尊を本尊とし、昭和初期に創建したと言われている。 善成寺の先の右手筋の奥に桃園稲荷社がある。桃園稲荷社の創建年代等は不詳であるが、豊川咤枳尼真天と記された幟が立っており、狛狐は金網に覆われている。 旧道に戻って進むと、100mほど先で旧道は中央本線によって分断されている。ここからは右折して中野通りで中央本線を渡り、反対側に迂回する。 迂回して中央本線を越えると、中野区役所と中野サンプラザの間に旧道が北に向かっている。
中野区役所の前には、徳川綱吉が作った犬屋敷を伝える複数の犬の像が並んでいる。
犬屋敷は、生類憐みの令により江戸の各所に設けられた犬小屋の一つで、特に広大だった中野に作られたものは、「御用屋敷」 「御囲」 などと呼ばれた。

地蔵尊 稲荷神社 陸軍中野学校跡碑 環状7号線
先に進んで早稲田通り(都道25号)に合流して更に350m.ほど西に進むと、野方警察署前交差点の右角に寛保元年(1741)の地蔵尊が建っている。
傍らには道標があり、「此方中野宝仙寺」 などの文字が刻まれている。
地蔵尊を過ぎると、直ぐ右手に妻恋御社稲荷神社がある。
稲荷神社の創建年代は不詳であるが、文京区湯島にある妻恋神社から分霊を勧請して創建されたと言われている。境内には地蔵尊を安置した祠や溶岩で造られた石祠などがある。
稲荷神社の向いに建つ東京警察病院の敷地内に陸軍中野学校跡碑が建っている。
陸軍中野学校は、諜報などの機密に関する教育や訓練を目的とした陸軍の軍学校であり、陸軍内でも極秘扱いであったと言う。
東京警察病院から400mほど先で環状7号線(都道318号)の大和陸橋をくぐっていく。
環状7号線は、その名の通り東京23区内を環状に廻る一般道である。通称は 「環七(かんなな)」 「環七通り(かんななどおり)」 などと呼ばれている。

町並み 蓮華寺 お伊勢の森 地蔵尊・庚申塔
大和陸橋を越えると真直ぐな道が北西に向かって延びている。
いつもなら車の往来が激しい道だが、新年早々ということもあり、車の往来はかなり少ない。所沢道は、概ね早稲田通り・旧早稲田通り(都道25号)を進むこととなる。
大和陸橋から1㎞ほど進むと、右手筋の奥に日蓮宗の泉光山蓮華寺がある。
蓮華寺は、万治元年(1658)文京区内に創建され、明治44年(1911)当地に移転した。
蓮華寺の縁起によれば、開山は日優、開基は泉光院殿妙澄日行(徳川家綱外祖母俗名むらさき女)で、幕府より寺領20石のご朱印状を拝領したという。境内には、開山堂・有縁堂、客殿のほか、獄死したキリスト教徒を悼んで建てられた山荘の碑などがある。
旧道に戻ると左手の段上にお伊勢の森解説が建っている。
お伊勢の森は、区立杉森中学校からお伊勢の森児童遊園にかけての一帯をいう。
「江戸名所図会」 には、12代景行天皇44年に日本武尊が蝦夷を征伐して凱旋の時、ここで休まれたので土地の人が、尊の武功を慕って社をつくり、神明宮とした書かれている。
お伊勢の森解説から250mほど先の左手に地蔵尊や庚申塔が安置された建屋がある。
中には元禄10年(1697)の庚申塔、宝永7年(1710)の地蔵尊など4基の石塔がある。建屋の左の道は天沼から青梅街道に通じる旧道で、この付近は阿佐ヶ谷村の中心地であった。

