ここに建立されている石塔は、元禄10年(1697)銘の庚申塔及び宝永7年(1710)・享保7年(1722)銘の地蔵塔並びに、正徳5年(1715)銘の阿弥陀塔計四基があります。
 庚申信仰は 「長生きするためには庚申の夜は身を慎み、諸善を行い、徹夜をすべきである」 という中国の道教説から始まったようです。それが日本に伝わってからは、中世以降仏教や神道の信仰と習合して庶民の間に広まりました。江戸時代には本尊を青面金剛とし、不見、不聞、不言の三猿が彫られるようになり、ここに見られるような庚申塔の建立が盛んになりました。
 地蔵菩薩の信仰は、仏教の民衆化とともに宗派を超えて広まりました。地蔵菩薩は、冥界と現実界の境に立って人々を守護するということから、村や道の境や村の安全を守護する菩薩とされ、村の路傍または辻に多く建立されています。
 阿弥陀如来は西方極楽世界の本尊とされ、他力往生の請願をたて、この仏を信じる者は、ただ念仏さえ唱えれば難行苦行を積むまでもなく、仏が大慈の光明を照らし、お迎えくだされるとされています。
 これらの石塔は、この辺りが武州多摩郡阿佐ヶ谷村字東原と称された頃、この地域の講中の人々によって悪病退散、村人安全などを祈願して建立されたものといわれています。現在でも10月23日には、旧阿佐ヶ谷村の人々が中心になって祭礼が行われいます。
 なお、石塔の前の道は、かつての所沢道、左側の道は天沼から青梅街道に通じる旧道で、この付近は村の中心地でした。
 私たちもこのような文化財を一層大切に守り続けたいものです。(杉並区教育委員会)

民間信仰石塔の説明

4基の石塔

元禄10年(1697)の笠付庚申塔

宝永7年(1710)の地蔵菩薩

享保7年(1722)の地蔵菩薩

正徳5年(1715)阿弥陀如来