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旧青梅街道    (東大和~奥多摩)


平成26年9月21日(日) ☀   東大和~青梅  19.5㎞
前回(9月19日)の続きを歩くため直前まで作っていた地図を持って、身軽な服装で出発することとした。
9時15分に東大和市駅に到着し、駅前の青梅橋交差点から歩き始めた。

国体開催記念碑 多摩モノレール 榎交差点 伊奈平橋
東大和市駅前ロータリーの記念碑は、平成25年(2013)秋に第68回国民体育大会(東京国体)が開催され、東大和市において正式競技であるボーリング協議会を開催したことを記念して建てられたものである。
この記念碑は、東京国体のマスコットキャラクターである 「ゆりーと」 がモチーフになっている。
上北台から多摩センターまでの16㎞を運行していが、構想は八王子までとのこと。写真は桜街道駅である。 榎交差点で都道5号線を横切って向かいに細い道に入って行く。
間もなく中央に武蔵村山病院が見え、病院の脇を進むと右手にイオンむさし村山店の大きな店舗が見える。
イオンむさし村山店の先で伊奈平橋に突当り、右手に進んでイオンむさし村山店西口向かい側の細い道を入って行く。

上砂橋 神社 馬頭観音 旧道口
間もなく小川に架かる上砂橋を渡り右折して行くと、その先で右からの江戸街道に吸収される。 江戸街道を進むと民家の脇に小さな鳥居を前にした神社がある。
江戸街道をグリーンタウン南交差点で右折するとカーテンじゅうたん王国武蔵村山店の看板の手前に馬頭観音が建っている。
側面は道標を兼ねているようである。この先で中原公園手前を左折していく。
中原公園前を進むとT字路に突当り、㈲リカーアンドライスコバヤシの脇の旧道口を進む。細い道の脇には畑が有り、栗がいっぱい実をつけていた。

庚申塔 旧道口 道標 御嶽神社
街道を進み阿豆佐味天神社入口交差点の手前の道を左折していくとジョイフル本田瑞穂店の手前角地に庚申塔が有り、後ろに一本榎が立っている。庚申塔の前の道にも江戸街道という標識が建っている。 江戸街道を進むと新青梅街道に突当り、横断した先の右手に一方通行の旧街道が続いている。街道を進むとすぐ左側に武蔵大地改良記念碑が建っている。 旧街道を進むと右手に瑞穂町立瑞穂第一小学校があり、フェンスの前に江戸街道の道標が建っている。 瑞穂第一小学校の裏手の川を渡ったところに御嶽神社がある。
境内には、瑞穂町指定天然記念物のケヤキの大木、屋根葺替記念碑、拝殿改築記念碑などがある

稲荷神社 圓福寺 杉山稲荷神社 松原稲荷神社
瑞穂第一小学校の先で二車線道路を渡り直進していくとクリーニングタマサービス店舗の脇に赤い鳥居の稲荷神社がある。この先で交番のある十字路を右折して行く。 交番を右折して都道5号線を左折すると右手に圓福寺がある。
円福寺は天正15年(1587)村山土佐守義光開基、梅室慶香和尚開山といわれる臨済宗建長寺派の古寺である。山門をくぐると大きな仁王門があり、左に如意輪堂が建っており、中に如意輪観音菩薩が鎮座している。境内には、鐘楼、六地蔵尊、庚申塔、百万遍供養塔などがある。
圓福寺を過ぎて箱根ヶ崎交差点の左側に赤い鳥居の杉山稲荷神社がある。この先で八高線の踏切を越えていく。 八高線の踏切を越えて右に岩蔵街道入口があり、その先オリンピック瑞穂店の手前左手に松原稲荷神社がある。
拝殿前の狐は、なかなかリアルである。