大鷲神社 馬頭観音 旧道口 銀杏稲荷神社
先に進んで右手の関東バス阿佐ヶ谷営業所を過ぎると、下井草一丁目南信号の右手に大鷲(おおとり)神社がある。
大鷲神社は、大正10年(1921)1月11日、この地にあった赤松に飛来した大鷲を村人が仕留め、村に祟りがあると大変なので、おとり様としてお祀りして一社を建立したのが始まりという。
大鷲神社の先を100mほど進んだ右手の筋を入ると、十字路角に三面六臂の馬頭観音が建っている。 旧道に戻ると直ぐ先の本天沼二丁目交差点の先の右手に旧道口がある。
所沢道は、この先で妙正寺川に架かる松下上橋を渡り、本天沼二丁目交差点で右折した旧早稲田通り(都道25号)に合流する。
旧早稲田通りに合流して直ぐ、右手の筋奥に銀杏稲荷神社がある。
銀杏稲荷神社は、旧下井草村の鎮守で、社名は神社の裏山にあった銀杏の大木に由来する。また、棟札から元和2年(1616)、三浦から移り住んだ井口家の井口外記が創建したと言われている。

庚申塔 三峯神社 西武新宿線 井草観音堂
旧道に戻って300mほど進むと、十字路左角に寛保元年(1741)の一面六臂の青面金剛の庚申塔が建っている。
この庚申塔は道標を兼ねており、「南中の道・右志やくち道・うしろ能東於そ能い道」 と刻まれている。
直ぐ先の十字路を左折すると、その先のY字路右手に三峯神社がある。
三峯神社の由緒などは不明であるが、金属製の鳥居の奥に小さな社が建っている。
三峯神社を過ぎて進むと、200mほど先で西武新宿線の下井草駅前の踏切を渡っていく。 西武新宿線の踏切を渡ると、直ぐ左手に井草観音堂が建っている。
創建年代は不詳であるが、この地を開墾した農民によって建立されたと言われており、現在は三宝寺の境外仏堂になっている。堂内の観音塔(如意輪観音・地蔵菩薩)には、「おくに」 「おたつ」 など女性の名前と思われる文字がかすかに見られるので、これらの女性を供養するために造立されたものと思われる。

地蔵堂 井草公園 庚申堂 環状8号線
井草観音堂から400mほど進んだ十字路左角に地蔵堂があり、2基の地蔵菩薩と2基の馬頭観音が安置されている。
お堂の隣には、正面に 「弘法大師」 と刻まれた道標が2基あり、右面に 「志やくし道」 と刻まれたものと、左面に 「福蔵院」 と刻まれたものがある。
地蔵堂の先で新青梅街道(都道440号)に突き当たると、左角に杉並区井草公園がある。園内はケヤキ、イチョウ、シイノキなどの高木が植えられ、健康遊具のある高齢者用広場とすべり台、砂場などのある幼児用広場に分かれている。 新青梅街道(都道440号)を渡って100mほど進むと、右手に庚申堂があり、堂内に寛保元年(1741)の一面六臂の青面金剛の庚申塔と寛政5年(1793)の念仏供養塔が安置されている。
また堂脇には馬頭観音、猿田彦神社碑があり、所沢道に面して長命寺への道標が建っている。
庚申堂から400mほど先で環状8号線(都道311号)に突き当たる。
環状8号線は、羽田空港から世田谷区、杉並区、練馬区、板橋区を経由する半円状の一般道である。通称は 「環八通り(かんぱちどおり)」、環八(かんぱち)」 などと呼ばれている。
所沢道は、環状8号線を斜めに横断していく。

所沢道標柱 豊島橋 禅定院 旧道口
環状8号線を渡ってどんどん進んで行くと、左手の下石神井坂下公園の前に所沢道標柱と所沢道解説が建っている。
下石神井坂下公園から400mほどうねった道を進むと、石神井川に架かる豊島橋がある。
石神井川は、東京都小平市花小金井南町の小金井カントリー俱楽部に源を発し、西東京市、練馬区、板橋区、北区を流れて隅田川に合流する延長25㎞の一級河川である。。
豊島橋の先のT字路を左折すと、右手に真言宗智山派の照光山無量寺禅定院がある。
禅定院は、今から600年前、願行上人によって開かれたと伝えられている。境内には、応安・至徳(南北朝時代)の板碑、寛文13年(1673)の織部燈籠(別名キリシタン灯籠)のほか、いぼの治癒に霊験あるいぼとり地蔵などがある
禅定院の斜向かいから旧早稲田通りから分岐して南に入る旧道がある。
この旧道は石神井川の手前で半円を描き、240~50mほど先で、再び旧早稲田通りに合流する。

