銚子市は太平洋戦争も終わりに近い昭和20年3月9日、7月19日及び8月3日と三度にわたる空襲に見舞われ、市街地の中心約126ヘクタールが焦土と化した。 その被害は、建物5,142戸、死傷者1,200人を数え、誠に悲惨な状況であった。同年8月15日、終戦となるや、政府は全国120余の戦災都市を対象に 「戦災復興計画基本方針」 を定め、平和な文化都市の建設をめざした。(以下略)
水準点
戦災復興記念碑
寶満寺跡碑