東善院 庚申塔・馬頭観音 東禅寺 御嶽神社
街道を進んで国道16号線瑞穂バイパスを越えると左手に東善院がある。
境内には、旧本堂の地蔵堂があり北向地蔵尊が安置され、御堂の前には勝軍地蔵という馬に跨った地蔵もある。
都道5号線を進み新町桜株交差点の右側に道標(右は江戸道)を兼ねた文化14年(1817)の庚申塔と馬頭観音が安置されている。傍らには、桜株井戸跡の標柱が建っている。
新町桜株交差点の直ぐ先に東禅寺がある。
元和2年(1616)の開山といわれ、
境内には、庚申塔、六地蔵尊、開運地蔵尊、宝暦11年(1761)の常夜燈などが建っている。この先、歩道上に塩野家井戸跡の標柱がある。
御嶽神社入口交差点に大きな御神燈が建っており、右手に少し歩いていくと大井戸公園の向かいに大きな鳥居の御嶽神社がある。
境内には、御嶽神社、新町天神社、新町水神社、塩釜神社の社がそれぞれ建っている。

旧吉野家住宅 中井戸跡の標柱 鈴法寺跡 旧道口
御嶽神社入口交差点から程なく街道右側に東京都指定有形文化財の旧吉野家住宅がある。
慶長16年(1611)、吉野織部之助が新田の開発に着手し新町村が誕生した。吉野家は代々名主を務めており、この住宅は安政2年(1855)
3月に建てられたものである。住宅の土間、勝手、座敷などは当時のままの様子を留めている。
旧吉野家住宅から先の歩道上に中井戸跡と刻まれた標柱がある。
この先、嶋田屋敷井戸跡、鈴法寺井戸跡の標柱が建っている。
鈴法寺井戸跡の標柱の直ぐ先右手に鈴法寺跡があり、公園になっている。
鈴法寺は、慶長18年(1613)に川越から新町村に移転してきたが、明治28年(1895)に火災に遭い、
堂宇は焼失し公園の奥に歴代住持の墓が残っているのみである。
鈴法寺の先の野上交差点を右折し、最初の十字路のコスモホームの角を左折していく。
この先は、暫く直進しドラッグストアバイゴウ師岡店の先の十字路を右折して、直ぐ先のY字路を左折して道なりに進んでいく。

旧道口 南無阿弥陀仏碑 青梅六万薬師堂 乗願寺
道なりに進んで東青梅図書館の先で右折して東青梅五丁目北交差点を左折すると右手に旧道口がある。東青梅五丁目北交差点には、環境緑化、長寿園の石板がある。 旧道を進んでいくと緩やかにカーブする逆Y字路の中央に南無阿弥陀仏碑が安置されている。この石は、天明6年(1786)に建てられた 「師岡の追分道標」 といわれ、中央に 「南無阿彌陀佛」、「右 江戸道(青梅街道) 左 はんのふ(飯能)加王こゑミち(川越道)」 と刻まれている。 南無阿弥陀仏碑から程なく、つるべ井戸の有る家の先の交差点右手に青梅六万薬師堂が建っている。
昔疫病や戦で亡くなった者を弔う為に、天寧寺住職が薬師如来像を祀り、お経を六万編唱えたことから六万薬師となったという。
薬師堂の先を進むと東青梅駅北口交差点に突当り、右に進むと成木街道入口交差点を越えて青梅線を渡る。
ほどなく右手に走る青梅線の踏切の先に乗願寺がある。乗願寺は勝沼山と号し、一遍上人を開祖とする時宗の寺院である。本尊は阿弥陀如来で、 正安2年(1300)に三田下総守長綱が時宗2代他阿真数上人を迎え開山したと伝えられている。
山門前の石段脇には、庚申塔、地蔵尊が安置されている。

勝沼神社 宗徳寺 西分神社 宗建寺
乗願寺から青梅線に沿って進んだ右手の坂を上って行くと勝沼神社がある。
正安3年(1301)勝沼城主三田下総守長綱が乗願寺前方一丁の所に神明皇大神宮と称し、同寺及び勝沼の守護神として創建した。
境内には、天満宮、熊野御嶽神社、靖国社、稲荷社がある。
勝沼神社を出て、更に青梅線に沿って進んでいくと宗徳寺がある。
創建は室町時代の初期と言われ、600年以上の歴史があり、隣接する西分神社の別当寺でもある。
宗徳寺に隣接して西分神社がある。
鎌倉時代(1312頃)の創建と言われ天之御中主神を御祭神としている。
参道の階段脇には、躍動感のある狛犬が鎮座している。境内には、井上頼圀、本居豊頮(とよかい)、権田直助の歌碑、三社神社、熊野神社、御嶽神社、愛宕神社の境内社がある。
都道28号線(青梅街道)に戻って住江町交差点を左に入ったところに宗建寺がある。開基は不詳だが、開山は一翁蓮和尚で浄土宗の寺として創建され二世より改宗して臨済宗となった。
昆沙門天を本尊とし、別に弘法大師御作という在銘の昆沙門天が安置されている。
弁天池の前には青面金剛の庚申塔、三重塔、地蔵堂が建っている。