所沢道標柱 道場寺 地蔵尊 三宝寺
旧早稲田通りに合流して先に進むと、信号十字路の右手斜面に所沢道標柱と所沢道解説が建っている。
この解説は、先に通った下石神井坂下公園前にあったものと同じ内容である。
所沢道標柱から70~80mほど先の右手に、曹洞宗の豊島山無量院道場寺がある。
道場寺は、文中元年(北朝応安5年、1372年)、当時の石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が、大覚禅師を招いて創建したと言われている。境内には、唐招提寺金堂を模した平安様式の本堂、鎌倉様式の三重塔、安土桃山様式の鐘楼など日本の古典建築様式を網羅した伽藍が建っている。
旧道に戻ると、道場寺の塀の角に一体の地蔵菩薩立像が立っている。 道場寺の西隣に真言宗智山派の亀頂山密乗院三宝寺がある。
三宝寺は、応永元年(1394)に鎌倉大楽寺の大徳権大僧都幸尊法印が創建したと伝えられている。戦国時代には小田原北条氏、江戸時代には徳川氏から保護を受け、近くに数十の末寺を持っていた。境内は広大で観音堂、根本大塔、観音霊堂、大師堂、大黒堂のほか、八十八ヶ所お砂踏み霊場などがある。

氷川神社 釈迦本寺 庚申塚 しいのき児童遊園
古地図を見ると所沢道は、三宝寺の前の三叉路を左に進んで半円を描いて釈迦本寺の辺りに抜けていたようであるが、途中で消滅しているので三宝寺前の三叉路を右に進んで氷川神社の参道を横切るように進んでいく。
氷川神社は、応永年間(1394-1428)この地を領していた豊島氏が武蔵一の宮の分霊を奉斎して石神井城内に創建したと言われている。
氷川神社参道から150mほど進むと、左手に日蓮宗の開妙山釈迦本寺がある。
釈迦本寺の詳細は不明であるが、山梨県岡部村の釈迦本寺を当地に移して昭和17年に建立したという。
所沢道は、釈迦本寺の先のY字路を右に進んでいく。
先に進むと、上石神井通りとの交差点角に庚申塚がある。
ここには元文5年(1740)の石燈籠、享保19年(1734)の廻国供養塔、元禄5年(1692)の一面六臂の青面金剛の庚申塔、正徳元年(1711)の光明真言供養塔の4基の石造物がある。
庚申塚の直ぐ先、左手に練馬区立しいのき児童遊園がある。
園内の一角に稲荷神社の赤い小社があり、旧道に面して所沢道標柱と所沢道解説が建っている。

旧道並み 地蔵菩薩 愛染稲荷神社 旧道消滅
しいのき児童遊園を過ぎると旧道は緩やかにうねり、周囲に畑が見えてくる。 先に進むと、富士街道(都道8号)に合流し、直ぐ右手(北西)に入る所沢道の入口に地蔵菩薩が建っている。
富士街道は、川越街道から分かれて府中宿へ向かう道で、「ふじ大山道」 「行者街道」 などと呼ばれていた。
旧道を道なりに1.7㎞ほど進み、左手のセントラルスポーツの脇の筋を入ると、練馬区立いずみ児童遊園の脇に愛染稲荷神社がある。
愛染稲荷神社の創建年代等は不詳であるが、五穀豊穣、商売繁盛の神様で、地元の農家と商店主により古くから守られてきたという。普段は金網が閉じられているそうだが、正月ということもあってか中に入ることが出来た。
旧道に戻って進むと、直ぐ先でT字路となり、向かい側に細い筋があるが、その先は西武池袋線で分断されている。ここからは右折して一本目の道を左折し、西武新宿線の踏切を渡って反対側に迂回していく。

