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銚子佐原街道   (下総豊里~銚子飯沼観音


令和3年(2021)11月12日(金)   ☀    下総豊里~銚子飯沼観音    14.0㎞
昨夜の天気予報では終日好天に恵まれ、小春日和の一日になるとのことで、今回で最後となる銚子佐原街道を歩くこととした。銚子は飯沼観音が最終目的地である。できれば銚子の町並みをゆっくり見て回りたいところだが、それは次の機会に譲ることとした。

下総豊里駅 逆光の道 薬師堂 道標
下総豊里駅に降り立つと雲一つ無く晴れた青空が美しい。下総豊里駅は、昭和8年(1933)3月に国鉄成田線の笹川駅から松岸駅までの延伸に伴って開業した。 下総豊里駅から街道に出ると、逆光で街道の先は見えずらい。この先、終点の銚子までは全て逆光の道となる。 街道を進むと間もなく右手の墓地の一角に薬師堂がある。薬師堂の傍らには、十九夜塔、子安観音、出羽三山碑、種子(キリーク)碑などの石造物が並んでいる。 薬師堂から200m程先の右手筋角に小さな道標が建っている。道標には仏像が刻まれているが、文字は、右・・・左・・・と風化して判読できない。

旧道口 地蔵堂観音院 星ノ宮神社 東福寺
道標の先を600m程進むと、左に入る旧道がある。この旧道は、350~60m程先で、先ほど分岐した道に合流する。 旧道を進むと右にカーブする所に地蔵堂観音院がある。地蔵堂観音院の傍らには、十九夜塔、子安観音などの石造物が並んでいる。 地蔵堂観音院から100m程先の右手筋を入ると、旧道に分岐する前の道の山腹に星ノ宮神社がある。星ノ宮神社の由緒等は不明であるが、境内には歌碑らしき鉾乃井戸碑などがある。 街道に戻って150~60m程先で、旧道に分岐しする前の道に合流すると、右手の高台に真言宗智山派の稲荷山文殊院東福寺がある。東福寺の創建年代等は不詳であるが、境内には出世稲荷大明神、薬師堂のほか、阿弥陀如来、地蔵菩薩、観音菩薩などの石造物が並んでいる。

巡礼道標 大宮大神 観音寺 キャベツ畑
街道に戻って直線の道を600m程進むと、右手の民家の角地に水準点の標示があり、その傍らに道標が建っている。この道標は、天明3年~4年にかけて願主真永が、滑河観音から銚子飯沼観音まで12基建てた巡礼道標のうちの一つである。道標には、天明3年(1783)飯沼観音江三里と刻まれている、道標の右手には新しい庚申塔・猿田神社御神幸記念碑が建っている。 巡礼道標の先でJR成田線の第三佐原銚子街道踏切を渡り、その先で小川に架かる橋の先を左に入っていくと、畑の奥に大宮大神がある。大宮大神の由緒等は不明であるが、平成17年(2005)に建替えられた新しい社殿が建っており、傍らには、境内社の稲荷神社がある。、 街道に戻って400m程進んだ多部田商店の先の左手筋を入って行くと、銚子市忍町青年館の前に観音寺がある。小さなお堂には馬に乗った馬頭観音が祀られ、境内には青面金剛の庚申塔が数基建っている。 街道に戻って進み集落が途切れると、街道の左右にはキャベツ畑や大根畑などが広がっている。

種子(キリーク)碑 水神宮 長屋門 八坂神社
キャベツ畑などを過ぎて塚本町の集落に入り、街道が林の間を通ると、右手の木の間に種子(キリーク)碑が祀られ、隣に地蔵尊が2体祀られている。 先に進んで県道73号を渡り、左右にうねった道を進み、野尻郵便局の向いの筋を入ると、国道356号の脇に水神宮がある。水神宮の由緒等は不明であるが、彫刻が施された石祠が祀られている。 街道に戻って100m程進むと、左手に長屋門が建つ旧家がある。ここは滑川家で、応仁の乱(1467-77)の時に滑川内匠助がこの地に住み始めたと伝えられている。長屋門は、天保年間(1830-44)の飢饉の時に 「救い普請」 として建てられたと言われている。 長屋門の直ぐ先、右手の段上に八坂神社がある。八坂神社の由緒等は不明であるが、玉垣の中に彫刻を施した本殿が鎮座している。

