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大山街道柏尾道   (長後~下糟屋


令和5年10月17日(火)   ☀    長後~下糟屋    14.7㎞
本日は、昨日の続きで長後駅近くの仙元塚前からひたすら西に向かって進むこととなる。仙元塚前の道は市道の長後725号線でバス路線でもあり、朝夕は通勤などの車の往来もあり、前後を良く見て車に注意して進む必要がある。引地川を過ぎる辺りから旧道の面影を残した道があり、路傍に大山道標や道祖神などの石造物が見られる。

歩道の無い道 藤沢市長後市民センター 道路改修記念碑 果樹園
長後駅から仙元塚前に出ると歩道の無い狭い道が西に延びている。車がすれ違う際はかなり注意しないと危険である。 仙元塚前から330m程先の右手に藤沢市長後市民センターが建っている。市民センター構内の西側に周辺から集められた石造物がたくさん並んでいる。道標、供養塔、庚申塔、馬頭観音、句碑、仏像など20基ほどである。 市民センターを過ぎると次の交差点右手に昭和9年(1934)の道路改修記念碑が建っている。 道路改修記念碑の先から左右にブドウやカキなどの果樹園が続いている。

旧道口 稲荷社 道祖神 迂回路
果樹園から程なく右手の下土棚公園の斜向かいから左に入る旧道がある。ここから市道長後725号線と分かれ、車の往来が無い街道の面影が残る道に入っていく。 旧道に入ると下り坂の道となり、左手の下土棚ファミリーテニスクラブのコート前に稲荷社がある。稲荷社は旧道からは2~3m高い所にあり、遠くに大山を確認することが出来る。 稲荷社の先で長後318号線に出ると、斜向かいに引地川に向かう道があるが、5~6m先で消滅している。この道の右角に道祖神があるが、風化していて文字は判読不能である。現在、引地川を渡って対岸に行くには、上流の六会橋を渡って行く必要がある。 道祖神から長後318号線を右に進み、信号交差点で長後725号線に出て左に折れて、引地川に架かる六会橋を渡って行く。現在、六会橋の下流は工事中で、この辺り一帯を整備中のようである。

旧道口 地蔵尊 分岐 庚申塔
六会橋を渡り道なりに左に折れて長後725号線の上り坂を進んでいくと、左から来る県道22号(用田バイパス)と合流する手前に右手に入る旧道がある。この道が引地川の手前にあった道祖神の所から続いていた道である。 旧道に入って間もなく左手の木々の間に祠があり、中に着物を着た地蔵尊が祀られている 地蔵尊から180m程先で二又に分かれるが、柏尾道は左に進んでいく。かつてこの分岐に 「左大山道」 と刻まれた道標が建っていた。 分岐の先230m程で左から来る県道22号に合流する。合流して300m程進むと、右手の住宅の塀の前に3基の庚申塔が並んでいる。2基は一面六臂の青面金剛の庚申塔、もう1基は文字庚申塔でいずれも道標を兼ねている。

地蔵尊 庚申塔 分岐 道祖神
庚申塔から150m程先の右手に消火栓の標柱があるが、その奥に地蔵尊が祀られている。 地蔵尊からは70~80m程先のスズキ自動車サービスサービショップスの隣に一面六臂の青面金剛の笠付庚申塔が建っている。この辺りからは道路の正面に富士山が見えている。 庚申塔の先で県道42号が通る新東山田交差点を渡り、その先の東山田交差点で柏尾道は左に入っていく。この道は県道22号で従来の長後街道である。 先に進むと葛原交差点を過ぎた辺りから緩い下り坂の道となり、交差点から100m程先の左手にブロック塀に囲まれて道祖神が建っている。年代ははっきり読み取れないが、〇〇2年1月24日と刻まれているようで、傍らに五輪塔が置かれている。

豊受大神 道祖神・地蔵尊 単調な旧道 庚申塔
道祖神の先80m程で坂道を下り切り、そこからは緩い上り坂となっていく。坂道に差し掛かる宮の越交差点の左側には豊受大神がある。豊受大神は、豊受比売命(トヨウケヒメノミコト)、猿田彦命(サルタヒコノミコト)を御祭神とし、境内には五社一棟の境内社がある。 豊受大神の道路を挟んだ向かい側に道祖神と祠に祀られた地蔵尊がある。 坂道を上り切ると真っすぐ西に延びる単調な道となる。さらに進むと両側に畑が広がる辺りでは、富士山と大山がくっきりと見える。 どんどん進んで行くと左から来る県道43号(藤沢厚木線)に合流する。合流地点の横断歩道橋の下に道標を兼ねた一面六臂の青面金剛の笠付庚申塔が建っている。