あらやしき公園 天神社 南無妙法蓮華経題目塔 南無妙法蓮華経題目塔
西武池袋線の反対側から旧道を進むと、程なく福泉寺通りの変則六差路に出る。
左手にあらやしき公園があり、所沢道は北西の細い筋を進み、直ぐ先で都道25号を渡り、最初の十字路を左折していく。
その先も右左折があり、やや複雑な道となる。
複雑な道を進んでいくと右手に天神社がある。
天神社は、天正期(1573-91)の初めに日蓮宗の法華神道にもとづく三十番神社として創建されたと言われる。
その後、明治維新の神仏分離令により、三十番神のうちの天神を祀る天神社と改称された。境内には、安永2年(1773)の自然石の南無妙法蓮華経題目碑と安永9年(1780)の大きな南無妙法蓮華経題目がある。
旧道を先に進んで、伏見通り(都道234号)を渡ると、右手の薬局日本メディカル保谷店の脇に、享保8年(1723)の南無妙法蓮華経題目塔が建っている。 旧道を270~80mほど進んで、都道25号に突き当たると、右手の畑の脇に風化の進んだ南無妙法蓮華経題目塔が建っている。

旧道口 浅間上児童遊園 馬頭観音 馬頭観音
南無妙法蓮華経題目塔の建つ畑を回り込むように進むと、都道25号の右手に旧道口がある。ここから旧道は北に向かって延びている。 車がやっとすれ違う程度の狭い旧道を500mほど進むと、右手に広々とした浅間上児童遊園がある。
ここから埼玉県に入っていく。
浅間上児童遊園から北西に向かってどんどん進んでいくと、県道234号との交差点右手に馬頭観音が祀られている。 県道234号を渡って先に150~60mほど進むと、左手の駐車場の脇に2基の馬頭観音が祀られている。
左側は馬頭観世音菩薩と刻まれた石碑で、右側は馬の頭が刻まれた馬頭観音像である。

神宝大橋 庚申塔 地蔵菩薩 稲荷大明神
左右にうねった旧道を進むと、黒目川に架かる神宝大橋がある。
黒目川は、東京都小平霊園内に源を発し、東久留米市、埼玉県新座市、朝霞市を流れ、下流で新河岸川に合流している。
ここから再び東京都久留米市に入っていく。
神宝大橋を渡って直ぐ右手の民家の前に庚申塔が建っている。
正面に彫られた庚申の文字は微かに分かるが、三猿ははっきり確認することが出来る。
所沢道は、庚申塔の直ぐ先のY字路を左に進ンでいく。
左に折れて50mほど進むと、右手民家前に地蔵菩薩と地蔵菩薩の由緒板が建っている
地蔵菩薩の裏手(北側)に稲荷大明神がある。
稲荷大明神の由緒などは不詳であるが、綺麗に整備された境内には、大小の2社が建っており、大きい社には2つの祭神が祀られている。

神山氷川神社 馬頭観音 庚申塔 氷川神社
旧道に戻って120~30mほど進んだところで、左手筋を50mほど入ると、左手に神山氷川神社がある。
神山氷川神社は、室町末期の文安年間(1444-49)にこの地の鎮守として祭祀され、近郷の人々によって護持されてきた。社殿は元和5年(1619)浄牧11世陽岳宗春によって再建され、その後、何度か改修を行って現在に至っている。境内には、御嶽神社・戸隠神社、稲荷神社・古峰神社などの境内社がある。
旧道に戻って都道24号をどんどん進み、途中で都道125号を渡り、更に進むと、左手に金山森の広場(東久留米金山緑地)があり、旧道に面して文政9年(1826)の馬頭観音が建っている。 金山森の広場を過ぎた所の十字路で旧道を外れて、左折して200mほど進むと、右手のY字路角に享保19年の一面六臂の青面金剛の庚申塔が建っている。
祠の隣には、猿田彦神社の石燈籠と欠けた手水石がある
庚申塔の前の道を30mほど下った右手段上に氷川神社がある。
氷川神社の創建年代は不詳であるが、かつて門前村と称していた頃、村の北側にあり、明治になって部落の中心に遷座されたという。

