滑川家は所蔵している 「家系譜」 によると、応仁の乱(1467~1477)の時に滑川内匠助がこの地に住み始めたと伝えられています。江戸時代に入り、代々 「藤兵衛」 を名乗り、名主として海運業に従事していました。
 主屋は木造瓦葺2階建てで、主体部、座敷部、玄関(旧帳場)部から成り立っており、滑川家に残る 「本住宅普請手伝人留帳」 などから明治6年(1873)に建築されたことが確認できます。滑川家は江戸時代末期に日本橋蛎殻町(かきがらちょう)に出店を構えており、座敷部は加賀藩前田家の下屋敷(現東京都板橋区加賀)の建物を買い受け、移築したと言われています。この伝承を示す資料は残されていませんが、座敷部の室内意匠と仕様は上級武家住宅風の造りとなっています。
 長屋門は、梁間3間、桁行8間半の木造平屋建て、屋根は寄棟造、桟瓦葺で背面西寄りの部分に幅1間の下屋が付いています。平面構成は、中央を通路、両側が方3間の部屋となっています。建築年代は、天保年間(1830~1844)の飢饉の時に 「救い普請」 として建てられたと言われています。
 滑川家住宅主屋及び長屋門は、多くの河岸問屋が存在していた野尻河岸において、舟運で栄えた集落の往時の様子を示す貴重な建物であると同時に、旧銚子街道に面しており、街路景観の重要な構成要素になっています。
(銚子市教育委員会)

滑川家住宅主屋・長屋門説明

街道に面して建つ長屋門

滑川家長屋門