この木造阿弥陀如来坐像は、浄久寺の本尊として長谷川正成が寄進したものと伝わる仏像です。
 平成7年(1995)の海老名市史編纂仏像調査により平安時代後期(12世紀)の定朝様(じょうちょうよう)の仏像であることが初めて明らかになりました。
 像高は52.1㎝で割矧ぎ割首造、眼には後補の玉眼が入っていますが、元は彫眼と考えられています。丸く穏やかな面相、ゆったりとした体、浅く整えられた衣表現など平安時代後期に興隆した定朝様式の特徴がよくでています。一部後世に補修されているものの海老名市内で確認されているものとしては最古の仏像であることから市指定文化財となりました。
(海老名市教育委員会)

宝篋印塔説明

 寛永2年(1625)に幕府旗本の長谷川正成が門沢橋村を所領地として与えられたことから、浄久寺が長谷川家の菩提寺となりました。以来、幕末まで長谷川家代々の当主とその家族が葬られて、墓塔として宝篋印塔が建立されてきました。
 台座に被葬者の没年代と法名・俗名が刻まれており、長谷川正成以降、正岱(まさたけ)まで8人の当主とその家族が葬られたことがわかります。
 別の寺院に葬られた記録のある人の名前や、複数の名前が刻まれたものがあること、長谷川正成が門沢橋村を所領地とする以前に亡くなった人の名前も見受けられることから改葬等の際に建立された宝篋印塔もあると考えられています。
 宝篋印塔は、江戸時代に幕府旗本の墓塔としてよく用いられ、江戸時代中期(17世紀)には盛んに造られました。このため、数基単位で建立されている例はよくありますが、大形のものを中心に15基もの宝篋印塔が建立されている例はあまり多くありません。
 また、市内でこれだけの数の宝篋印塔が現存しているのは浄久寺だけであることから市指定文化財となりました。
(海老名市教育委員会)

長谷川家の宝篋印塔

浄久寺本堂

浄久寺山門

本堂に掛かる浄久寺の扁額

浄休寺本尊説明

畜霊塔

歴代住職墓(卵塔)

六地蔵尊

水子子育地蔵菩薩

手水舎