地蔵菩薩 清瀬駅方面 稲荷神社 小金井街道
旧道に戻って進み、途中、東京都東久留米市から埼玉県新座市に入り、更に500mほど進むと、十字路角に地蔵菩薩立像が建っている。周囲には馬頭観音、日本廻国供養塔、笠付の三面六臂の馬頭観音などが建っている。 地蔵菩薩の50mほど先で、所沢道は右折して清瀬駅方面へ進んでいく。
右折して間もなく埼玉県新座市から東京都清瀬市に入り、次第に畑が目につくようになる。この辺りは東京都と埼玉県の境が入り組んでいる。
先に進んで新小金井街道(都道40号)を過ぎると、駅前稲荷児童遊園の中に鉄柵に囲まれた稲荷神社がある。 稲荷神社の先でT字路を左折すると小金井街道に突き当たり、ここを右折してどんどん北に向かって進んでいく。

東光院 清瀬橋 常夜燈 地蔵尊
所沢道(小金井街道)をどんどん進んで、清瀬四中東信号の先の変則十字路を左折すると、右手に東光院入口の看板が建っているが、この筋が小金街道と並行して旧道として残っている。旧道を少し進むと左手に天台宗の仲永山東光院がある。
東光院の創建代等は不詳であるが、本尊は薬師如来坐像で、境内には六地蔵尊のほか、馬頭観音などの石造物がある。
先に進んで小金井街道に合流すると、その先で柳瀬川に架かる清瀬橋がある。清瀬橋は二つあり、手前に古い造りの橋があり、続いて新しい大きな橋がある。清瀬橋を渡ると埼玉県所沢市に入っていく。
柳瀬川は狭山湖に源を発し、清瀬市と所沢市の市境を流れ、新河岸川を経て荒川に注いでいる。
清瀬橋を渡って300mほど進むと、右手の民家の前に常夜燈が建っている。
常夜燈の竿石には、「金毘羅大権現・石尊大権現・秋葉大権現」 と刻まれている。
常夜燈の先のY字路を右に進むと、左手に地蔵堂があり、三体の地蔵菩薩が安置されている。
御堂に 「和田子育地蔵尊」 の扁額が掛かり、手前には 「文化歴史遺産⑮和田子育地蔵尊」 の標柱が建っている。
年代が分かる地蔵尊は、安永10年(1781)、享保元年(1716)である。

JR武蔵野線 庚申塔 御嶽大神碑 旧道口
先に進むとJR武蔵野線の高架下を潜っていく。武蔵野線は、神奈川県横浜市の鶴見駅から千葉県船橋市の西船橋駅を結ぶJR東日本の鉄道路線である。 JR武蔵野線を越えて500mほど進むと、逆Y字路の愛宕山交差点がある。このY字路中央に天明2年(1782)の一面六臂の青面金剛の庚申塔が建っている。
庚申塔の両脇の石碑は、道路改修記念碑である。
愛宕山交差点から300mほど先の左手、あすなろ薬局の向かい側に御嶽大神碑が建っている。 御嶽大神碑から100mほど先の上安松東交差点を右折して、直ぐ左に入る旧道口がある。
この先は狭い一方通行路で、民家と畑の間を通る道となる。

庚申堂 坂稲荷神社 終点
先に進んで西武新宿線の踏切を越えると、左手に庚申堂がある。
境内には、厄神社と元文5年(1740)の六十六部供養塔、元禄11年(1698)の青面金剛の庚申塔、宝永7年(1710)の青面金剛の庚申塔、青面金剛が沢山彫られた珍しい庚申塔がある
庚申堂の先で変則四差路となり、左は所沢駅方向、右は航空公園方向で、所沢道は真直ぐに進んでいく。
直ぐ左手に坂稲荷神社がある。
坂稲荷神社の創建年代は不詳であるが、元禄時代(1688-1704)より前に創建されたといわれ、所沢神明社の倉稲魂命の分霊を祀っている。
坂稲荷神社の先で所沢道は終了する。
江戸時代に編纂された 「新編武蔵風土記稿」 によると、所沢からは秩父往還に接続していたと云われている。