下り坂の道 稲荷神社 道標 稲荷神社
庚申塔の先から下り坂の道となり、正面に大山が見えている。 庚申塔から300m程下っていくと、右手の段上に稲荷神社がある。境内には、金毘羅宮、地蔵堂、英霊之碑、殉国烈士招魂之碑、義勇奉公碑などがある。 最稲荷神社から400m程進むと県道45号(中原街道)と交差するが、この用田交差点の左角に不動明王像を載せた道標が建っており、「右大山道」 と刻まれ、傍らにはもう1基 「西座間 上依知」 と刻まれた道標が建っている。 中原街道を渡って200m程進むと左手の畑の前に小さな稲荷神社がある。

子育地蔵尊 新幹線高架 用田橋 石造物
稲荷神社から100m程先の左手に西用田バス停があるが、その隣に地蔵堂があり、中に2体の子育地蔵尊(地蔵菩薩立像)が祀られている。 子育地蔵尊の先で緩やかな下り坂となり、用水路に架かる用田小橋を過ぎるたところで新幹線の高架下をくぐっていく。 新幹線の高架をくぐって170~80mのところで目久尻川に架かる用田橋を渡っていく。目久尻川は、神奈川県相模原市南区相武台団地付近に源を発し、下流で相模川に注ぐ一級河川である。目久尻川の名前の由来は、海老名市の伝承では、昔この川に住む河童が悪さをしていたため、地元の人々が河童を捕らえて目を穿り(くじり)取ってしまったことに由来すると言われている。 用田橋を渡って直ぐ左に曲がると、右手の本郷ふれあい公園の前に石造物が安置されている。石造物は、大山道標、馬頭観音、供養塔、地蔵尊、保食神碑、養蠶守護塔などである。

寿閑寺 道祖神 墓碑 真光寺
本郷ふれあい公園の先は緩やかな坂道となり、坂の右手段上に日蓮宗の念斎山寿閑寺がある。寿閑寺は、源頼朝の重臣佐々木高綱の末裔の乃木助左衛門の父が開基と言われている。末裔には、乃木希典がいるという。境内には、乃木希典の先祖にあたる乃木寿閑居士の寄進した 「蘇生延寿の鐘」 と呼ばれる梵鐘がある。 寿閑寺を過ぎて250m程進むと、十字路の右手角に昭和60年(1985)に造られた道祖神が建っている。 道祖神から130m程先の右手には、花蓮港廰巡査勲七等出井奥次郎墓碑が建っている。調べてみると出井奥次郎氏は、海軍兵として現役満期後、台湾花蓮港庁の巡査となり、大正3年10月に蕃人と呼ばれた先住民と交戦中に戦死されたという。墓碑は父親によって建立されたという。 墓碑の直ぐ先左手に浄土宗の如法山明照院真光寺がある。真光寺の創建年代等は不詳であるが、境内に入ってすぐ右手の地蔵堂に三体の地蔵菩薩立像が祀らており、台座には寛延4年(1751)と刻まれている。地蔵堂の前には、徳本の南無阿弥陀仏名号碑、弁財天像、道祖神などの石造物がある。

地神塔 地神塔 本郷神社 旧道口
真光寺の先は下り坂の道となり、130~40m程先の下谷津交差点の右角に道標を兼ねた地神塔があり、正面に「地神塔」、右面に 「右かしを道」、左面に 「左大山みち」 と刻まれている。 直ぐ先で下谷津橋を渡って上り坂となったところで県道22号(横浜伊勢原線)に合流すると、右手の擁壁上に安政4年(1858)の道標を兼ねた地神塔が建っている。正面に 「地神塔」、右面に 「此方かしを道」、左面に 「左大山道」 と刻まれている。 地神塔前から坂道を上り250m程進むと本郷神社入口交差点に出るので、交差点を渡り次の角を右に入って行くと左手に本郷神社がある。本郷神社は、明治7年(1874)に近隣の神明社・八幡宮・稲荷社・白山社・山王社を合祀し五社宮と称し、大正5年(1916)に本郷神社と改称、村社になったという。境内には、かつて相殿に祀られた天満宮を分祀した境内社がある。 本郷神社から戻り、県道22号を渡った向いの細い筋を入っていくのが柏尾道である。

