当山は山号を塩島山と称し、真言宗豊山派に属す。本尊薬師如来寺伝によると、元和元年(1615)頃神崎上人の開基と伝えられ、境内には室町時代の明応2年(1493)の紀念銘があるのを始め、数基の板碑がある事から、寺としての開創は更に古いものと考えられ、この元和年間は中興開基の年代とみられる。
 本尊薬師如来の縁起には次のようにある。伝教大師が当地巡錫のおり、大戸神社に参駕籠の時、一夜夢の感得によって当地塩島に霊泉の湧き出るを発見され、自ら一刀三礼の薬師如来尊像を彫まれ、この地に安置されたに始まるという。
 のち元和元年(1615)、神呼上人が当地近郷近在の里人と共に宮殿を建立し、牛頭天王(同所の八坂神社)をこの薬師尊の守護神として祭り奥の院と称した。参詣する人々に塩浴せしめ、血の道などの霊薬として授けたとある。
 その頃から当山の名は広く四隣に聞こえ、諸人の信仰を広く受け、参詣する者多く絶え間なかったと伝えている。
 大戸川地区は寺院が群立競合していたが、その中にあって当山は境内田畑など相当広く所有して隆盛していた様である。大戸川地区では昔から八日祭と称して毎年4月8日には薬師尊のおこもり信者が集まり賑わしく区全休一日公休日とした。また、この日に明治初年まで農具植木の市も開かれ賑わったと古老は伝えている。
 その後荒廃甚だしく昭和4年(1919)本堂修理、昭和27年(1952)薬師堂の屋根替、そして昭和35年(1960)薬師堂の移転工事、墓地の整理、続いて昭和38年(1963)本堂薬師堂、同54年(1979)大改築を行い面目を新たにす。

明応2年(1493)の阿弥陀並立図像板碑・寛政12年(1800)の阿弥陀三尊種子板碑

板碑

南無返照金剛

笠付庚申塔

宝聚院本堂

本堂内陣

本堂に掛かる塩島山の扁額

観音堂

宝聚院縁起

寛政11年(1799)の如意輪観音

六地蔵尊

六地蔵尊

薬師堂

薬師堂に掛かる瑠璃光の扁額

薬師如来坐像