神崎神社拝殿

神崎神社由緒

社務所

聖観音堂

なんじゃもんじゃの木

地主稲荷神社

神崎神社本殿

左から鹿島神社、香取神社、かまど神社

参道左手の三峯神社

手水舎

神崎神社鳥居

参道右手に建つ金刀比羅宮

神崎神社参道石段

 古来、なんじゃもんじゃの木といわれ、「利根川図志」 ・ 「牧野富太郎科学随筆集」 などでも紹介されてきたクスの木の巨木である。
 延宝2年(1674)4月、水戸光圀公当社参詣の折、「この木は何というもんじゃろうか」 と自問し、感嘆されたという。
 それ以来、この御神木は、「ナンジャモンジャ」 の名をもって広く知れ渡っている。
 主幹は明治40年に火災で焼け、高さ7mほどで切断されているが、そのひこばえがよく育ち、樹高20m以上に達している。
 (文化庁、千葉県・神崎教育委員会)

 当神社は、常陸国河内郡と下総国香取郡との境、大浦沼二つ塚よりこの地に影向した白鳳2年の御創祀と伝えられる古社であります。
 平安時代の史書 「三代実録」 に子松の神の名で記載があり、元亀・天正の頃まで神領700町歩を有し、また、徳川時代には代々御朱印20石を寄せられました。
 六所鎮守神崎大明神・神崎大社等と称されていましたが、明治以降神崎神社と改められ、明治6年郷社に、大正10年県社に列せられました。
 産業守護、交通守護、家内守護、商業繁栄の祖神として広く信仰されております。、

 神崎神社文書は、鎌倉時代初期の承久3年(1221)から室町時代初期応永2年(1395)にかけての神崎荘及び神崎神社関係の古文書12通、室町時代の書写と思われる神崎宮絵図一点が一巻にまとめられています。
 千葉県内には中世史料が少なく、当時の荘園・神社領関係を知るうえで極めて重要な史料です。
 (千葉県・神崎町教育委員会)

なんじゃもんじゃの木説明

神崎神社文書一巻