廻国供養塔 道標・二十三夜塔 道祖神 地蔵堂
旧道に入って直ぐ先の逆Y字路の中央に道標を兼ねた西国秩父坂東廻国供養塔、宝塔などの石造物がある。仏像を乗せた廻国供養塔は延享4年(1747)、もう1基の廻国供養塔は弘化4年(1848)のものである。 廻国供養塔から180m程進むとT字路に突き当り、この左側に御堂がある。御堂の中には明治4年(1871)の大山道標と安政2年(1856)の二十三夜塔が建っている。二十三塔には 「ほしのや 玉泉寺 道」 と刻まれている。「ほしのや」 は座間にある星谷寺を指しているようである。 御堂の先の十字路を左折して180m程進むと、右手の植栽の間に小さな道祖神が建っている。 道祖神の直ぐ先右手に地蔵堂がある。地蔵堂には、「延命寺」「施無畏」 の扁額が掛かり、中には子供抱いた地蔵菩薩座像が安置されている。

馬頭観音 石造物 居合坂 居合橋
地蔵堂の先で居合公民館東側交差点を右折して90m程進むと、右手の民家の塀の間に明和2年(1765)の馬頭観音が祀られている。 馬頭観音の先から街道は大きく右に曲がっており、およそ150m先の左側民家の脇に享保18年(1733)の男女双体道祖神、五輪塔などの石造物がある。 石造物の先で街道は右にカーブしながら居合坂を下っていく。坂の途中に居合坂標柱と大山道案内板が建っている。 居合坂を下ったとtころに居合橋があり、この橋の下で東西南北に流れる二本の用水路が立体交差している。

相模線踏切 大橋 正覚寺 浄久寺
居合橋の前方に大山を見ながら進み、およそ600m程先でJR相模線の門沢橋第二踏切を渡っていく。踏切の名前は、大橋の上流にある門沢橋から採っている。 門沢橋第二踏切を渡ると直ぐ先に永池川に架かる大橋がある。大橋の前方には大山がはっきり見えている。永池川は、海老名市国分付近に源を発し、下流の寒川町で相模川に注ぐ延長5.8㎞の河川である。 大橋を渡ると左手に高野山真言宗の橋澤山延命院正覚寺がある。正覚寺の創建年代等は不詳であるが、本尊の十一面観音菩薩坐像は江戸時代前期の作といわれ、海老名市重要文化財に指定されている。境内には、六地蔵尊、観音菩薩像、五輪塔、宝篋印塔などの石造物がある。 街道に戻ると向いの筋奥に浄土宗の長谷川山隆崇院浄久寺がある。浄久寺は、寛永2年(1625)に幕府旗本の長谷川正成が門沢橋村を所有地として与えられたことから、長谷川家の菩提寺になったという。本堂前には、長谷川家の宝篋印塔が15基並んでおり、海老名市指定重要文化財となっている。

渋谷神社 大山道標 戸沢橋 戸田の渡し標柱
浄久寺から街道に戻って80m程先の十字路を右に入ると渋谷神社がある。渋谷神社の創建年代等は不詳であるが、かつて神寿稲荷と呼ばれ門沢橋村の鎮守であったと言われている。境内には、鐘楼、宝物殿の扁額が掛かる神輿庫、神明社系の石祠、地蔵堂の小祠などがある。 街道に戻って350m程先に進むと首都圏中央連絡自動車道の高架に突き当り、その手前に不動明王像を乗せた大山道標が建っている。道標は、安政2年(1855)のもので正面に 「大山」 と刻まれ、囲い柵の脇に戸田の渡し説明がある。自動車道の先は相模川の河川敷で進むことが出来ない。ここからは右に折れて上流の戸沢橋で迂回していく。 大山道標を右折して130m程で県道22号(横浜伊勢原線)に出て、左折して戸沢橋を渡っていく。戸沢橋の親柱に 「戸田の渡し」 について刻まれている。戸沢橋からは遮るものが無く、いよいよ大山が大きく見えてくる。 戸沢橋の渡詰めを堤防沿いに左折すると堤防斜面に戸田の渡し標柱が建っている。

道祖神・大山道標 石造物 若宮八幡神社 道祖神
戸田の渡し標柱の前を右折して80m程進むとバス路線に出る。バス路線を渡って直ぐ右手の民家の庭の奥に小祠に安置された道祖神と不動明王像を乗せた大山道標がある。道標は元は宝暦8年(1758)に造立されたが、昭和13年(1938)に再建され下部は破損しているが、「左大山道」 と刻まれている。 更に150m程先に進んで県道22号(横浜伊勢原線)に合流する手前の左手に地蔵菩薩立像、頭が欠けた仏像、講中と刻まれた石塔など7基の石造物が並んでいる。いずれも風化が激しく刻まれた文字ははっきり確認できない。 県道22号(横浜伊勢原線)に合流し300m程進んだところで、国道129号との戸田交差点を渡り、右手2つ目の路地を入ると若宮八幡神社がある。若宮八幡神社の創建年代等は不詳であるが、祭神は応神天皇で戸田村の鎮守として祀られてきたという。境内には、聖観音菩薩立像と子育地蔵尊が祀られた祠がある。 街道に戻って100m程進むと右手筋の角にブロックで造られた祠の中に道祖神が祀られている。

