「山荘」 は山屋敷・切支丹屋敷ともいわれ、キリスト教徒を禁固した初代切支丹奉行井上筑後守政重の別邸(現文京区茗荷谷)をいいます。
 徳川幕府はキリスト教の日本侵略をおそれ、外には鎖国政策をとり、内には踏絵・宗門改・寺請制など厳しい取り締まりを行いました。
 切支丹屋敷は、寛永20年(1643)に密入国した布教者(伴天連)のうち、マルケスやキアラほかの棄教者を収容し、宗門改などの情報を集めたことに始まります。のちに一人で密入国したシドッティを収容、これを訊問した新井白石が 「西洋紀聞」 を書いたことは有名です。シドッティは、鎖国の理由となった侵略説を否定、近代科学への目を開かせるなど、白石に大きな影響を与えました。
 この碑は、屋敷が大江正晴のものとなったとき、獄死した人々を悼んで建てた我が国の文化史上重要な遺跡を語るものです。のちに蓮華寺に移され、同寺とともに当地に移されました。(中野区教育委員会)

山門に掛かる泉光山の扁額

蓮華寺本堂

蓮華寺山門

山門に下がる行灯に描かれた日蓮上人像

開山堂(一階) ・ 有縁堂(二階)

南無妙法蓮華経題目碑

山荘の碑

山荘の碑解説

地蔵菩薩立像・如意輪観音菩薩

本堂に掛かる蓮華寺の扁額

客殿

客殿に掛かる泉光山の扁額