新宮大神 子安堂 風力発電所 神明宮
八坂神社の直ぐ先、左手に新宮大神がある。神宮大神は、永禄年間(1558-70)、中島城城主海上八郎左衛門常衛なるものを祖となし、海上氏は千葉一族の前六党の第一人者となり、その城主が鹿島神宮へ日参したが、風雨激しい時、日参が叶わず下総国海上郡野尻村下宿に分神鎮座したという。社殿は北向きで、鹿島神宮本殿と向かい合っていると言われる。 新宮大神向いの筋を南に入ると子安堂がある。子安堂の由緒等は不明であるが、御堂はガラス扉が二重になっており、内陣等は確認できない。境内には供養塔のほか、風化が進んだ子安観音などが建っている。 子安堂から程なく右手にJR成田線の椎柴駅があり、その後方に風車が見える。この風車は、くろしお風力発電の椎柴風力発電所である。椎柴駅は、昭和8年(1933)、国鉄成田線の笹川駅から松岸駅までの延伸に伴って、旅客・貨物取扱の駅として開業した。 椎柴駅から街道に戻り、野尻町交差点で国道356号(利根水郷ライン)に合流し、凡そ350m程進むと、右手に神明宮がある。神明宮の由緒等は不明であるが、境内には天保13年(1843)の常夜燈、数基の石祠、判読できない記念碑などがある。

地蔵院 水神宮 巡礼道標 蛙児神社・西宮大神
神明宮から200m程進むと、右手に真言宗智山派の延命山地蔵院がある。地蔵院の創建年代等は不詳であるが、境内には子安堂、観音堂があり、傍らに子安観音、青面金剛の庚申塔などの石造物がある。 地蔵院の先左手一本目の筋を入ると、民家の裏手に北を向いた水神宮がある。鳥居は新しいが、水神宮石祠は年代は不明だが、かなり歴史を感じるものである。。 街道に戻ると右手の辰巳屋酒店の手前に、交通安全と刻まれた台座の上に道標が建っている。この道標は、天明3年~4年にかけて願主真永が、滑河観音から銚子飯沼観音まで12基建てた巡礼道標のうちの一つである。道標には、天明3年(1783)飯沼観音江二里と刻まれている。 巡礼道標から250~60m程先の右手に、蛙児神社・西宮大神がある。蛙児神社とはあまり見かけない神社であるが、西宮大神は、西宮神社総本社の商業・漁業の守護神である 「事代主神」 を勧請したものと思われる。

旧道口 地蔵尊 旧道口 余山貝塚
蛙児神社・西宮大神から250~60m程先で右手に入る旧道がある。この旧道は、400m程先で再び国道356号に合流する。 旧道に入って最初の左手筋の先に国道356号に面して地蔵尊が建っている。台座を見ると、交通安全祈願と刻まれており、この辺りで交通事故があったのかもしれない。。 国道356号に合流して芦崎町信号交差点を過ぎると、右手に入る旧道がある。この旧道は、高田川を渡ったて600m程先で再び国道356号に合流する。 旧道に入って間もなく、高田川の東側に余山貝塚がある。余山貝塚は、縄文時代後期を中心に形成されているが、弥生時代から平安時代に至る遺構・遺物が出土しており、長期間に渡って継続した遺跡である。

