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銚子佐原街道   (木下~滑河


令和2年2月4日(火)   ☀/☁    木下~滑河    21.0㎞
銚子佐原街道は、木下河岸から利根川に沿って通る道で、江戸へ物資を輸送する重要な街道であったばかりでなく、鹿島・鳥栖・香取の三社詣への旅の道でもあった。途中には、江戸情緒溢れる古い町並みが残る水郷の里佐原がある。

木下駅 柏屋 木下町道路元標 記念碑
早朝7時の木下駅は、高校生であろうか学生の姿は目に付くが、車を利用する者が多いのかサラリーマンなどの姿は少ない。 木下駅から木下河岸へ向かう途中、左手に創業150年を越えるという蕎麦屋の柏屋が、大正時代に建てられた趣ある店構えを見せている。 柏屋の先で銚子屋旅館を過ぎると、右手に少し下る筋の左手に小さな木下町道路元標が建っている。
街道に戻って、次の右手筋を入っていくのが旧道である。
先に進むと右手のくすの木公園の中に事業計画記念碑が建っている。かつてこの地は利根川・手賀沼の豊かな水を利用した水田地帯であったが、昭和40年代に入り、高度経済成長とともにこの地は首都圏の宅地としての機能が飛躍的に高まり、都市化への対応策として昭和46年に印西町開発基本計画を策定するに至った。昭和52年には幾多の困難を乗り越え、総事業面積31.9haの都市機能を有した市街地事業を完成した。

堤防沿いの道 石碑 逆光の道 旧道口
くすの木公園を過ぎて木下東交差点に出ると、利根川の堤防脇を通る国道356号にぶつかるが、旧道はその右手の田んぼの脇を通っている。 堤防沿いの道を600mほど進んで平岡交差点に出ると、藪の中に石碑が建っている。
藪が密集しており、石碑まで踏み込めないので、何の碑か確認はできないが、頌徳碑ではないかと思われる。
街道はここを右折して東に進んでいくが、利根川堤防脇の道も、この道も国道356号である。
街道は東に向かっているため、日差しが正面から射してくる。
この道は、かなり危険な道で、先が逆光でよく見ず、歩道が無く、車がスピードを上げて向かって来るので、非常に注意して進む必要がある。
逆光の道を700mほど進んで、左手の印西動物病院を過ぎると、左手に旧道口がある。
この旧道は弓なりになっており、200mほど先で再び国道356号に合流している。
旧道の中程には、明治9年(1876)の三界万霊塔が建っている。合流した先は右手に田んぼが広がり、直線の道が東に向かっている。

将監川(しょうげんがわ) 観音堂 地蔵菩薩・道標 水神社
街道左手に 「JR小林駅→」 の標識が建つ小林交差点の辺りで、左手に将監川が見える。
将監川は、かつて枝利根川とも呼ばれ、印西市栄町西付近で利根川より分派し、下流で長門川に合流する河川であったと。
大正元年(1912)に洪水対策の一環として、利根川との流れ口が閉ざされており、現在は沼状態になっている。
小林交差点から500mほど先で、すずかけ通りlを超え、更に150mほど先の右手にある小林新田青年館の前に観音堂がある。観音堂の由緒などは不詳であるが、傍らには大師堂、弘化4年(1847)・万延元年(1860)の文字庚申塔、文久元年(1861)の二十三夜塔などの石造物がある。 観音堂の先で街道が左にカーブするところに地蔵菩薩立像と道標が建っている。地蔵菩薩立像は道標を兼ねており、台座に 「右さくらミち」 「左てふし・なりた道」 と刻まれている。地蔵菩薩立像の後ろの道標は、慶應4年(1968)のもので、「なり田道」 「さくらみち」 「てうしミち」 と刻まれている。 地蔵菩薩のところから枡形になった道の右手に水神社がある。水神社の由緒等は不詳であるが、境内には大師堂、延享2年(1745)・安永6年(1777)・慶応元年(1865)の石祠のほか、庚申塔・子安観音・二十三夜塔などの石造物がたくさんある。