道標 天宗寺 旧道消滅 旧道付近
道祖神の先100m程の右手筋角に天宗寺入口標柱があり、傍らに不動明王像を乗せた道標が建っている。正面に 「右戸田船渡 左ほしのや観音道」、右面に 「左大山道」 と刻まれている。傍らに大山道標柱と句碑が建っている。 道標の筋を入ると直ぐ右手に浄土宗の東光山霊雲院天宗寺がある。天宗寺は、増上寺の末寺として文禄2年(1592)に開創されたという。境内には、六地蔵尊、子育地蔵尊があり、本堂の前に墓地がある。 街道に戻ると、旧道は直ぐ先左手のラーメン店辺りを左に入って、一旦南下しカーブを描いて北上し県道22号(横浜伊勢原線)を横断していたが、現在は消滅してしるため、このまま直進する。 県道22号(横浜伊勢原線)を進み、右手の神奈川県総合防災センターの前を通り、次の信号交差点を右折して80m程進んだ左手筋が旧道付近である。ここからは右手前方に大山が見えている。

長徳寺 大山道標 石造物 大山道標
旧道を直進すると真宗大谷派の喜楽山長徳寺に突き当たる。長徳寺は、元は真言宗であったが、親鸞聖人に帰依した時の住職が浄心真宗に改めたと言われている。御本尊は放射状光背を背負って立つ木造阿弥陀如来立像で、厚木市指定有形文化財に指定されている。 長徳寺を出て直ぐ右手に上部が破損した大山道標が雑草に隠れて建っている。道標の表面に 「左大山」 と刻まれている。 大山道標から南に進んで県道22号(横浜伊勢原線)に突き当たる手前に五輪塔などの石造物が並んでいる。 石造物の先で県道22号(横浜伊勢原線)に突き当って長沼交差点に出ると、交差点の左角に天保6年(1835)の大山道標が建っている。道標正面に 「大山道」 と刻まれ、隣の電柱に道標の説明が貼られている。

善勝寺 八幡神社 旧道消滅 旧道復帰
大山道標の先の堤下交差点を右折すると突き当たりに高野山真言宗の玉落山善勝寺がある。善勝寺の創建年代等は不詳であるが、ご本尊は大日如来像で、境内には20基程の地蔵菩薩立像が並んでいる。 善勝寺の北側で、善勝寺へ入ってきた道の一本西側の筋を入っていくと下落合の八幡神社がある。八幡神社の創建年代等は不詳であるが、下落合村が成立した慶長年間に創建されたと言われている。境内には、安永年間の石祠、男女双体道祖神、大山道標などの石造物がある。 街道に戻ると下落合交差点付近から南に入っていた旧道は消滅している。南に入った旧道は、弧を描いて歌川産業スクエア入口交差点あたりで北側に入り、渋多川の上流辺りに抜けていた。ここからは真っすぐ県道22号(横浜伊勢原線)を歩いていく。 先に進んで歌川に架かる畠田橋を渡り、畠田橋西交差点で県道605号に入り、そのまま渋田川に沿って進み、国道271号(小田原厚木道路)の辺りで旧道に復帰し、高架下をくぐって旧道に復帰する。

大山の眺望 小田急線踏切 法眼寺 若宮神社
国道271号(小田原厚木道路)を越えると前方に大山が間近に見えてくる。 渋田川に沿った道を前方に大山を見ながら進み、小田急線の愛甲石田12号踏切を渡っていく。 小田急線の踏切を渡ると80m程先の左手に日蓮宗の学清山法眼寺がある。法眼寺は、東松山城主であった上田案獨斎によって開かれたと言われている。境内には、南無妙法蓮華経題目碑、二十三夜塔、六地蔵尊などの石造物がある。 法眼寺から緩やかな上り坂となり、150m程先の左手筋を入ると若宮神社がある。若宮神社は、仁寿3年(853)の創立と言われ、祭神は旧能条家の祖々父と伝えられているという。

青山道合流
街道に戻ったところで右(東)から来る大山街道青山道に合流する。ここで柏尾道としては終了である。ここから最寄り駅の伊勢原駅まで1.8㎞である。

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