地蔵菩薩立像

天明元年(1781)の宝篋印塔

弘法大師像

十三重塔

大師堂 (奥の院)

御堂に掛かる大師堂の扁額

不動明王・弘法大師の碑

六地蔵尊

根本大塔

平和観音 (十一面観音菩薩立像)

板碑

千体地蔵尊

勝海舟邸から移築された長屋門

鐘楼

大黒堂

大黒堂地下の子育地蔵尊

 三宝寺は、江戸時代には山号を亀頂山といい、不動明王を本尊とする真言宗智山派の寺です。室町時代の応永元年(1394)、権大僧都幸尊が開山したと伝えられています。文明9年(1477)石神井城陥落の後、石神井池南方台地上の現在の野球場周辺から現在地に移ったと言われています。
 戦国時代には小田原北条氏、江戸時代には徳川氏から保護を受け、近くに数十の末寺をもち、府内八十八ヶ所巡りの第16番札所となっていました。二度の火災で、焼失したものもありますが、優れた仏像や絵画などを、今でも数多く所蔵しています。
 また、山門は、三代将軍家光が狩りをしたとき、ここを休憩所としたことから 「御成門」 と呼ばれるようになったと伝わります。山門東側の長屋門は、勝海舟邸の屋敷の門を移したものといわれます。(練馬区教育委員会)

観音堂

観音堂内陣

三宝寺本堂

三宝寺由緒

本堂に掛かる密乗三寶の扁額

 寛永2年(1625)及び正保元年(1644)に、徳川家光が狩猟の際、当山が休憩所とされたので、この山門を御成門と称するようになった。江戸時代には、平常は門扉を閉じて庶民の通行を禁じていたとと云われている。
 棟札に記されたところによれば、当山第23世宥泉和尚が、布施物を蓄積して再建したものである。
 文政10年(1827)7月26日に成り、二度の火災にもその難を免れ、当山第一の古建築であるばかりでなく、当地方稀に見る傑れた山門である。

観音堂に掛かる補陀落迦の扁額

手水舎

御成門(山門)由緒

三宝寺山門