伊能忠敬翁は、延享2年(1745)現在の九十九里町で生まれ、17歳で伊能家当主となり、現在の香取市佐原で家業のほか、村のため名主や村方後見として活躍しました。
 その後、家督を譲り50歳で天文学の本格的な勉強をするため江戸に出て、当時の天文学第一人者、高橋至時に弟子入りしました。そして55歳(1800年)から71歳(1816年)まで10回にわたり日本全国の測量を行い、その結果完成した地図は極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降、国内の基本図の一翼を担いました。
 伊能忠敬翁が亡くなってから200年目の節目の年である平成30年(2018)を機に、伊能忠敬翁の偉大な功績を讃え伝え、永く歴史にとどめるため、多くの方々から浄財を募り銅像が建立されました。
 銅像の作成は香取出身の彫刻家、木内禮智氏によるものであり、日本の科学技術の確かさを世界に示した伊能忠敬翁の世界的な偉業に尊敬と感謝の念を込めて作成にあたられました。完成した銅像は、伊能忠敬翁が測量を始め、自ら陣頭指揮を執り、過酷な環境である蝦夷地へ臨む希望と熱意に満ちた姿が表現されています。また、蝦夷地測量において、緯度1度の距離を測る事を自らの目標として、毎晩のように北極星を熱心に観測していたことから、銅像は北極星を向けて建立されました。
 なお、銅像台座の銘板は、徳川宗家18代当主徳川恒孝氏の揮毫によるものです。
 (伊能忠敬翁銅像建立委員会)

郷土の偉人 「伊能忠敬翁」

和風造りの佐原駅

北極星を向いて立つ伊能忠敬像