住吉神社 昭和レトロ博物館
住江町交差点の先右手に住吉神社がある。
応安2年(1369)、延命寺を開山した季竜が、延命寺創建と同時に季竜の故郷である摂津国の住吉明神を祀ったのが始まりと言われている。鳥居の先は急な石段となり、境内には、稲荷神社、八坂神社、大鳥神社をはじめ、櫛笥大納言隆望卿女歌碑、小林天淵筆塚碑などがある。
住吉神社の先の街道沿いには、昭和レトロ博物館などが建っている。
今回はここまでとして、最寄りの青梅駅から帰ることとした。

平成26年9月23日(火) ☀|☁   青梅~奥多摩   22.5㎞
  天気は終日安定しているとの予報だったので前回の続きを歩くこととした。まだ9月ではあるが、奥多摩辺りは山が迫っているので日暮れは早いので青梅駅に7時30分に到着し、飲物を買って出発した。

       
青梅駅 英稲荷神社 梅岩寺 清寶院
青梅駅駅舎は3階建てのビルで官署といった感じである。
申し分なく晴れていて先が楽しみである。
青梅駅のロータリーから右手に入ったところに英(はやぶさ)稲荷神社ある。
大正14年10月に改築された倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)を祭神とした神社で、境内には改築記念碑、水神碑、道路改修記念碑などが建っている。
英稲荷神社の先を進んで右手に走る青梅線を渡ると正面に梅岩寺がある。
梅岩寺は、長徳年間(995-999)に寛朝が開山したといわれている。
境内には、枝垂れ桜の大木があり、傍らには建部凉岱(りょうたい)追善碑がある。また、小祠に弘法大師像、三面馬頭観音、六地蔵尊などがある。
街道に出て青梅市民会館前交差点から国道411号線を下って行くと右手の石垣の上に清寶院がある。
開祖創建は未詳であるが、境内からの出土品から室町時代と推定されている。
境内には、毘沙門天、半兵衛大黒天、神変大菩薩、六地蔵尊などがある。

旧稲葉家住宅 熊野神社 七兵衛公園 旧道口
国道411号線を奥多摩に向かって進むと右手に東京都指定有形民俗文化財の旧稲葉家住宅が建っている。旧稲葉家住宅は江戸時代に青梅宿の町年寄を勤めた稲葉家の旧宅で、青梅でも有数の豪商であり、材木商や青梅縞の仲買問屋を営んでいた。「店蔵」と呼ばれる土蔵造りの母屋(写真)は建築様式から江戸時代後期(18世紀後半~19世紀初め頃)に建てられたと考えられている。 街道を進むと枡形に曲がる道の突当りに熊野神社がある。
この地は、天正18年(1590)に家康が関東に入国して間もなく、八王子に設けた代官所の出張所として大久保長安が築いたとされた陣屋跡である。拝殿の隣には、陣屋が置かれた折に植えられたカシの大木が立っている。
熊野神社から程なく右手に七兵衛公園がある。
江戸時代中頃、この地に七兵衛という百姓がおり、昼間は普通に百姓をしていたが、夜になると盗賊に変身して遠方の金持ちから財宝を奪い、貧しい人々に分け与えたという義賊が住んでいたという
公園奥には、七兵衛供養塔が建ち、公園の入口には、2体の地蔵尊、2基の庚申塔、馬頭観音が安置されている。
七兵衛公園の先でやや下り坂になったところの左側に旧道口がある。
この道には、神明橋通りの標識がある。
街道には、曼珠沙華の花が咲いていた。