うねる街道 不動明王 旧道口 水神宮
水寺社を過ぎると、道は右に左にうねっており、歩道がないので対向車が突然現れる感じで、かなり危険な道である。ガードレールはいたる所凹んでおり、頻繁に事故があったことが伺える。 街道右手の木の根元に小さな不動明王像が安置されている。 先に進むと右手に旧道口がある。旧道を入ると、間もなく右手につりぼり真嶋園がある。この旧道は弓なりになっており、500mほど先で再び国道356号に合流している。 つりぼり真嶋園から100mほど先の左手に水神宮がある。境内にある記念碑によると、印旛沼を抱える利根川流域に開拓された埜原地区は当初より水との闘いであり、洪水による水害の恐れは常にあった。従って安食卜杭集落でも長門川、将監川等の堤防決壊による水害から自分たちの集落を守護し、五穀豊穣と住民の安泰を祈願して水神社(祭神水波能女命)をお祀りしたという。境内には水神宮石祠のほか、3基の庚申塔がある。

百万遍供養塔 つりぼり八十八 JR成田線 地蔵堂
水神宮の直ぐ先左手の木の下に、大日如来を陽刻した百万遍供養塔が建っている。石塔は右側の植栽ギリギリに建っているため、造立年代は確認できない。傍らには、風化が進んだ二十三夜塔が建っている。 国道356号に合流すると、右手につりぼり八十八がある。
今日は日差しが少なく、やや寒いせいもあってか、釣り人は2人のみであった。
街道は、長門川を横切るまで、暫くJR成田線に沿ったところを通っている。街道脇を通るJR成田線は、我孫子駅から.成田駅までの支線で、通称我孫子支線と呼ばれている。 先に進んで安食卜杭信号を渡ると、左手に地蔵堂がある。
地蔵堂には、2体の地蔵菩薩立像が祀られており、お堂の脇には由緒らしき石碑が建っている。

長門橋 大鷲神社 大乗寺 旧道口
地蔵堂の直ぐ先に、長門川に架かる長門橋がある。長門橋には、併設した人道橋があるので安全に渡ることが出来る。渡詰めの左手下流側の川沿いに高浜虚子の句碑が建っている。長門川は、利根川と印旛沼をつないでおり、印旛沼唯一の流出河川である。 長門橋を渡り、200mほど先の左手筋を入るのが旧街道であるが、このまま直進して突き当たると、大鷲神社がある。大鷲神社の創建年代等は不詳であるが、日本武尊が東征の際、仮の御野立所として祖神を奉斎した旧跡と言われている。江戸時代には春日局の崇敬が厚かったという。境内には、麗峰神社・石上神社・御嶽神社のほか、日本最大の男根を祀る魂生大明神などがある。 大鷲神社の北側に天台宗の安栄山大乗寺がある。大乗寺は、慶安5年(1652)の創建と伝えられているが、詳細は不詳である。境内には、旧本堂、鐘楼のほか、安食百観音霊場をはじめとして、多くの石造物がある。 街道に戻って旧道を北に入っていく。
この旧道は300mほど先でT字路に突き当たるので、右折して国道356号に合流する。

水神社 駒形神社 旧道口 庚申塔
旧道から国道356号に合流して間もなく、左手の栄安食郵便局の脇を西に入っていくと、右手奥に水神社がある。
水神社の由緒等は不詳であるが、本殿の裏に延宝5年(1677)の石祠あり、境内には大師堂のほか、風化が進んだ如意輪観音がある。
街道に戻って100mほど先の信号交差点を右折し、その先の駒形神社社標の建つ筋を左に進むと、段上に駒形神社がある。駒形神社は、仁平元年(1151)郡司大浦朝臣廣足が、五穀豊穣の神を祀ったことに始まると伝えられ、主祭神は保食神(うけもちのかみ)で、本殿は文化4年(1807)に再建されている。境内には、金刀比羅大神・阿夫利大神のほか、石祠などの石造物がある。 街道に戻って信号交差点を2つ渡ると、国道356号の右側に並行する旧道がある。この旧道口の堤防上には、東屋とトイレがあり、西方向に筑波山を望むことが出来る。 先に進むと270~80m先の右手に青面金剛尊と刻まれた庚申塔と、文政と刻まれた二十三夜塔が建っている。