三嶋神社 阿弥陀堂 旧道並み 旧道口
余山貝塚の東に隣接して三嶋神社がある。三嶋神社は、寛永3年(1626)の創建で、ご祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)で山の神・海の神である。境内には、不明な境内社のほか、風化が進んだ石祠などの石造物がある 三嶋神社の西に隣接して墓地があり、阿弥陀堂が建っている。阿弥陀堂の傍らには、日光善光寺供養塔、西国三十三所供養塔、大青面金剛の庚申塔などの石造物がある。 街道に戻ると、ほぼ車も人も通らない静かな旧道が東に延びている。 旧道が国道356号に合流して400m程進むと、食事処たかはしの前の信号交差点から左に入る旧道がある。この旧道は、国道356号に合流することなく、飯沼観音(円福寺)まで続いている。

八坂大神 和光院 稲荷大明神 阿弥陀院
旧道に入って程なく左手に八坂大神がある。八坂大神の由緒等は不明であるが、境内には、子安観音が4基並んでいる。八坂大神の奥は、地蔵堂が建つ墓地になっており、境内には馬頭観音、観音菩薩などの石造物がある 街道に戻ると100m程先の右手筋を入ったところに和光院があり、街道には表面が欠けた廻国供養塔が建っている。堂宇は阿弥陀堂のみで、傍らには西国三十三所参拝記念碑などの石碑がいくつか並んでいる。 和光院の先を進むと、左手に赤い鳥居の建つ正一位稲荷大明神がある。由緒等は不明であるが、拝殿も拝殿内の本殿も赤く塗られている。境内には、いくつかの石祠がある。 稲荷大明神を過ぎると、程なく右手に真言宗智山派の長者山阿弥陀院根本寺がある。阿弥陀院は、安倍晴明が身を寄せた海上郡随一の長者と呼ばれた根本右兵衛義貞の娘延命姫が清明に恋をし、清明を追って海に没した延命姫の菩提を弔うため根本義貞が建てた一庵が創始と言われている。境内には、仁王門と不明な2つの御堂のほか、長者供養塔、延命姫供養塔などの石造物がある。

楠稲荷大明神 松岸河岸跡付近 神明神社 巡礼道標
先に進んで行くと、街道は銚子松岸郵便局の先を右に入り、その先を左折していくが、左折して直ぐ右手に楠稲荷大明神がある。ここには真新しい2つの鳥居と石祠が2基建っている 橘稲荷大明神の先でちょっと街道を外れて、利根川沿いの松島河岸跡へ行ってみた。松島河岸には、利根川水運の発達とともに誕生し遊郭が有ったというが、今はその面影もなく、開発工事中で更地状態であった。利根川沿いに立つと対岸の茨城県神栖市が見えている 街道に戻って先に進むと右手に神明神社がある。鳥居の先に拝殿があり、拝殿裏に本殿が鎮座している。その奥に三峯神社があり、地図表示では、この場所は三峯神社となっている。 神明神社の参道口に道標が建っている。この道標は、天明3年~4年にかけて願主真永が、滑河観音から銚子飯沼観音まで12基建てた巡礼道標のうちの一つであり、これが最後の道標となる。道標には、天明3年(1783)飯沼観音江一里と刻まれている。

熊野神社 東町神社 面足(おもだる)神社 八幡橋
神明神社から程なく右手に熊野神社がある。熊野神社の由緒等は不明であるが、社殿の隣には、唐獅子が刻まれた大正14年(1925)の石祠が建っている。 先に進んで長塚町信号交差点を越えると、右手に東町神社がある。東町神社の由緒等は不明であるが、境内には三峯神社があり、境内脇には青面金剛の庚申塔、文字庚申塔が6基並んでいる。 東町神社の先を500m程進むと、右手筋奥に面足神社がある。面足神社の創立年代は不明であるが、本城区の産土神で、面足命、吾屋惶根命の二柱を祀り、境内には三峰神社の境内社のほか、文化10年(1813)の手水石、日露戦役紀念碑、昭和2年(1927)の由緒碑などがある。 面足神社の先で八幡川に突き当り、街道は直進せずに右に曲がって上流の八幡橋を渡っていく。