神明橋 和田乃神社 明白院 旧道口
神明通りの由来になった神明橋を渡ると街道はやや上りの道になる。 神明橋の先で国道411号線脇に和田乃神社があるので寄ってみた。
創立は未詳で当初和田明神と称していたが、慶長3年(1598)和田村を日向和田村と日影和田村に分村したので、この社を三島明神と改称した。その後、明治維新の際に社号を復古して明神を神社に改め、和田乃神社となった。境内には、大正2年昭和天皇が宮ノ平石灰石採掘場を見学の折、お手植えされた枝垂糸杉が立っている。
和田乃神社の直ぐ先に明白院がある。
明白院は日向山と号し、本尊は勝軍地蔵で、天正年間(1573~1592)に天江東岳を開山とし、三田氏の家臣野口秀房を開基として創立された。山門は、木造茅葺の四脚門で、田辺清右衛門の楯ノ館にあったのを、明白院建立の際に移築したものと伝えらている。
境内には、福禄寿の御堂の獅子窟があり、米俵を担いだタヌキがたくさんある。
明白院から神明通りに戻って先に進むと国道411号線に突当り、横断歩道の先に旧道口がある。
旧道は生活道路といった感じで、道端にはコスモスや曼珠沙華が咲いており、その先で日向和田駅前を通っている。

へそまん総本舗 馬頭観音 軍馬北望之碑 石神社
日向和田駅前を過ぎると左手にへそまん総本舗がある。
1個105円で2つほど食べてみたが美味しかった。店頭には芸能人の色紙が飾られており、店舗の隣には、へそのを観音の御堂が建っている。
へそまん本舗の先に奥多摩釜めし屋があり、その直ぐ先右側に嘉永5年(1852)の馬頭観音をはじめとして6体の馬頭観音と庚申塔が安置されている。 馬頭観音の先、青梅線に沿って進むと街道左手に軍馬北望之碑が建っている。
その直ぐ先には小社が建っており、観世音菩薩と標記がある。
街道が緩やかに左に曲がる石垣上に石神社がある。
境内には、文政8年(1825)の御神燈があり、拝殿脇には幹回り640㎝の大イチョウが立っている。大イチョウの前には御神水がチョロチョロと流れており、大イチョウの奥には、八雲神社、愛宕神社の境内社がある。

地蔵尊 海禅寺通り 海禅寺 海禅寺総門
石神駅入口交差点の手前に地蔵尊が安置されている。 石神駅入口の先で右手に入る旧道がある。青梅線をくぐって山沿に進む海禅寺通りである。旧道を進んで左手の青梅線を渡ったところに薬師堂があり、旧道の右の山手に真新しい建物の泉蔵院があり、境内には閻魔大王像がある。
海禅寺通りを先に進むと高台に海禅寺がある。
寛正年間(1460-65)に長勝庵と称したのが始まりで、開山は一州正伊と伝えられ、青梅市一帯を支配していた豪族・三田氏の保護を受けていた。
石段の上の楼門をくぐると正面に本堂あり、左斜面に三田氏一族の宝篋印塔と五輪塔が並んでおり、その下にクスノキの大木が2本立っている。
海禅寺から国道411号線に出る角地に海禅寺総門が保存されている。
この総門は、慶長17年(1612)に造立されたもので、平成7年に解体修理が完了し、市道中央部からこの地に移築された。総門の前には、自然石に刻まれた逍遥院内府公、桑門浄月、中原典則、青木維吉の歌碑がある。

