元禄12年(1699)の笠付庚申塔

風化の進んだ一面六臂の青面金剛の庚申塔

寛政12年(1800)の一面六臂の青面金剛の庚申塔

水神宮石祠

水神社神域整備記念碑

 印旛沼を抱える利根川流域に開拓された埜原地区は当初より水との闘いであり、洪水による水害の恐れは常にあった。従って安食卜杭集落でも長門川、将監川等の堤防決壊による水害から自分たちの集落を守護し、五穀豊穣と住民の安泰を祈願して水神社(祭神水波能女命)をお祀りしたものである。
 しかしながら自然の猛威は鋭く、堤防決壊による水害に見舞われる歴史は、尚度々繰り返されて来たのであったが、大正時代末期に至り住民多年の願望であった将監川の締切りや、利根川堤防改修工事の進捗、安食閘門建設の完成等により、一応洪水の心配は少なくなり、流域住民は安堵したのである。
 その後、世情の移り変わりに押し流され、水神社神域もまた荒廃しつつあった。近年、地域社会環境の変化の著しい中で安食卜杭内でもまた諸々の各施設が逐次整備されつつあるものの、水神社は依然荒廃のまま今日に至った。
 これを見るにつけ誰もが心の片隅で整備したいとの思いは抱えていた。その心の芽がふくらみ、声となり行動となって集落民全体の気運を結集させ遂に水神社神域整備事業の実施を決定し、ここに工を起し神域を整備して、水神社等を遷座し奉ってお祀りすることとした次第である。
平成元年2月吉日

鳥居に掛かる水神宮の扁額

石鳥居