道標 観音堂? 堤防突き当り 堤防を歩く
庚申塔から100mほど先の右手筋角に、大正11年(1922)の道標が建っている。正面には、「向 右安食町ヲ経テ大埜村・成田町方面、左矢口ヲ経テ豊住村方面」、左面には、「須賀ヲ経テ八生村二至ル」 と刻まれている。 道標から300mほど先の栄町消防団第2分団第2部器具庫の隣に、観音堂か地蔵堂らしき御堂が建っている。御堂の脇には甲子塔・稲荷神社石祠などの石造物があり、御堂の裏には地蔵菩薩・十九夜塔・馬頭観音などの石造物がある。更にその奥には大師堂が建っている。 先に進むと旧道は、「水と緑の運動広場」 に突き当り、左手の国道356号に吸収されてしまう。水と緑の運動広場には、2つの野球場と4面のテニスコートがあり、入口に須賀スーパー堤防のモニュメントが建っている。国道には歩道が無いので、この先は利根川の堤防上を歩いていく。 「水と緑の運動広場」 の先に道は無いものの、歩こうと思えば歩けるが、ここからは景色の良い堤防上を歩くこととした。

北辺田矢口揚排水機場 田んぼ脇の旧道 庚申塔 神社
先進むと国道356号の右手の田んぼの中に、北辺田(きたべた)矢口揚排水機場があり、敷地内に 「桃花千歳之邑」 碑が建っている。大正期にはこの地の水田耕地の整備が整っておらず、昭和期に土地改良事業等を経て、ここに揚排水設備が設置され、昭和57年の完成を記念して建てられたようである。碑の傍らには、石祠・地蔵菩薩・記念碑など5基の石造物が並んでいる。 北辺田矢口揚排水機場の先からは、田んぼの脇に道があるので、先進むと自然と旧道に出る。
この道は約2㎞ほど先で、左から回り込んできた国道356号に合流する。
田んぼ脇の道を進んで、自然と旧道に復帰したところに、小さな青面金剛の庚申塔が建っている。
この庚申塔は道標を兼ねたもので、左右面に行き先が刻まれているが、風化が進んではっきり確認はできない。
庚申塔から200mほど先の十字路左手に石鳥居が建っており、扁額に 「弁天社・神明社・水神社」 と記されている。
旧道あったそれぞれの石祠を集めてお祀りしたと思われる。

道標 長豊橋 堤防上 水神社
神社の向いに当たる十字路角に、天保11年(1840)の道標が建っている。
正面に 「南 一宮大明神・成田山不動明王・芝山仁王明王 道」、右面に 「東 香取大神宮」、左面に 「鷲宮大明神 あじき きをろし 江戸 道」、裏面に 「北 家内安全 施主藤崎三良左衛門」 などと刻まれている。
先に進んで800mほど先で国道356号に合流すると、左手に利根川に架かる長豊橋が見えてくる。長豊橋は茨城県河内町と千葉県成田市を結ぶ橋で、昭和43年(1968)に開通した。橋の名前は、茨城県の長竿村と千葉県の豊住村に由来する。 国道356号に合流してからは、田んぼ脇に道がないため安全な堤防上を歩いていく。 変化のない堤防上を1.9㎞ほど進むと、右手の国道356号の下に水神社がある。境内の記念碑によると水神社旧本殿は、宝暦7年(1757)上の宮と下の宮の両社を合祀して一社に建替えたと言われる。
境内には安政3年(1856)の常夜燈、元文5年(1740)の石祠、享保7年(1722)の青面金剛の庚申塔などの石造物がある。旧道は、この水神社から復活している。

安西共同利用施設 新川水門 旧道 旧道
旧道を進んでいくと左手に成田市安西共同利用施設がある。
この建物の敷地に西雲山常光寺の扁額を掲げた建物があり、その傍らに子安観音堂と大師が建っている。この道は、関東ふれあいの道の一部のようで、「龍正院3.8㎞、龍角寺7.6㎞」 の道標が建っている。
先に進んでT字路を左折すると正面に新川水門が見えてくる。
水門の上流は根木名川(ねこながわ)で、国道356号はこの水門を通っているが、水門上は歩道が無いので、車の往来に注意して渡る必要がある。根木名川は千葉県冨里市根木名付近に源を発し、途中取香川、荒海川などの支流を合わせて、この新川水門を抜けて利根川に合流している。
新川水門の渡詰めを根木名川の上流に向かって80mほど進むと、左手に旧道がある。この旧道は住宅街を抜けると国道356号に突き当たる。 国道356号に突き当たった道は、国道356号の脇を並行している。
直ぐ先の右手畑の一角に安永5年(1776)の石祠が建っている。