奥多摩秋景描画の地 奥沢橋 鎧塚 旧道口
二俣尾駅の先、宇佐美家食堂の向かいから旧道の坂道を上って行くと小島善太郎画伯による奥多摩秋景を描いた地(家)がある。
たまたま家から出てきた御主人に話を伺うことができた。奥多摩秋景は、青梅市立小島善太郎美術館に収蔵されるとともに、立川の東京都多摩教育センターホールの緞帳になっているそうである。庭先からその景色を望むことができた。
旧道を進んで西木戸踏切で青梅線を越えて下って行くと平溝川に架かる奥沢橋に出る。
橋の袂には、庚申塔と高水山入口の道標が立っている。
奥沢橋を渡って左に進み、青梅線の鉄橋を過ぎた右手に鎧塚がある。この塚は、戦国時代の永禄6年(1563)、この地方一帯の領主であった三田氏と、八王子付近一帯を支配する滝山城主北条氏照が、多摩川を挟んで激戦を展開した 「辛垣の合戦」 の際、その戦死者の鎧や兜を埋めるために築かれたといわれる。塚上と塚前にそれぞれ小さな社が建っている。また軍畑という地名もこの戦いに由来していると言われている。 鎧塚から下って来ると軍畑駅入口交差点で国道411号線に合流する。この交差点は都道45号線の合流地点でもある。
この少し先、右手に旧道口の坂道がある。

薬師堂 地蔵尊 塚瀬踏切 福島家住宅
旧道を進むと右手に薬師堂入口の立札が有り、坂道を進んだ先の踏切を渡ると、その先に薬師堂がある。
御堂の脇には、目洗地蔵の立札のある手水鉢がある。
旧道を進むと左手に小社に納まった地蔵尊がある。
その先の右手にも地蔵尊が安置されており、いずれもお彼岸でもあり、おはぎが供えられていた。
街道は、青梅線の沢井ガードをくぐって青梅線に沿った青渭通りを進み、その先で塚瀬踏切を渡り左手の坂道を下って国道411号線に出る。 坂道を下って行くと右手の段上に稲荷大明神が木に隠れるように鎮座し、更に下ると福島家住宅が建っている。
この旧家は、江戸時代初期より多摩郡沢井村の名主役を代々務め、江戸中期から幕末には三田領42か村筏師組合の惣代に就任し、地域社会の中で指導的な地位を確立していたという。

寒山寺 小澤酒造 八雲神社 旧道口
国道411号線に合流すると左手に楓橋という多摩川に架かる吊り橋の先に寒山寺がある。
寒山寺は、 書家の田口米舫が中国の姑蘇城外の寒山寺を訪れた際、主僧の祖信師より釈迦仏木1体を託され、帰国後、小澤太平氏の協力を得て昭和5年(1930年)に創建したもである。参道の階段脇にある鐘は参拝者が撞くことができる。本堂前には、中国の僧の寒山拾得の碑が建っている。
国道411号線に戻ると目の前に澤乃井の蔵元小澤酒造がある。
小澤酒造では、酒蔵を見学することが出来る。道路を隔てた楓橋の袂には、清流ガーデン澤乃井園があり、軽い食事をすることが出来る。園内には、北原白秋の 「西多摩の山の酒屋の鉾杉は 三もと五もと青き鉾杉」 と刻まれた句碑が建っている。
国道411号線を進むと右手の石垣の間から旧道に入る坂道があり、進んでいくと右手に八雲神社がある。
八雲神社の主祭神は須佐之男命と大国主命で、東京都無形民俗文化財に指定されている獅子舞を継承しているという。
旧道は、八雲神社の先で再び国道411号線に合流する。
国道411号線に合流して間もなく左手のミスタータイヤマン奥多摩店の脇を通る短い旧道が残っている。
旧道から国道411号線に合流する手前に2000年に建てられた子供の道祖神が建っている。

地蔵尊 旧道口 道標 慈恩寺
国道411号線を先に進むと左手にゆずの里勝仙閣があり、その向かい側に祠に納まった宝暦11年(1761)の地蔵尊が安置されている。
この直ぐ先の石垣の間にもブロックで作られた祠に地蔵尊が安置されている。
地蔵尊の先で右手に旧道の坂道がある。
坂道を進むと手打ちそばの玉川屋の萱ぶき屋根の建物が目に入ってくる。
玉川屋の先で青梅線を渡ることになるが、その手前の土手に道標が立っている。
現存する道標としては青梅市最古のものと言われ、元禄14年(1701)のものである。
道標には、「従是 みきり(右)ハ 日原山みち ひたり(左)ハ みたけ山みち」 と刻まれている。
道標の先で青梅線の上分踏切を渡ると直ぐ右手に慈恩寺がある。
寺の脇からは 、高水三山へ続く登山道がある。参道手前には、文化11年(1814)の庚申塔、千部供養塔、馬頭観音、布袋像?などがあり、階段脇には地蔵尊が彫られた石灯籠などがある。

