風化が進んだ弘法大師像
観子雲法師などと刻まれた石碑
我桜二十周年記念碑
石祠
地蔵菩薩
本地区は千葉県の北部に位置し、利根川右岸に沿って東西にやや細長く展開する低位部耕地と東西両端からほぼ南方向に入り込んだ谷津合耕地からなる緑豊かな水田地帯である。
古来この地域は無区画で低平な湿田地帯であり、用水源はあるものの施設が整っておらず排水についても地区東端付近にある舟戸入桶から利根川に自然排水されていたが、水位の高低と大なる関係を有し夏季水位の変化は直ちに豊凶に及んだ。
大正10年北辺田矢口耕地整理組合を設立し、翌11年北辺田大牧地先の利根川筋に用排水兼用の揚水機場を設置した。その後昭和27年北辺田矢口土地改良区に組織変更をする。
昭和33年施設の老朽化や降雨による水害に対処して揚水機の移築改修が行われた。しかしながら用水路がほとんどなく田越えが心配であり排水施設についても小規模なため特に低位部における排水被害がしばしば起こる状態であった。
また道路は狭い耕作道が地区内に散在するに過ぎず不便をきたしており、区画に於いても10アール前後で整備するに至らず大型機械の導入等による農業の近代化にはほど遠いものがあった。
昭和47年圃場整備の気運が起こり、48年組合員全員の同意を得、一致協力し県営圃場整備事業として推進を図り、国県に陳情を重ね、昭和49年9月25日認可を受け関係機関の御指導の下に県営圃場整備事業北辺田矢口地区は事業実施の運びとなった。
本事業は耕地161ヘクタールを一区画30アールとして区画整理を行い、それに伴って道路水路の整備、用排水機場の設置等万全を期し、工事費11億余円の巨費と90余年の歳月をもって、昭和57年ついに昔日の観なき整然とした立派な圃場の完成に至った。本事業の完成は大型機械の導入はもとより多様化する農業経営の合理化に寄与するところ大なることを信じて我等改良区員一同はここに記念碑を建てて経過を刻し、労苦をじのび併せて地区永遠の発展と多幸を念じ、碑に銘記して永く後世に伝え残すものとする。 昭和57年12月吉日
石祠・地蔵菩薩などの石造物
桃花千歳之邑碑 (衆議院議員水野清書)
北辺田矢口揚排水機場門柱