松崎稲荷 稲荷大明神 若宮八幡神社 東岸寺
八幡橋を渡って直ぐ左手に松崎稲荷がある。松崎稲荷の由緒等は不明であるが、香取郡多古町にある旧東松崎村にある坂東稲荷本宮であった松崎神社と関係があるのかも知れない。拝殿前には、一対の狛狐と明治27年(1894)の手水石がある。 続いて松崎稲荷から100m程先の右手段上に正一位稲荷大明神がある。稲荷大明神の由緒等は不明であるが、拝殿内の本殿にはたくさんの狛狐が祀られている 稲荷大明神の先をどんどん進んで、銚子大橋前交差点の先で、広い通りの県道37号に合流すると、左手筋を入ったところに若宮八幡神社がある。鳥居前の立札によると、祭神は応神天皇(八幡大菩薩)、神功皇后・宗像三神で、創建は天正3年(1575)8月15日とある。境内には、八雲神社、鉄工神社、浅間神社、阿夫利神社、稲荷神社の境内社のほか、石祠群などの石造物がある 若宮八幡神社の東側に隣接して真言宗智山派の妙見山東岸寺がある。東岸寺の創建年代等は不詳であるが、境内には、身代不動堂、阿弥陀堂のほか、風化した子安観音、青面金剛の庚申塔などの石造物がある。

灯台モニュメント 銚子市公正市民会館 峯神明宮 円福寺(飯沼観音)
東岸寺を出て直ぐ先の銚子駅前交差点で県道37号から県道244号となり、どんどん進むと変則十字路の中央に灯台のモニュメントが建っている。この左手は、寶満寺跡で末広町広場となっており、一角には水準点があり、戦災復興記念碑が建っている。寶満寺は第二次世界大戦の戦火で堂宇が焼失し、銚子市台町に移転したという。 灯台モニュメントの建つ変則十字路から程なく、左手に銚子市公正市民会館が建っている。この建物は、銚子町の濱口儀兵衛氏が私財を投じて、社会教育事業を目的とする 「財団法人公正会」 を設立し、その拠点として大正15年4月12日に開館したもので、夜間中学の公正学院を併設していた。銚子空襲時は、臨時病院として使われたという。 公正市民会館の先で右手に中央みどり公園を見て進むと、左手に峯神明宮がある。峯神明宮の由緒等は不明であるが、御祭神は天照皇大神で、国文学者松井簡治ゆかりの地碑などがある。 峯神明宮から300m程先の馬場町交差点を左折すると、右手に真言宗の飯沼山円福寺がある。円福寺は寺伝によれば、神亀元年(724)、漁師が十一面観音菩薩を網ですくい上げ、その後、弘仁年間(810-24)この地を訪れた空海(弘法大師)が開眼したという。坂東三十三観音霊場の第27番札所となっており、飯沼観音とも称される。境内には、仁王門、五重塔、銚子大仏、二十三夜満願堂などがある。

銚港神社 円福寺(本坊) 銚子電鉄
円福寺(飯沼観音)の境内に隣接して銚港神社がある。銚港神社と円福寺の間に金刀比羅宮があるが、これは銚港神社の境内社である。銚港神社は、奈良時代の創建で、旧称は龍蔵権現といい、銚子発祥の祖神として歴代城主より崇敬されてきた産土神である。拝殿内には、内閣総理大臣吉田茂の書 「銚港神社」 がある。 銚港神社から馬場町交差点を南に150m程進むと、左手に真言宗の飯沼山円福寺の本坊がある。観音堂(飯沼観音)は、円福寺の本堂で、昔は境内地であったが、太平洋戦争後、本堂と本坊が離れた。本坊には、大師堂、阿弥陀堂、涅槃堂などのほか、古帳庵句碑が建っている。 円福寺(本坊)で銚子佐原街道は終了し、最寄り駅の銚子電鉄観音駅に出て帰宅の途に就いた。銚子電鉄は、銚子~外川(とかわ)までの約6.4㎞の短い路線である。NHKの朝ドラ 「澪つlくし」 の舞台にもなった外川と銚子電鉄は魅力あるところである。

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