大徳院 神明社 石仏石塔 石祠
左手に御岳駅をみて旧道の青渭通りを進むと右手高台に奥多摩新四国四十八ヶ所遍路17番札所となっている大徳院がある。
境内には、境内社の神社の他、祠に納まった薬師如来像と弘法大師像がある。ここは高台にあるので御嶽の山並みが間近に望める。
大徳院の直ぐ先に神明神社の鳥居があり、坂を上って行くと神明神社がある。
祭神は天照大神で、拝殿の裏に本殿があるが、本殿に上がる階段の一段目が1メートル以上あり、そばに行くことはできない。本殿脇に2社有るが何かは確認できない。
神明神社から青渭通りに戻って先に進むと右手に大乗妙典千部供養塔、地蔵尊2体が安置されている。
この先で一旦国道411号線に下りて、直ぐ右手の坂道を上る旧道がある。この旧道は70~80mで国道411号線に合流する。
国道411号線を進んで左手の手打ちそばきり山の先の林の中に3体の地蔵尊と石祠、三猿像(庚申塔か?)が安置されている。

旧道口 石碑 神塚神社 旧道口
暫く右手の青梅線に沿って進み、街道が左にカーブする手前に多摩川に下りていく旧道口がある。
旧道を進むと左手に多摩川の魚釣場が見えてくる。右には、たましん御岳美術館があり、主な展示作品として、荻原守衛(碌山)「女」・高村光太郎「手」・中原悌二郎「若きカフカス人」などの彫刻作品、浅井忠・岸田劉生・藤島武二・鳥海青児・梅原龍三郎・中川一政などの油彩がある。
旧道から国道411号線に合流して間もなく、右手の擁壁の間に石碑が安置されている。
必ずしも判読出来た訳ではないが、大山祇神、聖徳太子と刻まれているようである。
この先に擁壁の間からチョロチョロ水が出ている場所がある。
暫く木々に囲まれた国道411号線を進んで行くと右手の高台の林の中に神塚神社がある。
神社の裏手は青梅線が走っている。
神塚神社の先で多摩川沿いを通る旧道口がある。
旧道は、200mほどで国道411号線に合流するが、途中に馬頭観音らしき石像が安置されている。

大橋供養塔 川井橋・八雲橋 地蔵尊 川井八雲神社
国道411号線に合流して直ぐ大正橋があり、橋の袂に文化11年(1814)の大橋供養塔、庚申塔が建っている。
大正橋は、川井村の名主中村庄蔵氏が私財を投じて江戸時代後期の文化11年に橋を完成させたもので、当時この橋は 「大橋」 もしくは 「川井之橋」 と呼ばれていた。この橋の構造は山梨県大月市にある 「猿橋」 に似た 「肘木橋」 と呼ばれるものであった。
大正橋を渡ると左手に多摩川に架かる奥多摩大橋があり、その先の歩道上に橋の遺構が2つある。
手前が川井橋で奥が八雲橋である。

八雲橋の先の右手に旧道口があり、正面に青梅線の鉄橋が見える坂道である。
旧道を進んでいくと逆Y字路の右手の石垣に7体の地蔵尊が安置されている。 地蔵尊の先に八雲神社へ上がる石段がある。八雲神社は、山の中腹の傾斜地にあり、参道下に鳥居があり、舞台下の参道石段を上ると境内と石崖桟敷があり、更に石段を上ると本殿がある。参道石段を跨ぐように建てられた舞台は、神社の門としての役割もある。この舞台は、石垣に接した懸造りとなっているため、参道の下から見ると二階建てに、境内から見ると平屋の舞台に見える。