水神宮 根木名川橋 地蔵堂・大師堂 稲荷神社
旧道を800mほど進んで国道356号に合流し、直ぐ先の尾羽根川排水機場前信号交差点で国道356号と分かれて右に入ると、左手に水神宮がある。 水神宮から程なく、派川根木名川に架かる根木名川橋がある。
橋の親柱には、事故の減少を願って魔除けの下総鬼瓦が据えられている。下総鬼瓦は、大きな鬼の顔が掘られ、かつては魔除けとして瓦屋根に置く家が多かったが、家の造りも変わり徐々に県内の工場は姿を消し、現在は成田市の工場だけになった。
根木名川橋から600mほど先の成田市滑川T字路交差点を左折して程なく、右手に地蔵堂と大師堂が建っている。
地蔵堂には、釜地蔵尊が安置されているが、閉ざされており拝顔は出来ない。
地蔵堂の道路を挟んだ向かいの筋を入っていくと、正面の大木の根元に稲荷神社が建っている。

町並み 龍正院 長屋門 富士塚
地蔵堂の先は北に向かって街道が延びており、歩道は無いが、車の往来が少ないので比較的安心して歩くことが出来る。 先に進むと街道正面に天台宗の滑川山龍正院が見えてくる。龍正院は、仁明天皇の承和5年(838)の草創で、慈覚大師の開基と伝えられている。
境内には、国指定重要文化財の茅葺の仁王門、下総七福神の毘沙門天、千葉県有形文化財の銅造宝篋印塔、閻魔大王・奪衣婆が鎮座する地蔵堂のほか、熊野神社などの境内社、芭蕉句碑、夫婦松などがある。
街道に戻って滑河観音脇信号を過ぎると、直ぐ左手に長屋門を構えた旧家がある。 長屋門の旧家から400mほど先に進むと、右手の段上に富士塚がある。
鳥居の脇には、青面金剛庚申塔と三面六臂の馬頭観音があり、段上には文政5年(1822)の富士山と刻まれた石祠、宝篋印塔、六十六部供養塔などの石造物がある。

JR成田線 道祖神 小御門神社鳥居 薬師堂
富士塚の直ぐ先でJR成田線の滑河県道踏切を渡っていく。 滑河県道踏切を渡った直ぐ右手に、昭和22年(1947)の道祖神石祠が建っている。 先に進んで滑河駅入口交差点の右手を見ると、小御門神社の大きな赤い鳥居が見える。小御門神社は、ここから約3㎞ほど南東にある藤原師賢を祀る神社である。藤原師賢は、元弘元年(1331)後醍醐天皇の身代わりに比叡山で挙兵したが、捕らえられて下総国に流され、32歳で没した。明治になって師賢を祀る神社の創建運動が起こり、明治15年(1882)に社殿が造営された。 小御門神社鳥居の50mほど先、左手段上に薬師堂がある。段上へ続く石段の脇に六地蔵尊・青面金剛庚申塔があり、石段を上がった正面に薬師堂がある。堂内は荒れているが、中央に薬師如来の厨子が祀られている。
境内には観音堂・大師堂があり、墓所には国学者・椿仲輔の墓碑が建っている。

宰府神社 滑河駅
街道に戻り滑河入口交差点を100mほど西に進むと、JR成田線の滑河駅に突き当たる。滑河駅の西側に宰府神社(天満宮)があるので、少し先から回り込んで寄ってみることにした。明治以前の鉄道施設前は、滑河駅は参道となっていた。宰府神社の創建年代は不詳であるが、宝永5年(1707)の本殿再建の棟札が残っているという。 本日はここで終了し、滑河駅から帰途に就いた。滑河駅から都内までは約2時間程度の鉄道の旅である。

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