神山氷川神社は室町の末期文安年間(1444-49)に浄牧院創建と共にその土地堂鎮守として祭祀せられ、徳川の初期その地が浄牧院の寺領朱印地と定めらるるや岡野、土屋、並木、新倉、峰岸、志賀野、貫井等神山中心の家系の人々によって護持せられ、社殿は元和5年(1619)浄牧11世陽岳宗春によって再建せられた。ついで延保、元禄、天明と改修を重ね、後更に大工藤七を棟梁として改築し、天保の改修についで、嘉永元年(1848)大改築を行い、その10月21日に遷宮祭祀した。
 斯くして明治維新後完全に神山村の鎮守とし、村民一同によって祭祀せらるることとなり、明治22年(1889)にも神山村民一同で修復して、大正、昭和の時代を通じ、此の社殿の護持に努めてきた。然るところ、昭和の第二次世界大戦により社会及び経済状態の大変化に伴い、神山村も神宝町、金山町、上の原と改称され、園地その他住宅地として、大きく発展変貌し、氷川神社もこの世相に応じ、大改築の議起こり、衆議一決したるにより、岡野平次郎以下15名を建築委員として、喜捨寄進を進め、玉木健夫を棟梁として根本的に設計大改築を成し遂げ、昭和46年(1971)6月5日をもって遷宮鎮座祭を行った。社殿と共に社務所、公会堂も同時に落成し町民の敬神和楽の道場となし、鎮守神として除災招福の神事を行い、氏子一同の繁栄鎮護の氏神とし神威を増加し、町内安全を祈り、変遷の由来を記し、後世に伝えんとするものである。

文久3年(1863)の手水石

鳥居に掛かる鎮守社の扁額

御嶽神社 ・ 戸隠神社

稲荷神社 ・ 榛名神社 ・ 古峰神社

昭和61年(1986)の石鳥居

本殿覆屋

神山氷川神社由緒碑

神山氷川神社拝殿

明治35年(1902)の阿形の狛犬

明治35年(1902)の吽形の狛犬