地蔵尊 旧道口 石像・常夜燈 石塔
旧道は、清水屋商店の前で国道411号線に合流する。
暫く進んで古里駅前を過ぎて、古里郵便局の前に来ると祠に納まった地蔵尊がある。
国道411号線を進んで奥多摩町消防団第1分団第1部の建物の先に左に入る旧道口がある。
旧道入口左には、奥多摩ウォーキング・トレイルの道標が立っており、右手には赤い消火栓器具箱の隣に馬頭観音が安置され、旧道に入って直ぐ左の奥多摩町給食センターの前には地蔵尊が安置されている。
旧道に入って右手に続く石垣に沿って進んでいくと、石垣の上に弘化3年(1846)の聖徳太子像と燈柱に秋葉山大権現、愛宕山大権現、榛名山大権現と刻まれた常夜燈が建っている。脇には赤い屋根の小さな社が建っている。 旧道を進むとY字路の中央に社に納まった石塔がある。石幢なのかも知れないが通常石幢は6面か8面なので、4面のこれは普通の石塔かと思われる。4面には地蔵尊が陽刻されている。
この先で清見橋を渡った先に祠に納まった石像があるが、何かは確認できない。旧道は坂道の先で国道411号線に合流する。

旧道口・将門神社入口 将門公一族の供養塔 馬頭観音 廻國供養塔ほか
国道411号線が右にカーブするところに右手に上がる細い道が有り、将門神社の社標と穴沢天神、三面不動尊の道標がが建っている。 細い旧道を登って行くと右手の山に続く道があり、山の中腹に将門神社があるようであったが、またの機会に寄ることとし先に進むと左手に将門公一族の供養塔が建っている。この先は崖伝いの道で左にはガードレールとフェンスが張られている。この少し先に 「えぼじぞう」 の標柱が立て掛けられており斜面に地蔵尊が安置されている。 崖路から車道に出ると右手の石垣の上に祠に納まった馬頭観音がある。 旧道を進んでいくと右手の石塀の前に大乗妙典日本廻國供養塔のほか祠の中に馬頭観音と6基の石柱が安置されている。
6基の石柱は何の文字も無く何か確認できない。更に下って行くと左手の電柱の脇に馬頭観音が安置されている。

地蔵尊 旧道口 馬頭観音 十一面観世音
街道を更に下って行くと右手の祠に地蔵尊が安置されている。
祠の後ろには、文化9年(1812)の庚申塔と馬頭観音が安置されている。
青梅線を越えて国道441号線に合流した先でトンネルの左手に多摩川沿いを通る旧道が残っている。この道は100m程先のトンネルの出口で国道411号線に合流する。
旧道の右手斜面に祠が建っている。
トンネルの少し先の金網の間に文久(1861-64)と刻まれた馬頭観音が安置されている。この先にトンネルを迂回する旧道があり、迂回して再び国道411号線を進んでいくと右手に青梅線の鉄橋が見え、大きな釜飯の看板があるところに安政(1854-59)と刻まれた馬頭観音が2基安置されている。 瀧之澤橋を越えて右手に坂道が有るので上って行くと白丸駅があり、青梅線を横切って白丸桟道を進んでいくと右手の石垣の上に木造十一面観音立像がある。
この先はうねった山道で道なりに下って行くと国道411号線に合流する。

旧道 日向の馬頭さま 馬頭観音 奥多摩駅
国道411号線に合流して間もなく正面のトンネルを迂回する多摩川沿いの旧道がある。
この道は50~60m程先のトンネル出口で国道411号線に合流する。
国道411号線を進むと長いトンネルがあるが、旧道はこの手前で多摩川沿いを通っていくこととなる。旧道に入ると直ぐ奥多摩温泉もえぎの湯があり、この手前に祠に納まった馬頭観音(日向の馬頭さま)がある。この馬頭観音は文化11年(1811)に建立されたもので、当初は現国道より十数メートル上部の旧道にあったが、現国道が昭和2年~4年に改修された時に移設されたものである。 旧道を進むとレンガ造りの短いトンネルがあるが、その左土手に宝暦4年(1754)の馬頭観音が安置されている。 奥多摩温泉もえぎの湯の看板の立つところで国道411号線に合流し、奥多交番を右折すると奥多摩駅である。
時刻は15時50分で完全に日没となり今回はここから帰宅することとなった。

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