長命寺道道標

猿田彦神社碑

馬頭観世音

 堂内の石塔は、寛保元年(1741)銘の庚申塔と寛政5年(1793)銘の念仏供養塔です。
 これらは、この辺りが武州多摩郡下井草村字八成といわれた頃、地域の人々によって悪疫退散・村内安全等を祈願して建立されたものといわれています。
 庚申信仰は、「60日に一度廻ってくる庚申の夜には身を慎み、徹夜をする」 という中国の道教説が日本に伝わり、仏教や神道の信仰と習合して庶民の間に広まったもので、江戸時代には、青面金剛を本尊とし、不見、不聞、不言の三猿が彫られた庚申塔の建立が盛んになりました。
 念仏信仰は 「南無阿弥陀仏」 と唱え、阿弥陀仏を信じれば浄土に導かれるという信仰で、念佛供養塔も各所に多く建立されています。
 石塔の側面にはそれぞれ、庚申塔には 「右たなか道」 「左志やくじ道」、念佛供養塔には 「右新高野へのミち」 「左中野へのミち」 等と彫られており、近隣の田中村、石神井村、中野村などへの道標の役割も果たしていました。
 八成地域は中野~阿佐ヶ谷~石神井~保谷~所沢を結ぶ所沢道の道筋にあたり、この場所は、かつての所沢道と府内17番札所東高野山長命寺(現練馬区)への巡礼道の交差点で、往来の人も多く、近くには茶屋もありました。
 なお、堂外にも正面に道標を刻んだ石塔があります。
 道標銘付の石塔群としては、区内でも珍しく、八成と呼ばれていた当時の往来の姿を示す貴重な資料です。(杉並区教育委員会)

是ヨリ 〇丁 すぐ道

民間信仰石塔の解説

念仏供養塔 ・ 一面六臂の青面金剛の庚申塔

庚申堂